漢詩詞同人誌13年4-6 文化交流漢詩詞結社葛飾吟社

平成十三年(2001)
梨 雲 LI-YUN
創刊号

『梨雲』発刊の辞   中山逍雀

 詩は詩人の心中の吐露であり、時代の表出である。我々は李杜の詩を読んでその時代と詩人の心情に思いを馳せる。芭蕉は「不易流行」を説いた。民族の歴史に根ざしながら、今生きている現代を捉えてこそ詩は感動を呼ぶ。

 20世紀後半、世界は急速に狭くなった。自然の荒廃、地球の危機、家族社会の分化、民族や宗教の対立など、現代人をめぐる諸問題は今や国境を越えて感じられる共通の愁いとなった。しかも漢字文化圏に住む十数億の人々は、言語を異にしていても、文字を通してほぼ同じ詩情を共有できる。

 わが国の文芸は漢字を輸入した後、さらにそこから仮名も発明して発展して来た。その中にあって詩は終始文芸のバックボーンであり続けた。奈良・平安時代、それは貴族社会の教養であったが、江戸時代には長い平和が続いた結果文化が爛熟し、町民・農民層にも多くの詩人が生まれた。そして印刷技術が発展した明治時代、漢詩人の数は頂点に達し、職種も多彩を極めた。

 だが脱亜入欧の風潮は次第に東洋文化を軽視する。大正時代に入るとわが国の漢詩は一転急速に凋落して行った。折しも台頭した軍国主義も中国との交誼を割いた。あの時代に比べると現代の若者は賢明だ。大学生の外国語選択を見ると次の時代が見えてくる。英語についで多いのはドイツ語でもフランス語でもなく中国語となっている。一方中国でも日本語を選択する若者が急増している。

 今や両国の文化交流にとって絶好の条件が整ったと云える。新世紀を迎え中国の詩壇は日本の短詩型文学へ急接近して来ている。すでに1980年俳句に倣って「漢俳」という十七字詩が試作されたが、今やこの詩形は確実に居住権を得たと云える。このような国際的背景に対して、短歌や俳句に代表されるわが国の短詩型文学界は、一部の有識者を除くと井の中の蛙の感が深い。数の上では空前の繁栄を迎えているように見えるが、その実は家元制度にも似た狭い結社に籠もり、国境を越えた詩の交流には関心が薄い。

 一方漢詩人は唐詩の模倣に終始する傾向が強い。詩が模倣に終わる限り本当の感動を与えることは難しい。確かに唐詩はすばらしいが唐の時代に生活していない人間がどうして唐詩を越えることが出来るだろうか。短歌や俳句は明治時代正岡子規によって現代化された。だから今どき東京に住んで「釣瓶とられてもらい水」などと詠む人はいない。漢詩もかつて大沼枕山、成嶋柳北、森槐南らによって現代化が図られたが後継者を得なかった。折角新世紀を迎えながら中国人と現代を共有できる詩人が極めて少ないことは誠に寒心に堪えない。

 葛飾吟社は詩による漢字文化圏との交流を目指して来た。今ここに一歩を踏み出す『梨雲』は、同好の兄姉のささやかな作品の記録に過ぎないが、志を共にする詩人に対して門戸は常に開かれている。
              (2001年辛巳春)

 

『梨雲』について    今田 述

 梨花の白が一面野を埋めるとき、その輝きに人が心を奪われるのは時空を超えて同じであろう。その白雲にも見まがう美を古人は「梨雲」または「梨雪」と呼んだ。

 葛飾は下総の西端に位置し、かつては隅田川を挟んで江戸に接していた。芭蕉が庵を結んだのも葛飾北斎が住んだのも下総の国葛飾であった。現在の江東区や葛飾区は廃藩置県に際し東京に編入されたが、葛飾の地は江戸川の東岸丘陵地帯にまで跨っている。

 百年前この地の農家松戸覚之助によって名梨「二十世紀」が作られ一世を風靡した。後に鳥取の砂地がこの種樹を植えて名を馳せたが、新世紀を迎え鳥取県知事が松戸市を訪れ百年祭が催された。今でも市川から松戸、鎌ヶ谷、柏の一帯は有数の梨の産地である。清明の時期は梨雲に輝く。昭和の初め俳人水原秋桜子はこの地をよく徘徊し多くの作品を残した。

梨咲くと葛飾の野はとのぐもり(水原秋桜子)
  「梨花発,葛飾沃野。靉靆処。」

蘇東坡に梨花を詠んだ「和孔密州五絶東欄梨花」の七言絶句がある。
  梨花淡白柳深青,柳絮飛時花満城。
  惆悵東欄一株雪,人生看得幾清明。(蘇軾)

 作者42歳、徐州知事に赴任したときの作である。前任者の孔密州から送られたのは東欄の梨花を詠んだものであった。時は清明、折しも梨花が真っ白に咲き、柳絮が町中に飛んでいた。官庁の東欄にも梨花の一株があった。人生あと何度この清明の季節を楽しむことができようかと作者は嘆いているのである。
               (2001年清明)

 

