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| 話題4 | ■五言排律についてご教示ください 岸本二三男 2007/1/13(土)21:04 | 返事 / 削除 |
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外国の詩を書くを読ませて頂きました 五言排律 緑陰試筆 午枕薫風裏,飄紅半是塵。 柴門無客訪,何處鳥聲頻。 活計安吾分,時能知友親。 吟詩猶懶出,執筆餞徂春。 日日黄粱夢,窗前緑已新。 例に出された排律詩についご教示して下さい ●排律は12句より数百韻に至る云々とあります(首聯・頷聯・頸聯・腹聯・後聯・尾聯) この詩は10句からなっています。後聯がぬけていても排律とよべるのでしょうか?、 ● 排律は、本より詩を以て士を取るものとされ、その声律は厳格であると聞き及んでいます。 いまこの詩をみるに、時能知友親の句は○○○●○となり失声しています(五言律詩の場合は時に拗しても許す場合もあるが、それでも、●○○●○迄で、排律の場合は、孤平孤仄は厳禁で、規則通り○○●●○でなければならないのではないでしょうか。) ●柴門無客訪 何處鳥聲頻 活計安吾分 時能知友親 吟詩猶懶出,執筆餞徂春はどうして対句になるのかご教示下さい ●排律の場合は律詩と違って首聯を対句にするのが一般的であると聞き及んでいます 唐詩でも十中八九が対句をもちいます。語勢を強くするためには対偶で起こすべきだといっています。 ( / ) | |
| 投稿9 | ■排律は・・・ご案内 中山逍雀 2007/1/13(土)21:29 | 返事 / 削除 |
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ご高説拝読しました。 小生が漢詩詞に拘わる所以は異文化国際交流にあります。然し詩詞に対する認識は、長年に渉る多くの詩友との交わりで獲得醸成され、裏打ちされたものです。現時点に於いて、小生と中華詩詞壇との間で、漢詩詞の認識にさしたる齟齬は有りません。 漢詩詞の研究は目的外ですが、上海・北京・成都で都合四回の詩詞研究討論会に参加しております。亦小生と中華詩詞学会との共催で、北京に於いて二回漢詩詞研究討論会を開催し、昨年秋には中華詩詞学会理事を招聘して、小生の下で研究討論会を開催しました。何れに於いても議論百出しましたが、概ね小生の認識と大きな隔たりは有りませんでした。 岸本二三男先生の如き博識の方ならば、中華詩詞学会理事に詩友が沢山居られる事と思います。招聘為されて十二分に討論為されては如何ですか。ご期待致します。 不一 ( / ) | |
| 投稿8 | ■擬古的な詩 岸本二三男 2007/1/13(土)21:28 | 返事 / 削除 |
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● 先生が言われて居られる事と、小生の言う事とは依って立つ次元が異なると思います。 ○次元が異れば昔より作詩作法などに説明されている排律も先生がいう排律とはちがうのでしょうか 流水対も一般の対句の作法も、先生の云われる処のものと上官儀が説明するところのものとでは違わないとおもいますがいかがでしょうか。 ●小生は鑑賞者ではなく実作者なのです。実作者は擬古の作品でない限り現在、2003年に通用する詩詞法詩詞論と作品でなければならないのです。提示のお説が2003年の中華詩詞壇で現役として通用する説なのか?ここ五六年の間に中華詩詞壇から入手した詩詞論情報なのか?どうかと言う問題です。 ○先生の場合は擬古的な作品はつくらないということですが。この作はたまたま作ったものでしょうか、 普通でいう排律は典型的な擬古的な詩です。中国の古典詩を作るものでも作らない詩形です。 そういった2003年には通用しないという詩詞を何故につくるのでしょうか、甚だ矛盾を感じますがただ排律は非常に難しいとされています。そういったことにまどわされたのでしょうか ●古典の詩論は古典鑑賞には必要ですが、現役の詩詞創作には無用です。 ○先生と違う立場で、中国の古典詩を学んで作っておられる方は沢山おられますが、先生のいうところの実作者には作詩をするには堪えないのでしょうか。この詩にかぎっては、あまりにも内容はひどすぎます。私の知る限りでは、おそらくは先生が鑑賞者と称する人の詩にも及ばないとおもいます。 ●小生も、古典の詩論と、現役の詩論では齟齬がある事は承知しています。何れを執るかと言えば、古典の詩論は棄て現役の詩論を執る事は当然の理です ○一番の疑問は、古典の詩論は棄てとあるのに、何故絶句や律詩等の詩形にたよるかが疑問です。 ひどい時には韻は現代韻なのに、平仄は宋韻を使用している詩もあります。詩形はすべて格律詩で、措辞は古典詩です。いわゆる、現代韻で作られた中国古典詩です。恐らくはリズム的に2+2+3が慣れているからとおもわれるからです。なにか中途半端です。 老婆心乍ら、私の現代詩いわゆる新詩についての考えをいえば、 現代詩による作詩は(新詩による自由詩や格律詩)一九一九年の五四運動以来、八十年の歴史を持ちながら、あまり愛好するものはいないと聞き及んでいます。これは、中国人の古典詩への詩歌愛好の伝統がそうさせたものと思います。 こういった詩を日本人が作ることも一つの見識とは思いますが、然し従来の古典詩とは、当然乍ら、詩趣・詩味・の違い、或いは軽声字の多用もさることながら、一句中のリズム(半逗律 息継ぎの仕方)も異なります。例えば同じ七言でも現代詩では、明年的/百花/開来や 路人要/軽軽/拾起 等、古典詩とはリズムも異なるようです。 九言詩にいたっては、日本人にとって、経験すらありません。 中国の現代の世情や言葉もとりいれなければならないのでしょう、大変難しくおもいます。唯、単に古典詩に現代韻を利用するような安直なことではないと考えます。 私の持論は、新詩は自由詩であれ格律詩であれ、軽声字を多用した白話体で作るべきだと考えています。当然のことながら、中国語に精通しなければ、まともな詩は作れないと思います。漢俳等は定形の短形詩で可文可白といっていますが、多くは文語体で作詩されているようです。我々でも文語体であれば、平仄は古典詩の律句でよいのだから作れそうですが、これも、私は白話体で作るべきだと思っています。軽声化により、軽い調子をだすのですが、 そういうことになれば、納得して先生の意見にも素直に従うことができるのですが、先生の云われるような詩をみると、私の思っている新詩とはかなりかけなれているようにおもわれます ( / ) | |
| 投稿7 | ■岸本二三男先生のご諮問に答えて 中山逍雀 2007/1/13(土)21:23 | 返事 / 削除 |
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玉稿拝見しました。 先生が言われて居られる事と、小生の言う事とは依って立つ次元が異なると思います。小生は鑑賞者ではなく実作者なのです。実作者は擬古の作品でない限り現在、2003年に通用する詩詞法詩詞論と作品でなければならないのです。提示のお説が2003年の中華詩詞壇で現役として通用する説なのか?ここ五六年の間に中華詩詞壇から入手した詩詞論情報なのか?どうかと言う問題です。 小生も、古典の詩論と、現役の詩論では齟齬がある事は承知しています。何れを執るかと言えば、古典の詩論は棄て現役の詩論を執る事は当然の理です。古典の詩論は古典鑑賞には必要ですが、現役の詩詞創作には無用です。 中華詩詞壇に通用しない作品の見本があります。ご笑覧下さい。 小生が何処かで書きましたが、詩歌とは、小学児童の作品と白寿古老の作品が同じ土俵で競い合えるのです。 http://www.741.jp/300ritu/ ( / ) | |
| 投稿6 | ■五言排律 中山逍雀 2007/1/13(土)21:20 | 返事 / 削除 |
