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話題20 | ■神話作用 王軍合 2007/1/14(日)08:47返事 / 削除

 神話作用は、元々フランスの哲学者ロラン・バルトの言葉。「神話は歴史を通して選ばれた言である。神話は物の本性から立ち現われることは出来ないだろう。」ここに只示唆するだけで、深入りして論じる余裕がない。つまりその言葉のバルト的含意について。その言葉を詩歌の創作、解読に使われるには、幾つかのハードルを越えなければならないが、それを省略する。
 転じて目を東洋の詩歌における神話作用をみてみよう。
 
 わきかぬる夢のちぎりに似たるかな夕の空にまがふかげろふ
 はかなしや夢に夢見しかげろふのそれも絶えぬる中の契りは
 春の夜の夢の浮橋とだえして嶺にわかるる横雲のそら

 『新古今和歌集』藤原定家の歌です。すぐ判るように定家は夢に深くかかわった詩人。ただ此処で夢の退潮を書いている。「絶へぬる」「とだえして」というのだ。夢が消え(本当はそうさせたくないが)、後は何が残されただろう。対極のうつつが強力に押し出されるのか。いや、そうでないばかりか、残されたものは、所在すら定かでない蜻蛉、夢の中の契り、別れ去ろうとする雲の空。紛らわしく、魂が奪われた後の身、儚さ、別れ逝くものがそれだ。朦朧として掴まえ難いものばかり。それはまさに陰影だ。定家の夢が紡ぎ出した陰影だ。
 当然、「春の夜」を詠んだ歌は、定家の前にもある。「照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき」という大江千里の古歌が挙げられよ。千里の歌が「白氏文集」の詩句(嘉陵春夜詩)「不明不暗朧朧月」に踏まえた句題和歌だ。この三者は共通して流れる情趣が容易に感ぜられよ。注意してほしいのは、ただ定家に限らず、新古今時代多くの歌人がそうだということ。先の歌だが「夢の浮橋」という歌語は『源氏物語』の五十四帖の最後の一巻、「橋姫」は宇治の橋姫。つまり神女だ。
 さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫 「古今集」
 君や来し我や行きけむ思ほえず夢かうつつか寝てか醒めてか 「古今集」
 
 このような束の間の逢瀬が、その夢に契機。これらの歌に我々は神話がいかに作用しているか、わかっただろう。今度は、漢詩の例を見てみよ。
                            7・16

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投稿2 | ■神話作用(その続き2) 王軍合 2007/1/14(日)08:50返事 / 削除

 どうしても古代和歌や詩作を例に見ないと、神話の作用なんていうのは、空洞化した概念に留まり、今一つ説得力が乏しく思われます。

 ご存知のあるように、平安時代、漢詩と和歌の二つの世界に二股架けた文人がいて、「心通和漢者」と言われるほどのつわものでした。真っ先に挙げられるのは、道真、源順、公任たちである。

 一つの題が出されると、漢詩の絶句を作るか、和歌を作るかは自由に決定すればよかったらしく、その詩懐紙には「倭漢任意」と記される。こうした和漢の趣味と嗜好傾向に合わせ、『和漢朗詠集』という詞花集が公任の手によって誕生しました。

 では、その瞬間に、彼らの脳裏にどんな詩想が巡らされるのでしょうか?漢詩と和歌は作品になる前に(未成形の段階)、どのような形で区別を作られるのでしょうか。難しい質問ですね、と聞き返すのを、予想しながら、私は書きますが。あくまで私の推測ですが、おそらく彼らには、そういう区別はなかったと思います。何か違いがあったとすれば、それを日本語にするか、漢語にするかの違いで、根本のところでは一致しているのではないかと、予想されます。

 言い方を変えてみますと、一つの詩想に二種類の詩が作られるともいえそうです。一通りは漢詩の形に、もう一通りは和歌の形に。その過程は非常に複雑で、当時の詩人や歌人の頭に潜っても見たいとの衝動に罹れそうですが。

 事実を言うならば『和漢朗詠集』のような、漢詩の意味に合わせ和歌を作る事例があり、同時に『新撰万葉集』(伝道真の作品)のような、和歌に合わせ、漢詩を作る事例もあったわけです。

