漢詩詞同人誌13年7-9 文化交流漢詩詞結社葛飾吟社

七月號

  重陽と中山先生の応和詩を読んで   青海 李万修
  2000年9月『芸苑』に重陽と日本の友人中山逍雀との応和詩が登場したが、読後欣慕に耐えなかった。

  六十抒懐         重 陽
日月回旋六十春,瀟洒平仄百千吟。
古律旧格擾青絲,新韻又恋白髪人。

 これは重陽の数十年にわたる詩詞への倦ゆまざる追求の総括である。起句は凡ならず、深遠博大。いずくにか太陽は昇り、月は落ち、整々暦を経て六十年の春秋が過ぎた。幾十年の間、拘束されること無く吟詠歌唱を休まなかった。

 ここでいう平仄とは詩詞を指す。転句は彼の中国古典詩詞に対する見方と新韻の提唱に直接触れている。謹厳な「古律旧格」は必ずや人々の創作を束縛し、黒髪を掻きむしり髭を捻って瞑目苦吟することになるが、これは滋味とは云えまい。固定された字数、平仄、対杖・・・実に青絲の乱れや多しだ。

 そこで彼は、平仄に拘泥せず、格律に厳しからず、伝統を継承し、民歌を学び、新詩を鏡として、時代の人民が聞いて喜び見て楽しめる種類の新体詩を創建したのだ。こうして老年に入る歳に作り出された詩歌の理論は世に貢献した。新韻を愛し、新韻を語り、新韻を書く。まさにこれは「新韻又恋白髪人」ではないか!

 つぎに日本の中山先生の『重陽の「六十抒懐」に和す』の一詩。

  和重陽「六十抒懐」   中山逍雀
論詩捻句是青春,白髪紅妝幾千吟
新韻新詩適時勢,扶桑禹域両騒人
注:我今年才到耳順年了。

 この詩注を見ると、耳順とあるので、中山先生は已に六十歳の老人であることが分かる。注の中にたくみに用いた「才」の一字は、自分が今やっと六十になったことを意味するから、まだまだ若いのである。まことにこれ詼諧幽黙、活溌楽観、愛すべく敬すべき老いざるの老人ではないか! 詩に和して書し、情を得て真意は濃く、それを極めて人は感激する。「詩を論じ句を捻る」のは若い間は有為であるが、年をとると通常青年時代の精力はどこかへ失せ、胸に充ちる感情は重たくなる。

 ここでは既に白髪蒼々になっても、依然として童顔鶴髪、数千回も吟唱し、かくも詩歌に深く忠実なのは、なんと貴ぶべき精神ではないか。重陽先生老いて詩心衰えず、詩歌に対して照様無限に執着し、あわせてよく新韻を唱導し、一代の新詩風を開創したことは、実に敬うべし留意すべしである。

 「新韻」は新しく創られた詩体で、時代に合致し、時代と創作に応じたものであり、又これは歴史的必然でもある。転句は重陽の唱導する新韻への直接の賛辞である。作者は日本と中国両国の詩歌の詩人に対し忠ならんとして重陽に和したのだ。「扶桑」はわが国の日本に対する旧称である。(南史・東夷伝):「扶桑在大漢国東二万余里,地中国之東,其土多桑木,故以為名。後世以日本称扶桑。」王維の『送秘書晁監還日本』の詩句でも「郷樹扶桑外,主人孤島中。」と日本を扶桑としており、晁監は即ち日本人晁衡(阿倍仲麻呂)であって唐時代の中国官僚であった。

 「禹域」は中国を指す。大禹は水を治め各地を遍跡した。(左伝)「茫々禹跡,画為九州。」つまり古代の中国の彊域を指したものである。騒人は詩人のこと。屈原が『離騒』で屈原或いは楚辞の作者を騒人としたことに因る。李白の『古風』の「正声何微茫,哀怨起騒人。」蘆梭坡の『雪梅』の「梅雪争春未肯降,騒人閣筆費評章。」を経て「騒人」は詩人を指すことになった。

  緑陰試筆        中山逍雀
午枕薫風里,飄紅半是塵。
柴門無客訪,何処鳥声頻。
活計安吾分,時能詩友親。
吟詩猶懶出,執筆銭徂春。
日日黄粱夢,窓前緑已新。

