漢詩詞創作講座初心者10 文化交流漢詩詞結社葛飾吟社 TopPage

絶句を作るのは難しい

 絶句は唐の時代に完成しました。それまでに長い経緯があったことはすでに述べました。屈原の『離騒』にも一寸触れましたが、この長編叙事詩は何と全編九十三節、二千五百字というものです。それが古詩になり、やがて五言律詩(四十字)が生まれ、七言律詩(五十六字)が生まれ、最後に絶句が生まれました。絶句は最も短い詩でした。短いということは一字一字が珠玉のように練り上げられなくてはならないという難しさがあります。

 吉川幸次郎・三好達治による『新唐詩選』は戦後漢字制限論が喧しい時代に爽やかな一石を投じ、好く読まれました。吉川は杜甫の十五首から筆を起こし、冒頭取り上げたのが次の五言絶句でした。

  江碧鳥逾白, 江は碧にして 鳥は逾よ白く,
  山青花欲然。 山は青くして 花は然えんと欲す。
  今春看又過, 今春 みすみす又過ぎ,
  何日是帰年。 歸年は何の日か?

中国語堪能な吉川は、前半の十字をして「剛毅な言葉、強烈な言葉を愛するこの詩人にして、はじめて表現され得べき自然であった。jiang bik niao iu bok,shanchunghua iuk ran と、一語一語の音声もみなはなはだ強烈である」といいます。それが後半十字の「万物はみな推移する」という中国得意の哲学に繋がります。そして「看」の一字は自然を見ているだけではなく、「おのれの生命も推移して行く」のを押しとどめるように見ているのだといいます。短詩はそれだけ一字一字を選び抜く必要があるのです。

 ついで七言絶句では杜甫が死ぬ直前、江南で名優李亀年に逢った時の作を挙げています。

  岐王宅裏尋常見, 岐王の宅裏 尋常に見いし,
  崔九堂前幾度聞。 崔九の堂前 幾度か聞きぬ。
  正是江南好風景, 正に是れ 江南の好風景,
  落花時節又逢君。 落花の時節 又君に逢う。

  岐王は玄宗皇帝の弟で屋敷は芸術家のサロンでした。崔九は貴族の崔家の九番目の坊っちゃん。ここでも「又」の一字はありきたりの字だが、神様のように働いているというのです。つまり、短詩では一字がそういう働きをすることを弁えて詠まねばなりません。

 過日、林岫女史は成田へ到着後その足で、成田山新勝寺の書道博物館を尋ねられ、八月に他界した鶴見照碩前貫首へ鎮魂の書を奉呈されました。そこで次の五絶を即詠したのです。ここでも「随月去」の句は並みの詩想から生まれないと思わせるものがありました。

  紅葉依然好, 紅葉 依然好く,
  庭園百様幽。 庭園 百様幽かなり。
  故人随月去, 故人 月に随いて去り,
  遠客忽傷秋。 遠客 忽ち秋を傷む。