 『和漢朗詠集』巻下「遊女」という項目がありました。一つだけ注意してほしい。この「遊女」というのを、そのまま現代の「遊ぶ」意味の女性に早取りしていけない。この「遊女」という項目のすぐ前に「妓女」という項目があり、取りたいのなら、こっちへどうぞ。念のために、さらに「仙家」という項目があったので、「仙女」と勘違いしないで頂きたい。歴史的に徐々に混同する傾向が生じたけれど、その話しは、またあとで。

 つまり、平安時代では、それらがそれぞれ混同していなかった。意味ありげなことです。

 「遊女」の項目に漢詩句三句に和歌一首があります。そのままここに収録します。
 719 秋水未鳴遊女佩, 寒雲空満望夫山。  賀蘭遂

    秋の水は未だに遊女の佩を鳴らさず,寒雲は空しく望夫の山に満てり

 720 翠帳紅閨 万事之礼法雖異,舟中波上 一生之歓会是同。  以言

    翠帳紅閨 萬事の礼法異なりといへども
    舟の中波の上 一生の歓会これ同じ

 721 倭琴緩調臨潭月, 唐櫓高推入水煙。     順
    
 722 白波のよするなぎさによをすぐす海人の子なればやどもさだめず  海人詠

 恐らく「秋水」や「遊女鳴佩」や「望夫山」のような字句を見るだけでその出典がすぐ分かると思います。そうです。あの有名な『詩経』からヒントや、イメージを得た詩句の構成です。

 しかし、そのいずれも神話に通じていることが、お分かりのでしょうか。その「望夫山」なんかはさらに『万葉集』の歌材になったことも、ご存知でしょうか。

 その続きは次回回します。

( 東外大、博士課程3年 / )


投稿1 | ■神話作用(続き) 王軍合 2007/1/14(日)08:48返事 / 削除


 かなりの時間が経ってしまった。
 その後、私は自分でさえ釈然としないこの「神話作用」という言葉に悩み続けた。はっきり言っておけば、感じる事と、それを理論的な明晰さを以て説明する事とは、まったく別の次元の事なのだ。詩歌、和歌を読む時に感じた、その神話作用の難しさに、自分は気がついてない。いざとなると、二進も三進も行かぬ窮地に自分を追い詰めた羽目に。

 其の前の文に出てきた白居易の詩、「嘉陵春夜詩」はある種の朦朧とした雰囲気を醸し出して、恰も詩人は非現実的な場面、幻想的な夢境に迷い込んだような気分で詩作を完成したように思われます。少なくとも作者はその意図の下で詩作を試みていることは、容易に看取されると思います。

 白居易のこの神話的思考、ほかの作品にもよく見られます。あの有名な『長恨歌』もそうですが、詞ciの一種『花非花』の一句、「来如春夢幾多時、去似朝雲無尋処」も、実に定家の歌と一脈が通じている。定家の歌「春の夜の夢」は、宇治の橋姫という神女の面影を仄めかしているに対して、白居易は、洛水の神女ひつ妃を念頭においてある。『長恨歌』に書かれたの女主人公−−楊貴妃は元は現実的人間なのに、その詩歌においては仙女になってしまい、蓬莱山に行ってしまった。

 後幾つかの詩例を書いてみましょう。
 
 岑参の『春夢』      洞房昨夜春風起, 遥憶美人湘江水。
              枕上片時春夢中, 行尽江南数千里。

 張泌の『寄人』      別夢依依到謝家, 小廊回合曲欄斜。
              多情只有春庭月, 猶為離人照落花。

 こうした神話からきた主題、神話の影響下にある詩歌、和歌の文学的表現を、私は仮に「神話作用」と呼んだわけです。

 李商隠、李賀、張泌、中晩唐の詩人は、こうした神話的題材に興味が深く、その半ば宗教的心性の持ち主であったため、詩作においてもその傾向が強いといえましょう。

 ふと思い出して、無責任に書き、また中途半端に終わってしまったことに再度お詫びを申し上げます。

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