 昼中、春風は花の香りを送って来て、しずかな眠りから覚める。「薫」の字を用い得たのは極めて好く、草の香り、又は花草の芳香を指し、風は香風となる。江淹の『別賦』に「陌上草薫」とある。已に暮春、紅い花弁は風に乗り空中を飄落する。

 唐の劉長卿の『逢雪夜扶桑山主人』に「柴門聞犬吠」の詩句がある。「柴門」というのだから、清貧の生活であって、高貴な客人の来訪はない。慰めは絶えず耳を悦ばす鳥たちの歌唱、気分はその音調に和しているように感じられる。

 自分のなすべき事は、安適の地がやる、慣れ親しんだ地で楽しめば完成に向かう。更に喜ぶべきは詩友と親しく会ってお互いに詩を詠み会うことだ。吟唱するようになってから、外へ出ることは懶くなり、数杯の酒を飲み、数句の詩を賦し、明媚な春光を送るのみ。日々美しい夢に会い、刻々新鮮の緑を鑑賞する。緑は生命に近づき、旺盛に近づき、憧れにちかづく。

 ここには一つの典故が用いられている。唐代の沈既済の『枕中記』に「蘆生住在邯鄲客桟里,秘道士呂翁嘆自己窮困不得志。這時,客桟主人正在蒸黄粱,呂翁拿个枕頭給蘆生,告訴他枕着睡有好処。蘆生听了,果真在夢里封侯拝相,享尽栄華。醒来時黄粱還没蒸熟。」とある。

 歴史上多少の人が”黄粱の夢”に行き着いた。が、注意すべきは、この”黄粱の夢”は消沈せず、積極的な新意を付していて、夢の美好,夢の現実を強調し、それは「窓前緑已新」なのであろう?この五言詩は中国の古典韻を極めた上で書かれているが、同時に彼が提唱する新短詩とも重陽が唱導する新韻体とも合っている。

   試和中山君『緑陰試筆』      重 陽
晨風巻簾外,紅雨化香塵。
閉門謝客久,著書鍵声頻。
時光奪分秒,創業仍須勤。
笨鳥先飛早,無意苦争春。
巧演黄粱夢,世事日日新。

 この一首は中山先生の詩に和し一脈相通じたもので、姉妹編と云えよう。

 朝の清々しい風がそよそよと撫でるように吹き、簾を巻き上げると、外は一片の暮春の風景、ちりぢりに散り行く桃花は風に舞い、空気のすべてに香気が滲みる。「紅雨」の語に典故を用い、さらに形象を顕し得た。唐の李賀の『将進酒』に「桃花乱落如紅雨」とある。毛沢東の『送瘟神』には「紅雨随心翻作浪」とある。

 房門を閉ざして、来訪者を謝絶して久しい。ここの「久」は長年朋友たちの訪問もない作者の心境を表している。心を伝えるのは著書による撰文立説。頻々として字を打つ鍵盤の音、この詩人はすでに現代化したコンピューターの作業を写している。時光は過ぎ逝き、光陰はまことに貴い。分分秒秒必ず奪って行く。だが仕事を創めれば,須く奮闘努力に還る。志は遠大、決心は堅固。これこそ貴ぶべき精神ではないか!これは又作者の老来の真実の写真でもある。

 笨鳥(愚かな鳥=訳者注)は早く飛ぶとは、一つの謙虚な認識である。意は苦々として春を争うのではなく、崇高な情操にある。これは宋代の大詞人陸游の『咏梅』の「無意苦争春」が原句だ。同時にこれを進めて用いた毛沢東の『咏梅』は「肖又不争春,只把春来報」と高尚な精神を託している。

 同様「黄粱夢」の典故については、蘆生の空虚な夢としなかったのを、「巧演」としている。実は実現できる夢なのだ。「世事日日新」を見よ!歴史のすべては前進にあり、世事のすべては変わってこそ新鮮な精彩を得る。新生は事物のすべてで成長を要する。無限の生命力があり、光明遠大な未来がある。(以下略)

 (黒竜江省中華新韵学会『新韵』2001年6月号より転載・今田述訳)

 

