漢詩詞書冊出版《梨雲》 文化交流漢詩詞結社葛飾吟社 topPage

 

《梨雲》

漢詩詞同好会葛飾吟社 月刊誌
葛飾吟社出版
葛飾吟社の月刊誌です。20P

2001年(平成13年)4月創刊
毎月の《梨雲》はこのWavePageに記載されています。

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装丁 石倉鮟鱇

封面題字    元中日友好協会副会長・漢俳学会会長 林 林

編輯製本    石倉鮟鱇

漢詩詞同人誌《梨雲》のご案内

 梨雲は葛飾吟社会員の漢詩詞作品発表の場である。毎月20頁弱のA5版の小冊子が作られる。作品の内容は多岐に亘り、例えば漢詩詞の形式は、曄歌坤歌の類から、古詩・新体詩・詞・楹聯の類まで、中国詩詞のあらゆる形式を網羅している。文字数は10字の新短詩から、100字の古詩や詞に及ぶ。勿論同好会の席上では、数百字の作品も有るのだが、編集掲載の都合から、遠慮して貰っている。
 日本国内には、漢詩同好会は幾つも存在するが、漢字詩歌のあらゆる形式に対応しているのは葛飾吟社をおいて他にはない。
 梨雲は未だやっと芽が出たばかりの小冊子ではあるが、毎月20余の中国漢詩詞壇に送られ、中國漢詩人の目に留まっている。梨雲に掲載された作品は詩壇の選を経て、中国詩壇の漢詩詞誌に日本人の名前で掲載されている。
 なお、日本の漢詩壇で中国詩詞壇との交流をしている詩誌は、葛飾吟社の「梨雲」と関西京都の日中友好漢詩協会の「一衣帯水」だけであろう。
 中国漢詩詞壇の目に留まるのは、漢詩詞作品とは限らない。中国文学に関わる小論文も中國詩人の論文に席を並べて掲載されている。
 なお、梨雲の編集は、会員石倉鮟鱇先生が一手に為されている。

 

『梨雲』について    今田 述

 梨花の白が一面野を埋めるとき、その輝きに人が心を奪われるのは時空を超えて同じであろう。その白雲にも見まがう美を古人は「梨雲」または「梨雪」と呼んだ。
 葛飾は下総の西端に位置し、かつては隅田川を挟んで江戸に接していた。芭蕉が庵を結んだのも葛飾北斎が住んだのも下総の国葛飾であった。現在の江東区や葛飾区は廃藩置県に際し東京に編入されたが、葛飾の地は江戸川の東岸丘陵地帯にまで跨っている。
 百年前この地の農家松戸覚之助によって名梨「二十世紀」が作られ一世を風靡した。後に鳥取の砂地がこの種樹を植えて名を馳せたが、新世紀を迎え鳥取県知事が松戸市を訪れ百年祭が催された。今でも市川から松戸、鎌ヶ谷、柏の一帯は有数の梨の産地である。清明の時期は梨雲に輝く。昭和の初め俳人水原秋桜子はこの地をよく徘徊し多くの作品を残した。
梨咲くと葛飾の野はとのぐもり(水原秋桜子)
  「梨花発,葛飾沃野。靉靆処。」

蘇東坡に梨花を詠んだ「和孔密州五絶東欄梨花」の七言絶句がある。
  梨花淡白柳深青,柳絮飛時花満城。
  惆悵東欄一株雪,人生看得幾清明。(蘇軾)
 作者42歳、徐州知事に赴任したときの作である。前任者の孔密州から送られたのは東欄の梨花を詠んだものであった。時は清明、折しも梨花が真っ白に咲き、柳絮が町中に飛んでいた。官庁の東欄にも梨花の一株があった。人生あと何度この清明の季節を楽しむことができようかと作者は嘆いているのである。
               (2001年清明)