『梨雲』の編集にあたって     石倉 秀樹

 詩は志(こころ)であると言います。そして、人となりを顕すとも。そこで、われわれ日本人は、詩を書くまえにまず立派な人間になろうと考えます。人さまにお見せできるような優れた詩が書ける人間になろうと。そうやって李白や杜甫を読んだり、いろいろむずかしい本を読んであれこれ考えたりして過ごしますが、ついには、詩を書く喜びを知らずに、死んでいきます、死に臨んで、古人の素晴らしい詩句だけを抱え、溶けてゆく脳漿の夢に口ずさみながら。
 『梨雲』は、もちろん古人の詩句も楽しみますが、ありのままの今を共に楽しもうという者の放吟の記録です。わたしたちには心があります。心は放吟します。そしてわたしたちが放吟するのは生きている今です。もとより放吟に、長幼の序列や優劣の順番はありません。

 とはいえ、『梨雲』4月の編集は便宜上、詩とその他にわけ、東から西へ会員の地域別・到着順に掲載しました。編集子の独断、ご了承ください。        
               (2001年4月)

 

 

I 詩

  廬山途上之作   千葉県 中山逍雀
危岩奇石歩纔通,十里羊腸綺夢中。
仰見峻峰雲靉靆,臥看深渓霧冥濛。
近覘樹蔭花應白,遠望山腰葉已紅。
馥郁香煙包萎脚,廟前一息對秋風。

 

  和中山逍雀先生口占詩  千葉県 秋山北魚
傾盃執筆竹窗前,句句懐君共一天。
莫厭朋僚復寄翰,耽詩問疾聳吟肩。

 

  嵐山春游        千葉県 高橋香雪
偸閑詞客歩長堤,萬朶桜花香雪吹。
友好詩碑真歴史,林亭懐古啜茶遅。

 

  春日郊行        千葉県 三宅遥峰
野寺高楼映彩霞,桜雲萬朶酔韶華。
相逢一酔浮世事,鳥語酣歌各自誇。

  観梅吟行        千葉県 三宅遥峰
老梅破蕾一枝新,何處鶯声興趣真。
膚粟耐寒詩未就,幽径吟行雨如塵。

 

  望郷十八韻       東京都  斎 遊子
臨海関山北,我郷即越州。(尤韻)
年少如夢閲,十有九春秋。
童幼倣誦經,祖考教詳細。(霽韵)
蓮如白骨文,親鸞正信偈。
数游平沙渚,又憩松籟岡。(陽韻)
春晝鳶笛朗,夏晨魚気香。
秋歩星斗燦,冬歌朔雪荒。
高校得良儔,不圖逢古典。(銑・潸韻)
先考悦共餐,勸吾最初盞。
干戈妨勉學,就職多世縁。(先韻)
書巻何所展,空費幾十年。
北国生異材,後人猶愛敬。(敬韻)
謙信義侠豪,角栄才膽迸。
良寛至純魂,八一孤高性。
今至頽齡境,明欲閑咏仙。(先韻)
随意親古典,乗興染吟箋。
往時有微志,余燼尚吐烟。
懐古半生跡,緬望故郷天。

 

  倣銀座竹枝      神奈川県 萩原千秋
烟柳千絲憶旧遊,舞姫婀娜酒家楼。
酔歌金盞歓娯夜,恨暁花顔双涙流。

 

  絵画衆旅行      神奈川県 山田鈍耕
美術同好意気揚,山荘香霧静温湯。
応看多歳辛艱業,簾裡酣歌泉館廊。

 

  春日譜尋花      神奈川県 林 ○○
啓蟄纔過日尚寒,衰身自厭遠遊難。
窓辺並粟思嬌鳥,但有貪鴉嘯圧盤。

 

 

U 漢俳・新短詩

  漢俳五首連環体 千葉県 今田菟庵
夭夭三学生。小心抱袱提琴盒,電車踏春行。
問詢何処行? 春季集訓房州宿,合奏同好盟。
不樂乎参盟。徳伏夏克交響曲,海浜菜花迎。
此曲我歓迎。欲聴孟夏演奏会,娥娥悦含英。
可樂咸奏英。管弦熟時望再会,車中春意生。
于車中遇見埼玉大学交響楽団女子学生三人。
註: 提琴盒=Violin case,徳伏夏克=Dvorak。

 

  曄歌二首    東京都 石塚梨雲
牡丹芳。思君恍惚,賞韶光。
春鳥鳴。登登花径,聴渓声。

 

 

V 詞

  寄調望江南「春 蘭」       千葉県  小畑旭翠
春蘭好,瓊蕾怯残寒。独託幽香無墜露,数根芳萼足清歓。懐抱誰共看?

 

  和小畑旭翠先生原玉望江南春蘭  千葉県 逍雀野叟
空山裏,深澗送厳寒。不識何時降俗世,未消芳潔餘嬪歓。応是妻共看。

 

  寄調凭欄人「春 景」   東京都 石倉鮟鱇
水碧山青風拂裙,梨白桃紅櫻涌雲。愛花日本村,想君門巷春。

寄調蟾宮曲「春宵醉梦」     東京都 石倉鮟鱇
   画中娘月照濃粧,窗外皚皚,醉境茫茫。却老佳人,陪酒巧笑,招我清狂。梦易通靈犀幻想,已相思戀蝶飛翔。喜對花粧,悦弄花言,花誘仙郷。

創刊号 完


五月號

我的感想    林 林

  俳句在国際流行,當然有其原因,這是日本文学栄誉。早期日本俳人松尾芭蕉・正岡子規把俳句当作詩歌独立的形体,功不可没。蕉風的俳人,把唐詩的佳句,如“山雨欲来風満楼”“水村山郭酒旗風”演繹為日本的俳句問世,給中日文學交流,留下佳話。