  古典漢詩詞の創作はあるのか?  中山逍雀

 日本の本屋で売られている中國詩詞関連の書物はその殆どが古典関連である。そして鑑賞と言えば、殆ど古典作品が対象に成っている。

  古典の鑑賞なら物理的に可能であるが、古典の創作は物理的に不可能である。古典創作と云う言葉の意味は、本来古典の格律に倣った創作と云う意味で、古典を創作するという意味ではない。

 日本詩歌を例に挙げれば、短歌も俳句も、格律を古典に倣ってはいるが、その用いる言葉から意味合い表現法まで、古典に倣って居る訳ではなく、時宜に応じて変化進歩し、決して陳腐な文化とは成っていない。

 漢詩詞は、日本と中國に共通する文化では有るものの、本質的には漢民族の詩歌である。そして現代中国に於ける漢詩詞の現状は、日本の詩歌文化と同様に、格律を古典に倣ってはいるが、その用いる言葉から意味合い表現法まで、古典の模倣ではなく、時宜に応じて変化進歩し、今を映す文化と成っている。

 そして格律、即ち聲韵の組み合わせは、新規参入の幾つかが有るものの、音韻が基本にあるので、古典と殆ど変わっては居ない。これは日本詩歌の音数律が変わらないのと同様である。

 日本人が漢詩詞を作る場合、古典漢詩詞の創作と言う言葉を屡々耳にする。この場合、格律はもとより、 言葉遣いから意味合いまで、更に物事の考え方まで古典に倣っている場合がある。この様な作品は「擬古」の作品と云うべきで、自己表現手段としての漢詩詞の範疇には入らない。現代人が漢詩を作る場合は、格律だけを守れば其れで十分である。

 

    中山逍雀作「松戸四季八景詩」をめぐって      石倉秀樹

 旅先での感慨を詩に託すということがひろく行われています。李白、杜甫、芭蕉。漢詩の世界では「旅游詩」と呼ばれているようです。

 わたし自身は感性雑駁で、北京秋天の満月と東京世田谷のそれの区別がつかず、旅の感慨のほとんどは「なんだ、そうか」で終ってしまいます。旅の詩は苦手、しかしそれでも、やはり旅に出ると、ひとつぐらいは作らなければならないかと思います。また現に書きます。

 「旅游詩」をまったく書かない詩人の存在を想像することは困難です。理由はわからないが、漢詩を書く者は必ず「旅游詩」を書きます。とくに日本の漢詩人はそうで、われわれ日本人は本能的に「旅游詩」を書きます。本能的とは、なかば無意識のうちについ書いてしまうというほどの意味あいです。

 しかし、このような旅游詩のありように明確な批評の眼を向けている詩人がいます。われわれ葛飾吟社の主宰である中山逍雀先生です。先生は「詩は志(ココロザシ・こころ)」であるとしたうえで、次のように書かれています。
「だが世間一般には、景を写すだけで、心のない作品も「詩」の範疇に入れられている。

 @景を写して景と成る。観光案内の類である。

 A情を述べる言葉は用いているが、実は景を述べているに過ぎない。悲憤慷慨喜怒哀楽の類である。

 以上は梨雲6月号「詩を作る態度−私の場合 其之二」からの引用です。上記の@、漢詩を書いた経験があれば、だれもが身に覚えがあるはずです。そして、旅先での感慨を詩に託そうとするなら、たいていは上記@の旅游詩になります。

 ところで、中山先生は、われわれの本能とも呼ぶべき旅游詩に対し、比較のうえでとてもおもしろい詩を書いています。「松戸四季八景詩」九首。先生個人のホームページに公開されていますので、ここでは題のみを紹介します。

  序  松戸讃歌
  1 春 高塚梨雪    松戸市高塚新田
  2 春 常盤平夜桜   松戸市常盤平
  3 夏 千駄堀緑波   松戸市千駄堀
  4 夏 江戸川花火   松戸市松戸江戸川堤
  5 秋 戸定館秋月   松戸市松戸
  6 秋 本土寺晩鐘   松戸市殿平賀
  7 冬 風早神社寒霜  松戸市上本郷
  8 冬 矢切暮雪    松戸市下矢切江戸川堤

 「松戸四季八景詩」は松戸市に取材した「観光案内」の詩です。 このことは九詩の題からも想像がつくことですが、先生みずからも、「観光案内」であるといっています。

 しかし、「松戸四季八景詩」を読んで驚くのは小生だけではないでしょう、まず最初に、ナンダこれは!があります。なぜ松戸なのか?であります。京都でも近江でも鎌倉でもなく、北京でも蘇州でもなく、なぜ松戸の四季であり、八景なのか?。。。なぜ松戸かといえば、中山先生は松戸に住んでいる、というのがわたしの見つけた答えです。