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●現在の事を論じるには、現在の規範による事は当然の事です。現在の中国詩詞壇の詩論を学習する事をお勧めします。韵は、古典韵と現代韻があります。徐々に現代韻に移行して居ります。北京周辺並びに学生との間では殆どが現代韻です。中華詩詞学会でも現代韻を推奨しています。(普通話を拠り所としています) ○排律は唐代科塲六韻十二句之排律云々と説明されていますように、応試のものであるので、古典詩でも死んだ詩形ですので、現代韻がどうかという問題ではありません。このような詩形でつくるほうがおかしいものと考えています。もし排律と云う詩形を選ぶならば、古法にしたがって作るべきだとおもいます。排律はその性格上(応試)、厳しい声律により作ることに意義があります。同字重出は喧しくいいません。このほかに、声律の平板により、蜂腰、鶴膝、馬跡のいずれかにかたよるのを避けることが必要です ●柴門無客訪,何處鳥聲頻。 活計安吾分,時能知友親。 この詩法は流水隔句對と言う詩法です。?の句十文字に対して?の句十文字が對しているのです。 詩意は(流水対)二聯一意になっているようにはおもえません たとえ、流水対といえども各句は対にならなければいけません。例えば、處と能(名詞 副詞或いは実詞と虚詞)が対句になるとはおもえません。 以前に作った拙詩の流水対で例を出してまことに申し訳ありませんが、拙詩ではあきらかに誰存が碧霄情までかかります。また措辞も 誰存と他到 秋思句と碧霄情が対になります(思は名詞で仄用) 誰存秋思句??誰か秋思句の 他到碧霄情??他の碧霄に到るの情を存せん 先生の詩は五句毎に完結してます。柴門が知友親にまでかかるとはおもえません。却って、二聯までかかるような流水対では詩意が冗長になりやすく、よくありません。各聯の出句と落句のかかわりも薄弱になっています。古人のいう砌合を戒むの病にかかっています。 また、 吟詩猶懶出,執筆餞徂春。 も対句としては破格です。猶と餞(副詞 動詞或いは虚詞と実詞) 出と春(動詞と名詞) 簡明勇先生の著書律詩研究 対仗之詞性分類から 以上です。 ( / ) | |
| 投稿5 | ■ご丁寧な御教示感謝いたします 岸本二三男 2007/1/13(土)21:18 | 返事 / 削除 |
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ご丁寧な御教示感謝いたします まだ納得の行かないことがありますので再度ご質問させていただきます 律とは、律詩でないものを指して言う一般的な名称です。ですから、四句は別としましても、六句・十句・十二句と偶数句で構成されます。 ○簡 明勇先生の著書 律詩研究第八編弟一節に排律之声律に 「五言排律為五言四韻律詩之延長」とあります、其の為に長律とも言います。また 「一二句名為起聯・三四句名為頷聯・五六句名為頸聯・七八句名為腹聯・九十句名為後聯・若意有未盡 即可補二句或四句末二句即名為尾聯」とあります。 最も短かい排律で12句、それより二句或いは四句を補ってもかまわないとのことです。 宮崎鉄城先生も排律の排は、二解を以て排して開かしめるともいっています。(絶句の中を開いて対句二解八句を追加する)ただ排律は唐代科塲六韻十二句之排律と説明されていまっすように、受験用のものであるので、作詩は徒労におわるものと考えています(つくるべきではありません) ( / ) | |
| 投稿4 | ■「排律」 石倉鮟鱇 2007/1/13(土)21:12 | 返事 / 削除 |
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葛飾吟社の鮟鱇です。 「詩詞写作概論(趙仲才著)」に「排律」の説明として、「“排”是即鋪排的意志。排律是五律或七律的延長,也称“長律”。它毎首至少10句,多的有几十句乃至一,二首句。」とあります。つまり排律は、12句以上と決められてものではなく、10句から「排律」と呼ぶのが中国では常識のようです。 また、古人の実例としては、梁の蕭繹という人に10句の作が結構あり、たとえば「林間花欲燃,竹徑露初圓。斗鷄東道上,走馬北場辺。合歓依暝巻,葡萄向日鮮。旗亭覓張放,香車向董賢。定隔天淵水,相思夜不眠。」(宮殿名詩。宮殿の名を数多く詠み込んだもの)などがあります。 http://www.h2.dion.ne.jp/~ankou/ ( / ) | |