  好在日本使用漢字,葛飾吟社的朋友們,竟能編寫中国詩詞譜(格律),寫作詩詞,也有人作漢俳與漢語短歌,可見詩歌交流的高度,令人欽佩。

  詩歌越短越難作。怎9EBD(ノ+ム)短?要根拠本国的語言文字特点,至于提出更短的新的詩体,如以三・四・三音字為一首,覺得詩的形体窄小,詩的語言(文言或白話)較難躍動展開,這恐怕不容易推廣? 。

  時代走進新世紀,我們対詩歌的思想感情,要求跟着有些新時代感。詩歌一般要真善美的精神境界(唯善才能真與美),寄托在詩的語言上,也可説詩的職能在於抒情(寫景也要寓情于景),希望做到詩短餘情長。

            二〇〇一年四月三日于北京  (訳)

私の感想      林 林

 俳句が国際的に流行するのには当然その原因があるのであって、これはすなわち日本文学の栄誉であります。むかし日本の俳人松尾芭蕉・正岡子規が俳句をして詩歌の独立の形体にしたてた功績は不滅であります。蕉風の俳人は唐詩の佳句「山雨来らんと欲し風楼に満つ」や「水村山郭酒旗の風」を演繹して日本の俳句を世に問い、中日の文学の交流に供し、記憶に留めました。
 葛飾吟社の朋友たちは、日本で漢字をうまく用いて、ついには中国詩詞の譜(格律)を編纂し、詩や詞を作り、更に漢俳や漢語短歌を作る人まで出て、詩歌の交流を高度のものとし、人の心にとどめました。

 詩歌は短くなればなるほど難しい。なぜでしょうか?それは母国の言語や文字の特色に頼らねばならなくなり、更に短い新たな詩形、たとえば3−4−3で一首を作るというのは、詩形があまりに小さすぎて、詩の言語(文語でも口語でも)を躍動展開させるのが比較的困難であり、普及させるのは難しいかも知れません。

 時代は新世紀に入り、我々は詩歌の思想感情においても、些か新時代の感情に着くことを要求されるでしょう。詩歌は一般に真善美の精神境界を求められるが、(善の才は真と美をきわめる)既存の詩の言語に託して、同様に詩の職能を抒情によって語ることができるわけで(写景もまた景色の寓情を要する)、詩は短くなって行っても余情は長いことを願いたいのです。

2001年4月3日北京に於いて

  林林先生のこの一文は「迎接新世紀中日短詩集」のための巻頭言として送られて来たものです。(編者)

 

詩を作る態度−私の場合   逍雀野叟

 どんな事を詩にするのか?尋ねると、論語の語句を引いて「詩は志を言う」と言う返事が返ってくる。自分の心にある物事を寫せば良い!とは誠に簡単なようだが、なかなかそうも往かない。

 私は日本人だから日本人の作品集を見てみると、実に雑多で却って分からなくなる。花見をしながら酒を飲み詩を作る・・の類。天下国家を嘆く・・悲憤慷慨・・大言壮語の類。膏っ気の抜けた・・神仙思想の類。そしてもう一つ・・重箱の隅を突っつく様な、などなど凡そ四っか五っのパターンに類別される。

 実のところ私も他人様の真似をして、其の類をせっせと創った。だが私にはどれも縁が無いことばかり。花見をして酒を飲むなど悠長な気性ではないし、天下国家を嘆くなどとんでも無いことだし、重箱の隅をつつくのは嫌いだし、膏っ気は未だ有るようだし、どれも私には「絵空事」でしかあり得ない。

 実のところ私は、お金は大好きだし、ホラも吹くし、異性も好きだし、妬みもするし、気は小さいし、直ぐに自惚れるし。だったらこの、有りの儘の自分を基にして詩を作れば良いではないか!それなら底が割れることもないし、絵空事になることはない。でも私は少しばかり背伸びをしている。

 

 

T 詩

  道路工人       千葉県 逍雀野叟
驕陽徹夜労塵衢,依靠鐵鍬息我躯。
一半工棚払暁酒,故郷消息客中娯。
   (注)依靠鐵鍬:スコップに寄り掛かる
      一半工棚:小さな飯場

 

  今日的夜光杯中山先生恵存  千葉県 小畑旭翠
昔時胡献夜光杯,今得旅程一興催。
粗製酒觴君勿笑,涼州古色伴春回。

 

  和小畑旭翠先生「今日的夜光杯」   千葉県 中山逍雀
千歳史編軍旅杯,謝君酌酒朗吟催。
盒子怪R涼州恨,誰識戎兵衣錦回?