 これを糸口に思いをめぐらすことができます。われわれは旅に出かけて観光案内の詩を書き、中山先生は松戸に住んで自分の住む松戸の観光案内を書いたという比較ができます。そして、われわれが出かけるのはおおむね名所旧跡であり、中山先生が選んだ八景はその全部を松戸市民のどれだけが知っているかさえ疑わしいしろものです。なぜなら、松戸の風景のなかから、八景を選んだのは先生ご自身なのであって、古くから、また、市民に広く知られているものとして松戸八景があるわけではない。

 ここで、名所旧跡を詩材にすることと、自分が見つけた風景を詩材にすることの違いが問題になります。明確に意識するかしないかにかかわらず、名勝旧跡には、作者・読者に共有されている価値観、歴史、美意識があります。

 そういう場で詩を書くと、何が問題になるかというと、詩の巧拙が問題になります。その場所が先人によって詩に歌われていればその詩との比較があり、歴史があれば典故があり、風景が共有されていればその情景がうまく言葉によって表現されているかが問題になります。なぜなら、名勝旧跡を尋ねようという心には、みんなが美しいという景色の審美に酔い、みんなが知っている歴史に学んで教養めいたものを高めようという向上心があります。そして、この向上心は、「みんな」を基底としていますから、いざ詩を書くとなると「みんな」の眼が意識されます。そこで、うまく書こう、うまく書けているか、すなわち巧拙が問題になります。

 一方、自分が見つけた風景を詩材にする場合はどうか。自分が見つけた風景には、通常、情緒があります。情緒は本人にとっては美しいものであり、素晴らしいものであり、芸術的衝動に近い、そこで、それをもとに「観光案内の類」を書こうなどと思う人は滅多にいません。「観光案内」は芸術ではないからです。実際には眼に映り耳に聴こえたことを書き、感動の原因となった光景は書いているが感動そのものは書いていない場合が多いのですが、それを「観光案内の類」と思う人はいない。なぜなら、日本の漢詩人の意識は芸術の周辺をうろつきたがるからです。

 しかし、中山先生の「松戸四季八景詩」は、自分で見つけた風景を観光案内にしようとしています。その証拠に、先生は、松戸市内の風物を八つ選ぶにあたって、市内の地域に偏りがないようにバランスに配意して詩材を選んでいます。観光案内を書こうという意志が明確です。

 同じ風物を詩に書くにしても、観光案内とするかどうかで何が違うのかが問題です。観光案内としない場合の詩は、作者自身の感慨を読者に伝えようという人並みでない努力が求められるでしょうし、観光案内とする場合は、その風物に対する作者の強い愛情が求められると思います。もしそうでないなら、観光案内にしようとしまいと、作者の満足度はともかく、読者にとっては退屈なものになるからです。

 このように考えますと、作者自身の感慨を読者に伝えるための努力と、観光案内に徹して作詩することは、表裏一体をなすもののように思えてきます。観光案内で大切なのは、作者の愛する風物を読者が共有できるように書くことであり、個人のチマチマとした嗜好を超える客観性・普遍性へ向けての努力が求められます。この努力と、観光案内ではない詩をめざして自分の感慨を読者に伝えようとする人並みでない努力とは、どこが違うのか。

 そういう眼で再度「松戸四季八景詩」を読み返すなら、そこには、松戸を愛する中山先生の「志(こころ)」が彷彿と浮かびあがってきます。個々の句に書かれている風物は、ある種客観的で、先生ご自身の感慨めいたものはあまり顔をのぞかしていません。

 しかし、全篇を通じての印象は、無闇に明るい。松戸という町には世間に誇るべき四季があり、八景があって、そこに住む人たちはその風物をどうやら愛しているらしい、よそ者のわたしにはそういう印象が残ります。