| 投稿3 | ■五言排後聯・・についてご教示ください 中山逍雀 2007/1/13(土)21:10 | 返事 / 削除 |
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拝復 お手紙拝見致しました。(同一文面が重なっていましたので、一面を削除しました。) ご質問の内容は、五言排律に於ける、起聯・頷聯・頚聯・尾聯の呼び名及び配置に付いてかと思います。 中国側の詩論には、先生仰せの様に書かれているものもありますが、手紙で聞いてみますと、此を云々するのは、日本人で、中国人はさほど議論の対象にはしていないようです。 彼らの言うには、詩形を云々するのは、研究者や学者のする事で、私たちは理論で作っているのではないよ!と言います。 小生は、学者でも研究者でもありませんから、先生ほどのことを考えたこともありません。知識不足で適切なお答えの出来ない事、お許し下さい。 註:日本のテキストには、五言排律は有るが、七言排律はない、と書かれているようですが、確かに七言排律の作品は、滅多にお目に掛かりませんが、無いわけではありません。現在小生の下へ寄せられる作品に、たまに、七言排律が有ります。ご参考までに! 中山逍雀 頓首 ( / ) | |
| 投稿2 | ■五言排後聯・・についてご教示ください 鶴谷好雄 2007/1/13(土)21:09 | 返事 / 削除 |
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律詩は起聯・頷聯・頚聯・尾聯の8行詩。 排律は起聯・頷聯・頚聯・腹聯・後聯・尾聯の12行詩。 またそれより以上 14行詩の場合起聯・頷聯・頚聯・腹聯・後聯・後聯・尾聯 16行詩の場合起聯・頷聯・頚聯・腹聯・後聯・後聯・後聯・尾聯と呼称するのでしょうか。お教えください。 ( 詩吟を勉強しているものです。 / ) | |
| 投稿1 | ■緑陰試筆 五言排律について 中山逍雀 2007/1/13(土)21:06 | 返事 / 削除 |
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ご閲覧眞に有り難う御座います。 岸本二三男先生が読まれた小論は葛飾吟社会員の起稿です。ご指摘の拙作は小生の作品ですので、ご案内申し上げます。●印の順に従ってご案内致します。 ●排律とは、律詩でないものを指して言う一般的な名称です。ですから、四句は別としましても、六句・十句・十二句と偶数句で構成されます。 ●現在の事を論じるには、現在の規範による事は当然の事です。現在の中国詩詞壇の詩論を学習する事をお勧めします。韵は、古典韵と現代韻があります。徐々に現代韻に移行して居ります。北京周辺並びに学生との間では殆どが現代韻です。中華詩詞学会でも現代韻を推奨しています。(普通話を拠り所としています) ●柴門無客訪,何處鳥聲頻。 ? 活計安吾分,時能知友親。 詩の基本は出句と落句で構成され二句一章一意です。ですから、出句末字には「,」と落句末字には「。」を打ちます。(必須) この詩法は流水隔句對と言う詩法です。?の句十文字に対して?の句十文字が對しているのです。 吟詩猶懶出,執筆餞徂春。 此は虚實對です。 ●日本国内にある殆どの詩詞論述は過去の文献を基底にしています。恐らく唐詩の論考記述も過去文献を拠り所にして編纂された論述でしょう。現代の物事を判断するには、現代の論述を基にして考察すべきです。 補追 内容についての記述が有りましたので、ご案内致します。 一般に、七言句と五言句を比較した場合、七言の作品の方が柔かさがあり、五言の作品の方が 堅い気配が有ります。七言絶句に対応して五言で創る場合は、五言排律十句が丁度対応しています。人によりそれぞれ異なりますが、小生の場合は、五言排律十句は五言句の重厚さと、七言句の柔らかさを併せ持った詩形として、重宝しています。 ( / ) | |
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