 

和小畑旭翠先生「今日的夜光杯」    千葉県 今田莵庵
杯,美酒盈盈豈待催。涼州旅,携玉美人回。

 

  登“筑波山”     千葉県 高橋香雪
薫風換景緑陰鮮,山廓“鯉籏”五月天。
緬想青襟戯草原,霊峰並立起輕煙。
註:青襟戯草原謂“かがい”

 

  和夏目漱石鴻臺冒曉詩  千葉県 秋山北魚
殘寒下午叩禪扉,四面無人樹影微。
一片春愁懷往事,群鴉亂噪滿天飛。

 

  緑陰小酌       千葉県 三宅遥峰
薫風庭樹翠成帳,檐下聲聲燕子飛。
竹馬相逢山館夕,落紅無頼映窗扉。

編者曰,「逢」字表達男女密会、不是密会事情用「会」字,如果假想竹馬青梅的婦女、作者的意図得到很好的表現,「落紅無頼映窗扉」句花言巧語以巧妙。

 

  市民農園雑詠    神奈川県 萩原艸禾
慇撫蔬畦意爽然,佳葱良菜賞心専。
勿嗤今日力耕報,市賈甘藍僅百圓。
編者:雖甘藍僅百圓楽趣値萬金

 

  同窓会       神奈川県 山田鈍耕
如雨焼夷年少時,清流”只見”識人飢。
劫余分袂青梅友,白髪来参勧酒卮。
 註:「焼夷」焼夷弾。「只見」只見川。
   「青梅」謂青梅竹馬之友。

 

  登高峰常念岳    神奈川県 林 凱風
雨歇群峰起,彩橋懸半空。香花残玉露,驚鳥奔幽叢。
礫石如無極,登行自有終。山巓何処是,隠見片雲中。
編者曰:礫石如無極,登行自有終。之両句寫景表達情素很絶妙筆致

 

  七律回文・春夕賞櫻花  東京都 石倉鮟鱇
庭滿雪花春暮湖,散人游處思愉愉。
青山落日紅霞彩,緑水浮鱗銀月弧。
馨酒澄心醉裡梦,爽風清夜客中虚。
形随影向歸天仰,靈境塵憂有又無?

    倒読
無又有憂塵境靈? 仰天歸向影随形。
虚中客夜清風爽,梦裡醉心澄酒馨。
弧月銀鱗浮水緑,彩霞紅日落山青。
愉愉思處游人散,湖暮春花雪滿庭。
注:「影向(エコウ)」神仏の具身「帰向(キコウ)」なつく
編者曰,創作回文是很難的,連絶句都不容易、何況律詩更很難。

 

 

U 新短詩・漢俳

  曄歌一首       千葉県 逍雀野叟
飄紅時。電脳盤上,霜一枝。

 

  曄歌一首       東京都 石塚梨雲
嶂悠然。風柔蝶舞,緑鮮鮮。

 

  漢俳六首       東京都 斎 遊子
  宰相交代
雲去薫風遍,宰相交代政論興。八州將沸騰!

  野翁似童
新緑野遊翁。玉轉入穴發音也,歡呼恰似童。

  夢一場
薫風洗石腸。停杖往時遺恨地,迢迢夢一場。

  朝 霧
山郭朝霧横。炊煙不見尚如睡,遠近数鴉声。

  蛛網留滴
衣裳濕濃霧,蛛網留滴玉珊珊。夏晨怯薄寒。

   雨亦奇
翠松嫩芽長,衝天活氣催一詩。驟雨亦清奇。

 

 

V 詞

  魚父・竜孫其之四    千葉県 逍雀野叟
  窮里篁園意悠哉,翠姿呼雨湿塵埃。命方盡,蔓方來,寒窗爐炭竹芻灰。

 

  柳含烟・独輪車     千葉県 今田莵庵
  青銅像,独輪車。聚宅区院励峙,携竿走索拒傾斜。宿何家?  赤旗曾埋操脚下,泡益忽生旧夏,静閑今日瞰飛花。独輪車。

 

  長相思・蝶 花     千葉県 秋山北魚
  白花鮮,紅花妍,深院開樽我忽仙。吟風意恍然。  緑如煙,思如淵,萬紫任泥簾影閑。憶君千里天。

 

    酷相思・閨 情     東京都 石倉鮟鱇
  月降天人驚眼孔,坐魔境,開瑤甕。瞼波艷、花心良夜動,吾醉也、游仙洞,君誘也、尋仙洞。  閨裡醺醺先抱擁,麗人笑,乳房聳。胯間澗、幽泉融雪涌,君跨馬、貪春梦,吾化馬、搬春梦。

    一七令・山       東京都 石倉鮟鱇
            山。
          風爽,天寛。
         聽鳥弄,喜心閑。
        厭離塵界,愿住仙寰。
       櫻雲空谷涌,弦月半天懸。
      花舞放香飛雪,人欲埋骨無棺。
     澄潭映水頭毛白,危嶂斷嵐霞彩丹。

編者曰,調寄一七令寫山、寫山描絵山、非常瀟洒的筆致

 

 

W 発展

    歩韵和《石倉鮟鱇先生一七令・山》閙着玩兒地試試看山海之仙境
                千葉県 今田莵庵
                        山。
                    耐苦,高攀。
                  千峡静,萬峰環。
               投杖握手,脱帽破顔。
             細看岩壁列,遠瞰彩雲間。
      登頂乾杯頒悦,回家語険思艱。
     勃然再興懐岑念,忽地忘憂陟意還。
        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
     岩礁波濤夙響沖,嬋娟浴態将開蕾。
      船窓烈日斜侵,舷側潮香焦待。
        潜水数千尋,光霞幾百倍。
         海帯踊揺,魚鱗鮮彩。
          麗城姫,竜宮宰。
           乾始,坤在。
               海。

  編者曰,翻用石倉鮟鱇先生之筆致、更加想出了一個好構思很妙

 

  填巻末的余白戯吟三首   編集子 鮟鱇
    回文曄歌・夕月涼

   晩好    曄歌・風透簾。添涼晩好,月明檐。
  涼  月
 添    明  回文詩
  簾  檐    添涼晩好月明檐,好月明檐風透簾。
   透風     簾透風檐明月好,檐明月好晩涼添。