 このような印象を生み出す言葉はとても強力です。先生の「松戸四季八景詩」を中国で読んだ方々がはるばる日本に先生を訪ねて来て、八景観光の案内を請うということがありました。この快哉事の原動力となったものこそは、先生が愛する松戸を詩に歌うにあたって、観光案内の詩作りという枠組みを活用して、自身の感慨を客観的に評価し、それに拘泥せず、読者が共有できる普遍性を見つけていくという努力であったと思います。詩は志であるといわれますが、美しい風景を前にしてふと湧いたような感慨などは、はじめから詩にはならないということでしょうか。

 

 

I 詩

  口  占         千葉県 中山逍雀
五尺青雲戴星耕,當年自識破風筝。
蓬頭未棄功名念,踐起脚來遥里程。
(註)破風筝;破れ凧;さっぱり揚がらない。
     踐起脚來;背伸びをして。

 

  ○挙長孫女     千葉県 秋山北魚
薫風颯颯送幽芳,新緑青青如綵装。
忽変欣欣仙女殿,蘭孫似玉自輝光。
(注)○は「敬」の下に「手」:ケイ,ささげる。

 

     “七 夕”         千葉県 高橋香雪
銀河欲滴夜三更,織女牽牛一段明。
子女揮毫托願望,飾竿揺蕩共幽情。

 

      山 河          東京都 石倉鮟鱇
冬雲映水浮櫻影,夏雨洗塵迎月光。
覓句春秋人易老,但知山海却風霜。

     流螢二首        東京都 石倉鮟鱇
梦裡沈沈輕霧青,殘魂瀕死化流螢。
天星如雨垂簾處,鼓翅火過池水渟。

  其二
月光不忍照流螢,溪響淙淙夜色青。
獨洗温泉數星處,半醒醉梦入幽冥。

 

     迎接新世紀旅中吟(承徳・北京)
       圓明園         千葉県 今田菟庵
圓明園跡佇斜陽,後葉触肌隣国殤。
礎石難忘久遠恥,柱頭鳩停浴余光。

      承徳普陀宗乗廟    千葉県 今田菟庵
“普陀宗乗”廟魁然,安井曾揮古寺妍。
只管求仙登石磴, 深紅壮壁聳連天。
(註)安井=安井曾太郎。洋画家代表昭和日本。

    于承徳欲見牛伯忱先生不能,却見孔憲科先生。  千葉県 今田菟庵
承徳景勝育佩文,騒人碩学並相聞。
想見一下好詩癖,不見牛君見孔君。
(註)我想見面牛伯忱先生,可是不在牛先生,因此見面孔検科先生。

      登金山嶺長城      千葉県 今田菟庵
金山嶺上陟長城,千里遥望斑緑程。
蒙古小童我糾纏,利薄雑貨養窮生。

      蘆溝橋          千葉県 今田菟庵
欄干獅子起晨涼,轍跡刻伝往古商。
馬可波羅賛美極,蘆溝橋頭客慌忙。

 

      金山嶺長城        千葉県 小畑旭翠
金城幾聞千軍骨,鉄壁呼喚萬恨腸。
雲淡峰重秋至未?関中塞外暮山蒼。

      避暑山荘         千葉県 小畑旭翠
覇業浮沈沈八旗,山荘主去去何之?
楠殿素瓦風痕浅,二帝豪華説向誰?

      澹白敬誠殿        千葉県 小畑旭翠
玉座依然龍貌躍,殿中今尚旧香留。
星移物換人民世,游客帽擔紅樹秋。

      四知書屋         千葉県 小畑旭翠
乾隆御筆対晴空,壁上詩篇伴爽風。
硯蓋軽塵何不払,倍時秋信半荒叢。

      既望月          千葉県 小畑旭翠
禹域傾杯如在家,良厨美味向人誇。
相逢相見既望月,亦話異郷蹤跡譁。

 

    祝山口文江女士之当選、東京都議選開票之日  東京都 齋 遊子
同志相携挺一身,欲開難局挑酸辛。
請看山動共鳴起,勝利栄冠爲庶民。

   2001年東京都議選、寄“生活者ネットワーク”之勝利述懐  東京都 齋 遊子
改革風號六月天,舊派無策貪惰眠。
年来萬民望変化,変化俄兆気如燃。
情勢混沌投票日,趨勢難辨甲耶乙。
我曹凛乎對威風,威風終始因貫一。
浮票不少寸心私,立脚生活得支持。
勝利芳醇達磨眼,墨痕一擲百年規。
(註)浮票;流動的選票