    回文坤歌・癲狂飲

   狂癲    坤歌・風起天。涎垂促宴,飲狂癲。
  飲  風
 宴    起  回文詩
  促  天    涎垂促宴飲狂癲,宴飲狂癲風起天。
   垂涎     天起風癲狂飲宴,癲狂飲宴促垂涎。

    回文坤歌・空學男

   酣酣    坤歌・空學男。酣酣醉夢,説奇談。
  男  醉   
 學    夢  回文詩
  空  説    酣酣醉夢説奇談,夢説奇談空學男。
   談奇     男學空談奇説夢,談奇説夢醉酣酣。

五月号 完

 


六月號

詩を作る態度−私の場合 其之二  逍雀野叟

 私は詩の題材として、日常の有りの儘を写す事にしている。だが、有りの儘の姿を写したからと言って、其れだけでは「詩」にはならない。詩とは心の発露であって、心に何事も無ければ詩は出来ないとも言える。

 どんなに稚拙な言葉であっても、思うところが有れば「詩」で、思う所が無ければ、幾ら美辞麗句を書き並べても、言葉遊びでしかない。

 人が時間の経過の中で、何を思うのか?思わないのか、は、個人個人の心の有り様に帰着する。嘗て竹の子の詩詞を幾篇か作った。八百屋の店先の竹の子を見て、子供の頃を思い出し、売って小遣い銭を稼いだことを思い出した。雪折れの竹と、若い頃の世間知らずを重ね合わせ、根曲がり竹の話を聞いて壮年の同僚を思いだし、枯れ竹と自分の人生を重ね合わせもした。

 だが世間一般には、景を写すだけで、心のない作品も「詩」の範疇に入れられている。
@景を写して景と成る。観光案内の類である。
A情を述べる言葉は用いているが、実は景を述べているに過ぎない。悲憤慷慨喜怒哀楽の類である。

 これら@Aの作品と、心の発露を写した作品とは、基本的に姿勢が違うので、分けて扱うようにしている。
 心の発露は目を瞑っていても、横になって枕をしていても湧き出る。また景を見て、心の奥底にある思いを導き出す事もある。眼前の景は思いを導き出す働きをするが、異なった景に触れても、同じ思いを導き出す事も有るのだから、心と眼前の景とは同一ではない。

 詩詞の鑑賞者は、景を読んで内面の心を探ろうとするが、詩詞の創作者は、心が既にあって、景は其れを演出するための小道具である。だから同じ心の思いを海の景を写して表現する場合もあるし、山の景を用いて表現する場合もある。即ちどちらが適切であるか?に依る。

 心に対して景は演出の小道具であるのだから、景が余り力強くなるとその分、心が陰に隠れる事となる。その案配が肝要である。

 私は、心を主、景を従として、その案配に注意している。

 

平仄をめぐって    石倉秀樹

 漢詩にはわが国の詩歌にはない特長として、「平仄」と「押韻」があります。そして、特に「平仄」は、世界の詩歌を見渡しても他に例を見ない、中国古典詩に固有のものといえそうです。

 「平仄」はとても面倒です。漢詩を書くために漢字一語一語の平仄を調べることは、われわれ日本人が小学校以来の長い時間をかけて学んだ漢字を、もう一度学習し直すことにも似て、厄介です。そこで、われわれ日本人が漢詩を書くにあたって、なぜ平仄に従わなければならないかと疑問を抱く人が少なくありません。

 これらの人々は、われわれは漢字を知っている、その漢字を自由に駆使し、思うところ(志)をなぜ自在に詩に託せないのかと考えます。そして、押韻については、フランスやイギリスの詩にもあるから、まあ遵守しなければならないか、などと。

 しかし、それらの考えの背景には、現代日本という特殊な時代と状況のなかで、われわれがなかば無意識に培った詩観があります。詩は芸術であり、芸術は人間の自由な創造であり、したがって「詩」は「自由」に書かれなければならない。多くの日本人にとって、詩と散文の違いは、散文は意味がよく通って万人にわかるように書かれるべきものに対し、詩は、詩人の言葉に対する真摯で純粋な帰依を表現するもののように考えられています。そこで、作者の感性や言葉をめぐる霊感が大切され、われわれ読者は、優れた詩を書く詩人は、感性と霊感に恵まれた「天才」だと考える。

 しかし、「凡才」が詩を書くという立場に立てば、われわれが共有する現代日本人の詩観ほど、無意味で非生産的なものはありません。一方、押韻に加え平仄によって、カンジガラメにされている中国古典詩詞ほど、便利で生産性に富んだ詩の世界は他にありません。

 天才詩人は自分自身の個性や感性や霊感の赴くままに自在に言葉を操り自由に詩を書きます。しかし、凡才は天才のように自分自身に内在する能力をたよりに書くことはできません。そこで、平仄。詩譜や詩譜に書き定められた平仄をナビゲータとすれば、出来のよしあしは別として、とにかく詩が書けるようになります。

 詩を書くにあたって、無駄をなるべく省くことを考えるなら、自分が天才であるか凡才であるかを最初に考えてみることが肝要であると思います。わたしは、自分自身の天才を信じていません。そこで、平仄と押韻の中国古典詩詞を書いています。

 また、わたしの立場からは、中国古典詩詞を書きなが平仄を軽んじる人は、自分自身の天才を信じているように思えます。たとえば、書きたい句が頭に浮かんで、平仄にあっていなかったとします。この場合、書きたい句を平仄にあうように書き直すか、あるは、平仄を捨てて書きたい句にこだわるかということが、漢詩では問題になります。平仄にあわせて書き直すのが 凡才の道、もとの句を重んじるのが天才の道です。

 われわれが共有する現代日本の詩観では、詩人は選択の余地なく書きたい句を書くしかないが、漢詩の世界でその書きたい句を、平仄をあわせるために無残に打ち砕かなければならない、そういうことが頻繁に起こります。

 言葉を練り直すということは、もちろん、詩一般で行われることです。いわゆる「推敲」です。しかし、詩一般では、この推敲は、自らの語感や感性や天才をたよりに行われます。一方、漢詩では、それ以前の推敲として、平仄に合わせるための推敲を行い ます。

 この推敲は、天才にとっては言葉を無意味に規制する外圧であるかも知れません。しかし、凡才にとっては天が与えてくれた試練にも似ています。

 人さまに読んでもらう詩は、一般に、推敲するにこしたことはありません。しかし、おおむね凡才は、何をどのように推敲すればよいのかがわかりません。そこで、せめて平仄に合わせるための推敲に腐心するぐらいのことは、やった方がよいと思います。

 

 

T 詩

  恭賀葛飾吟社《梨雲》創刊  河北省 王 敬愚
梨樹開花似雪雲,通身潔浄不沾塵。
霜濤席巻時時舞,緑葉吹風陣陣吟。
蜂遂林間忙採蜜,香飄異域更宜人。
穿天越海傳詩韵,推啓壺x側耳聞。

 

    回文七律・廬山途上之作  千葉県 中山逍雀
         (用中華新韵)
順読
懐留筆達苦無踪,廟塔晴嵐緑樹叢。
堆起雲峯雲靉靉,接來霧澗霧濛濛。
衣沾草露才花白,杖曳泉飛已葉紅。
誰寄袋嚢詩骨健?危岩磴桟徑重重。

倒読
重重徑桟磴岩危,健骨詩嚢袋寄誰?
紅葉已飛泉曳杖,白花才露草沾衣。
濛濛霧澗霧来接,靉靉雲峯雲起堆。
叢樹緑嵐晴塔廟,踪無苦達筆留懐。


註:回文詩の場合は、順といい、倒と云います。
註;「健骨詩嚢袋寄誰」;詩を入れる袋と云う意味で、矢鱈と難しい字があるのですが、JISコードにないので「袋」としました。

  次韵曹勤立先生原玉   千葉県 中山逍雀
 “大湖”萬頃落花津,画閣朱橋衆美純。
  従浄境君音信絶, 到来一紙憶清真。

 

  フ挙初孫       千葉県 秋山北魚
蘭孫若玉玉無瑕,頻喚英名満座譁。
只欲阿翁強益寿,老牛耽愛是吾家。

 

  梅雨閑詠     千葉県 三宅遥峰
小斎黙座寂寥心,日暮思詩又苦吟。
閣閣晩蛙池鯉躍,疎疎雨脚緑陰深。

 

  黄金週       千葉県 高橋香雪
連休五月幾回游,電也汽車満滞留。
赤足児童沙上戯,碧天潮湧水悠々。

   “草津温泉”     千葉県 高橋香雪
街中處處湧温泉,熱気噴煙阻目前。
風疾切傷大都治,“外湯”緩帯月娟娟。
註;外湯是露天澡盆  
註;風疾切傷大都治:風邪も切り傷も大抵治る。

 

  寄王俊卿先生      千葉県 小畑旭翠
六義徒聞歳月更、風騒杜撰漫吟情。
聾昏要学文雄賦、一語救詩応啓蒙。

 

  雨中白鶩       東京都 齋 遊子
雨細池塘緑,圓紋生滅稠。橋欄閑散客,白鶩獨逍游。

  雨中“護摩法会”    東京都 齋 遊子
 “護摩法会”紫烟横,縷縷心経對俗情。
  半日忘機人若問, 浮嵐霖雨聴檐聲。

  雨余幽巷       東京都 齋 遊子
涼風動葉払朝露,老漢排門趁夕陽。
玩倦兒童急徑路,漾來烹菜醤油香。

“逆縁”痛切;因交通事故死去伉儷  東京都 齋 遊子
鈴響一報断人腸,父母無言渾失光。
聞道“逆縁”新墓下,令慈洗石呆焚香。
註:鈴響一報;電話鈴告一報

  題“山口文江女史都議選挙出陣式 於練馬高野台駅頭” 東京都 齋 遊子
出陣式典煙雨中,駅頭気勢勢如虹。
美人決意憂家國,第一聲聲烈々風。

 

  寄調鶴頭格諷時亊    東京都 石倉鮟鱇
(其一)
鈴鈴鉄馬北風號,木兎遙鳴夜寂寥。
宗匠大都談故里,男装才媛覺寒宵。

(其二)
鈴語本來簷底清,木瓜夏發故土榮。
宗臣莫侮塞北志,男子氣豪馳美名。

 