     断梅暮色          東京都 齋 遊子
一天欲暮暑威収,歸鳥聲遥気似秋。
拭汗解衣臥清簟,亂雲開處月如鈎。

     溽暑偶成          東京都 齋 遊子
梅天無雨汗淋漓,不動不言精気萎。
強到聖堂凭机案,模糊老子夢中辭。

     雨中深大寺吟行       東京都 齋 遊子
朱退山門閑受雨,緑沾院落浄無塵。
石碑刻刻語征戦,錦鯉游游弄燦鱗。
探勝路傍佳景足,誦經聲裏苦吟頻。
梵宮千載蔵霊験,賽客一心追善因。

     東京盛夏          東京都 齋 遊子
盛夏東京晝,炎街恰似煮。藍服人不語,碧宇鳥何嗷。
天上大風吼,庭前小樹騒。衰顔唯懶出,檐馬獨吾曹。

     旱天偶成          東京都 齋 遊子
貫天唯一碧,萬物絶無聲。行看鐵石街,楼屋稠密列。
汽車排気奔,冷房吹垢咽。人口千万都,随所堆蓄熱。
一夜歓雷雨,酷暑滅無由。連日抱疑懼,水庫猶不足。
有志求虎兒,無謀投虎穴。軽心就文明,崇銭注心血。
誰思明年事,庶民貪歓游。

    炎昼憂地球温暖化現象     東京都 齋 遊子
午夢醒來風鐸前,獨空欲雨仰炎天。
耐憂暑熱異常相,須爲兒孫保美田。

 

     游“陸中海岸”      神奈川県 萩原艸禾
懸崖千里客舟行,投餌可看群鴎争。
忘我凭舷天下勝,蒼濤洗暑水雲晴。

    “川崎民家園”写生会    神奈川県 萩原艸禾
林間把筆市街遐, 並立古風田里家。
緬想故郷蓬屋景, 画中含艶紫薇花。

 

     藏頭格四首        神奈川県 山田鈍耕
岡陵平原守泰平,
田翁嘗勤警備兄。
春陽橋畔垂釣絲,
美醪傍在便濯纓。

荒肆青年眄蒼穹,
井井丹心見神功。
範式才覚聊違俗,
雄傑当年気力充。

益者三楽共一天,
田翁情熱酒中仙。
展望光陰撮影材,
行雲流水留鏡前。

中原遂鹿不辭難,
央央意気正渺漫。
愉道奉職功更倍,
爾来公司不知寒。

 

 

新短詩


   曄歌一首            東京都 石塚梨雲
  竹気蒼。清晨独坐,一草堂。

 

 

V 詞

    満江紅・承徳避暑山荘回顧   千葉県 今田菟庵
  澹泊敬誠,仰扁額,題依諸葛。願文治,康熙開礎,乾隆曠達。何測裔孫迎外敵,誰思洋鬼商煙薬?蛮賊侵,炎禍毀圓明,従強奪。
  千里走,荘壁豁。萋萋野,巍巍岳。渺然環八廟,瑞煙超抜。承徳刻名懐両帝,留詩留画斯文活。四庫存,湖畔彿盛時,文津閣。

    春光好・普寧寺        千葉県 今田菟庵
  普寧寺,喇嘛群。読経勤。吹管声喧喧,叩鐘響殷殷。千手観音迎我,満堂忽浴瑞気,信徒拝跪投五体,思乗雲。

 


    玉京秋・秋 吟        東京都 石倉鮟鱇
  天晩霽,蒼蒼月臨照,樹顛妍美。仰聽殘蝉,夜鳴聒聒,含愁憔悴。人喜新涼爽快,吸風虫、知不臨死? 難霑醉,奄然傷感,暫時酸鼻。
  重振精神揮涙,試裁詩、專心致志。獨佇閑庭,埋頭覓句,發揮才氣。仄仄平平,七歩處、吟得風流精髄。又乘勢,高唱無端放屁。

    隔浦蓮近・獨賞佳景      東京都 石倉鮟鱇
  鳥鳴風爽夕霽,仰看虹華麗。曳杖穿林徑,人無藝,山吐氣。幽探貪雅意,裁詩處,欲暮斜陽逝。
  送河水,浮光瀲瀲,無言傷感情倍。余生幾許? 當賞絶佳風致。可惜荊妻愛世亊,離鄙,上京游興留滯。