  “長岡中学”畢業五十周年同期会   神奈川県 山田鈍耕
畢業当経五十年,垂髫多半半黄泉。
高楼宴会別天地,白髪酣歌夜不眠。

  弔悼 古詩藏頭格   神奈川県 山田鈍耕
吉祥天女貌,田舎散花壇。昆翼於家業,彩筆見肺肝。

  哀  詞    神奈川県 山田鈍耕
家庭副業日歓娯,天寿九旬白玉壺。
彩筆芳箋共濺泪,香烟穏穏鎮霊區。

  秋日訪飯能窯     神奈川県 林 凱風
紫菊西郊路,窯煙入暮林。晩楓零不尽,残照止黄金。
坐見新陶色,方知古淡心。写描清野景,秋思最相深。
(註)飯能窯在埼玉県飯能市

 

  古詩換韻格題“江島電鉄”迎接百年周年  千葉県 今田菟庵
“江島電車”経百年,去来世紀自遼然。   (先韻)
 伝記沿線千載史,慶賞味舗百福氈。
 回顧経営年如水,今猶単軌曲曲旋。 
 古来“大山”信仰道,詣後巡礼遊“江島”。(皓韻)
“明治横濱”洋人封,“湘南”居住百花重。 (冬韻)
 高楼豪邸遂年建,朱甍白壁映群松。
 史邑“鎌倉”尚武鎮,名将敢欲破堅陣。  (震韻)
“稲村崎”崖高岩嶮,“七里濱”渚荒濤潤。
 降旗成否懸青浜,祈祷海神投白刃。
“極楽寺”坡開一隅,緑陰小站客人無。   (虞韻)
 戦禍東京蒙劫火,流浪文人遷住夥。  (可韻)
 文芸再興燃詩魂,仰瞻大仏倣露座。 
“康成”執筆竹間窓,“三汀”尽舐瑠璃缸。 (江韻)
“次郎”没頭巴黎乱,“虚子”高揚俳風幢。
 星霜伝承文学館,文豪墨躍短檠○。  ○=「金工」
 修学旅童来又去,照紀年相互幇助。  (御韻)
“由比”海濱午風微,衝風向沖乳燕飛。 (微韻)
 黒衣青春興“沖浪”,蟠海乗波弄寒威。
 砂上拾遺桜貝殻,潮路遙思湿客衣。
 若宮大路最殷賑,源家武神已春尽。 (軫韻)
 磴左猶存銀杏株,留痕兇漢殫才尹。
 回頭開幕八百年,電鉄将開近代敏。
“円覚”“建長”古刹隆,南宋名僧陸続東。 (東韻)
 粉壁山門松籟下,一陣洗塵對晩虹。

 

 

U 新短詩

  瀛歌一首        千葉県 高橋香雪
細雨慈。収穫梅子、翡翠肌。水稲育成、綉球簾窺。

 

  曄歌一首        千葉県 中山逍雀
稍微笑,樹発芽節,数葯丸。

 

  曄歌二首        東京都 石塚梨雲
榴花然。一簾微雨,紅鮮鮮。
曉池塘。鳥啼魚躍,水煌煌。

 

 

V 漢 俳

  寒山寺         千葉県 三宅遥峰
古寺煙雨中。老僧点筆写巻軸,朋友此情同。

  本土寺         千葉県 三宅遥峰
煙雨紫陽花。巡池望山緑陰深,午閑似仙家。

 

  楠 樹         東京都 齋 遊子
巨樹蔽天弧。魑魅罔兩跳梁世,悠然照一隅。


                 東京都 齋 遊子    
閑寂霖雨裏,忽聴心経読誦聲。一山萬緑清。


               東京都 齋 遊子
雲斥霖雨霽。幽巷排門趁夕陽,漾來炊飯香。

 

 

W 詞

  望江南・蘇州点景四闕  千葉県 小畑旭翠
  1.運河公園
運河暁,暁柳宿霞深。船笛響衢人未起,春眠不覚古猶今。待渡聴春禽。

  2.望亭鎮
望亭柳,嫩緑淡煙中。萬縷絆思拈碧玉,一時翻意任春風。繊指意何窮。

  3.望亭鎮問渡路
江南好,風暖憶童時。麦隴似潮応見緑,豆花多夢未知愁。更肯復何疑。

  4.蘇州工業新区
蘇州好,新区鴻図郷。改革精神孚大業,発展生意放輝光。高翊気軒昂。
評:中國との合弁事業に携わっていると、作品まで中国人と区別が付かない程よく似てきました。

 

  長相思・春 愁     千葉県 秋山北魚
  雨聲忙,雨脚強,窗下開書想淡香。依依惜別章。
  夢醒時,愁來時,空濕衣襟憐玉姿。若爲書舊詩。

  長相思・憶遠君     千葉県 秋山北魚
  枕上香,別恨長,殘夢佳人在我傍。空愁在他郷。
  小窗妍,鳥聲娟,夢裡紅粧方堪憐。獨懷千里天。

 

  惜分飛・傾聽佳人獨唱  東京都 石倉鮟鱇
  靜坐西洋音樂会,翼翼無人放屁。艷冶如名妓,胡姫高唱悲歌起。  疑是嫦娥春降地,豐滿鷄胸滑膩。恍惚傷魂醉,暫貪佳梦忘塵亊。

  千秋歳・消殘悶     東京都 石倉鮟鱇
  霜頭多感,晩節頻深醉。生草舎,望名利,晋京修學業,翼翼爲官吏。常不怠,阿諛上司勤宮仕。
  善忍心酸亊,難訪風流地。心損耗,身衰退,故郷瞻皓月,普照危峰觜。消殘悶,無言嘆賞秋天麗。