 

七月号 完

 


八月號

     詩を作る態度−私の場合 其之四   中山逍雀

 詩を創作するとき、何を一番に探すのでしょうか?其れは自己の思いです。

 自己の思いは何処から出てくるのですか?飯を食っている時でも、テレビを見ているときでも、人と話しているときでも、ふっと脳裏を過ぎります。

 もう一つ、物見遊山の時です。自然の景物を見、歴史を感じ、談話を交わし、一寸気を休めた時、突然に脳裏を過ぎります。

 何れも咄嗟に捕まえないと消えて無くなります。自己の思いが見つかったらどうするのですか?小気味よい言葉に綴る!是が即ち「詩」です。

 言葉に綴るとは何を言うのですか?思いを表現するために都合の良い着物を着せるのです。新緑と残桜を書いて、時間の推移と新旧の交代を表現し、梵鐘を登場させて、無情を表現するなど、表現の方法は千差万別にあります。

 景物の描写は、自己の思いを表現するための方途で、目的では有りません。是を弁えませんと、何を言はんとするのか解らぬ作品が出来てしまいます。

 例えば山登りをしていて、自己の思いを掴み取ったとします。其れを題材に詩を作ろうとします。その日の行程を有りの儘に表現します。是では主客逆転です。

 景物描写は詩情表現の手段なのですから、山登りをしたなら山を描かなければならないと言う訳ではありません。海を描いた方が良ければ海を描けばよいのです。

 

 


I  詩

   題美術明信片妙高高原早春之景  千葉県  中山逍雀
兩樹梢頭向碧空,“妙高”遠岫白雪中。
逃炎欲赴閑天地, 五彩吹襟道不通。
  (注)絵はがきを貰ったお礼

        苦 熱        千葉県  中山逍雀
驕陽拂雲對回風,痩骨解衣燎長空。
仄仄平平何事好,青蝉脱殻七年功。
(注)暑くて暑くて頭が混乱して仕舞いました。(起承錯綜對)

 

       寄新宰相        神奈川県 林 凱風
生手宰相翕民心,改革長光不可侵。
遮日妖雲多出没,天工冀送暁鶏音。
  (註)生手;新米で不慣れな

 

       童謡“月之砂漠”    千葉県 高橋香雪
駱駝砂漠旅,千里月団団。兩伴去何処? 金銀比翼鞍。

 

        檐 鉄        神奈川県 萩原艸禾
浴余団扇夕陽墜,檐鉄丁東衫子季。
始覚乾坤月一鉤,虫声喞喞新涼至。

 

        処 暑       東京都 池田 薫
日暮“大川”灯影浮,風来柳岸暑威収。
無端雲鎖中天月,  叢樹蝉声一段愁。
(註)大川謂在東京隅田川

 

    謝中山栄造先生恵贈我梨果   東京都 斎 遊子
嘉果熟成梨雪郷,一朝不料到茅堂。
団欒老弱欣欣賞,香気滴来甘露漿。

       新涼夜坐        東京都 斎 遊子
浴余倚几弄新涼,連日残炎已耐忘。
静夜欲闌童恣睡,蟲聲環屋月如霜。

       辱暑杜門        東京都 斎 遊子
辱暑難勝晝杜門,蝉聲断続蔽南軒。
切望蒸気凝為雨,天外促雷傾盡盆。

      夏夜涼風        東京都 斎 遊子
涼風鳴葉月東天,午熱無痕轉爽然。
蟲語未聞清簟上,酔餘高枕自催眠。

       新涼多恨        東京都 斎 遊子
雨洗殘炎一氣秋,吟情淡々夜悠々。
忽思八月眞多恨,誰敢可言風馬牛。

     秋宵即事        東京都 斎 遊子
草蟲幽咽夜沈沈,満地月光孤客心。
静坐新涼拈句處,迷蝉撃宇作哀音。

       颱風偶成        東京都 斎 遊子
緩歩暴風威力強,将裨水庫招水殃。
沛然豪雨罩茅屋,又潤籬邊秋海棠。

       月下飲酒        東京都 斎 遊子
秀峰残照盡,明月上東天。餐館倚窗坐,傾杯獨黙然。

       月下飲酒        東京都 斎 遊子
月色如霜万象明,覓詩携友歩都城。
爽風吹斷柳槐路,碧水送来歌舞聲。
可賞旗亭新酒味,堪論韵事古人情。
醉翁長嘯銀河淡,促織啾啾露底鳴。