  粉蝶児・梦化游蜂    東京都 石倉鮟鱇
  貪梦游魂,殘年當弄花蕊,出蜂房、向南廻翅。舞長衢,飛阨巷,穿過城市。渡晴川,將到冶春田地。
  乘風壟斷,悦目萬紅千紫,放秋波、相爭妍麗。弄甘言,誇艷態,宛如酒妓。醉芳香,吸尽縱淫甜水。

  繞池游・夏日山行   東京都 石倉鮟鱇
  有烟霞癖,重訪風流勝地。穿竹徑,入襟爽嵐氣。無言踏蘚,雖惱蝉声乘勢,僅能逃避,暑威隆熾。
  淙淙溪水,洗脚向天瞻視。層雲涌,皚皚繞山觜。艷如名妓,翻袖舞姿妖麗,合着雷鼓,煽情上帝。

  離亭燕・上紅樓    東京都 石倉鮟鱇
  窗外銀蟾潤美,樓上翠娥柔媚。良夜人當傾玉盞,歡笑陶陶酣醉。酒境對丹脣,誰不厭離塵世?
  我有龜頭鵠志,君有胯間花蕊。漸漸乳房高聳處,共願仙游閨裡。解帶脱衣裳,月照裸虫蝉蛻。

  念奴嬌・梦中情死   東京都 石倉鮟鱇
  老猶難斷,對花容如玉,龜頭逞志。促促上樓誇酒量,頻欲登仙泥醉。抱甕傾杯,賞花玩月,簸弄龍宮貝。秋波悩殺,胯間夜發芳蕊。
  騎馬散髪搖腰,丹脣呀喘,鞭策馳千里。舞態如蛇哇火焔,佳境時聽放屁。但願鶏鳴,尋常拂曉,不破吾酣睡。人將貪梦,清晨含笑情死。

  惜黄花・紫陽花     東京都 石倉鮟鱇
  紫陽花蕊,星羅優麗。正愛長霖,誇嬌態,獨鮮媚。聽否穿烟雨,縷縷歌聲細? 飲花露、女仙嬉戲?
  花上浮生,有不塵亊? 又白頭愁,青衫怒,赤心涙? 打傘無言歩,江畔風流地。暫目送、滿盈行水。

 

 

 『迎接新世紀中日短詩集』(葛飾吟社発行)が完成!

 ご希望者は、葉書又はファックスでご注文の上、頒価1,400円、郵送料300円、計1,700円を当社あてお送りください。(会費振込口座参照) 又八重洲ブックセンターでも市販されています。

▼ 現代中国を代表する詩人林林、袁鷹らの呼びかけで、昨年9月16日「迎接新世紀中日短詩交流会」が北京で開催され、日本から葛飾吟社メンバーを中心に12名が参加しました。これを記念して両国の格律短詩人によるアンソロジー(合同詩集)を編纂することになり、日中文化交流に関心の深い漢詩人、短歌人、俳人らに呼びかけ、作家で詩人の陳舜臣、歌人の窪田章一郎(故人)、俳人の金子兜太氏ら33名が協力、中国側は林林・袁鷹氏のほか、李芒(故人)林岫、鄭民欽氏ら老若男女53名、計86名の作品が寄せられ、このたび漸く完成しました。

▼ 中国側の作品は十七字詩「漢俳」(五・七・五)が主流で、これは新世紀中国詩壇の主流を形成しそうな勢いにあります。巻頭言で林林氏が「俳句が国際的に流行するのは当然その原因があるのであって、これすなわち日本文学の栄誉であります。むかし日本の俳人松尾芭蕉・正岡子規が俳句をして詩歌の独立の形体にしたてた功績は不滅であります」(俳句在国際流行,当然有其原因,這是日本文学栄誉。早期日本俳人松尾芭蕉・正岡子規把俳句当作詩歌独立的形体,功不可没。)と述べているように、近時中国詩壇が日本の俳句に著しく注目していることが解ります。

▼ このアンソロジーの一つの特色は会議当日の両国詩人の発言摘録です。このような詩作についての意見や質疑応答が記録に留められたのは極めて珍しく、その内容は短詩のあり方、短詩と現代、短詩の形体、季語と歳時記と云った問題から、典故や押韻と云った作詩技術の問題、さらにはアジア漢字文化圏の漢字統一と云った詩文を越える国際社会文化問題にまで多岐にわたっていて、わが国の詩壇、歌壇、俳壇でも大きな関心を呼びそうです。

▼ たとえば20字で綴る「五言絶句」と17字で綴る「漢俳」の関係について、林岫女史が自己の体験を説明した下りなどは注目を浴びるでしょう。彼女は最初「初試桜花雨、疑忘煙火語。風来一快襟、翠浪揺春嶼。」を考えていたが転句が気に入らず、これを廃し、承句の上に「浅立(しばらく立つ)」の2字を加え起句と結句を入れ替えたといいます。「翠浪揺春嶼。浅立疑忘煙火語,初試桜花雨。」見事な「漢俳」の成立です。起句と結句を入れ替える等の経験は俳人なら誰でも経験があります。ただ絶句の持つ起承転合の法則を、起転合とするか起承合とす
るかが問題だとしています。これを読んだ俳文学者の尾形仂氏は「日本の切れ字を思い合わせ、興を引かれた」と語っておられます。

                 (編集室)

六月号 完