 

  逍雀老師與吟朋兎庵先生斎遊居士大勲漁父今秋旅遊河北地。聊聞訪問騒人故地済南。遥憶南宋大詞人李清照與清初正宗王士慎。亦祈念一路平安。         千葉県 小畑旭翠
秋来何処属貽上,花自飄零是易安。
白露寸心騒客懌,寄情高古共成歓。 
 (注)李清照号易安居士 王士慎字貽上秋来何処。秋来何処最銷魂,残照西風白下門。王士慎 詩「秋柳」花自飄零花自飄零水自流。一種相思,両処閑愁。 李清照 詞「一剪梅」

 

       偶 作         東京都 石倉鮟鱇
蓬髪敲詩禿,錢包買酒輕。醉生通梦死,飄逸樂風生。

       秋 愁         東京都 石倉鮟鱇
殘蝉鳴尽成塵土,老骨遺留聽乱蛩。
妙句千篇照秋思,閑人孤影倚梧桐。

       放 屁         東京都 石倉鮟鱇
蛩声有愁訴,詩興入中秋。忘我君佳句,無端放屁尤。

       秋 吟         東京都 石倉鮟鱇
靜聽蛩語月明中,靠酒試吟詩未工。
六尺漫愁加一椀,無端放屁損歌終。

 

       同期会旅游      神奈川県 山田鈍耕
天晴髪白断雲翔,再会枯腸歓笑長。
入社同期三陸旅,農場海岸共茫洋。

      戦争結束紀念日    神奈川県 山田鈍耕
銷亡酷暑上函関,警報時傳一境閑。
粛粛“天声”思往事,高鞋黄髪遍塵間。

       頌辞“介護共済会” 神奈川県 山田鈍耕
介士環視寸心紆,護持“健康組合徒”。
共存共栄閑生計,済済多士自鞭駑。
之字路地餘間在,会友丹心照一隅。

 

 

U 新短詩・漢俳

       瀛歌五首       千葉県  中山逍雀
開窗紗。好景不常,陋巷家。藍色紅色,開喇叭花。
麦秋季,佇故郷丘,回憶起。散在宅地,已故兄姉。
来病室。馬虎地聴,同意筆。益愴鬼神,做手術日。
到古稀。甚麼悟道,訪禅扉。華葉色鮮,禽鐘聲微。
過午天,昭和遺賢,也登仙。啾々地鳴,何処雉聲。

       曄歌五首       千葉県  中山逍雀
悄悄地,夜間釣魚。出草廬。
漢字“苺”,霜鬢懐新。在母親。
夏蝶兒。電脳字典,過午時。
不由得,首次蝉聲,二三歩。
“隅田川”,喇叭花渡,“朝顔市”。

       坤歌五首       千葉県 中山逍雀
恵生活。免費排列,花小鉢。
斗輸狗。虚張聲勢,小店酒。
不要慰,無縁余生。弄春榮。
空罐兒。悲哀姿態,被撒気。
出院后。医療訓練,妻指導。

       偲歌五首        千葉県 中山逍雀
知己相逢,互寄相思。秋蝶含羞,淡掃眉。
分手幾年,我在風塵。二八青春,一度春。
夢裏分明,君似梅花。客里孤枕,月映紗。
多感誰憐?恋字幾行?双鶴漸逢,夜殊長。
一窗明月,両瞳恋情。相説無語,却平生。

 

      曄歌一首        東京都 石塚梨雲
  海風涼,断雲飛処,月蒼蒼。

 

       瀛歌三首       千葉県 高橋香雪
祝五輪。北京大会,托勝因。青年集会,謳歌天真。
緑蔭新。碧花市催,紫紅鮮。杉子佳人,凉影満身。
聞亂蝉。暑假帰省,火雲天。弦歌鼓笛,夏夜円舞。

   漢俳・蝉停網戸 千葉県 高橋香雪
孤蝉停網戸,四足健能支一身。無言對老人。

     漢俳・閑居殘暑 千葉県 高橋香雪
來孫歸去也,翁嫗無爲靜似禅。北窓聽暮蝉。

 

 

V 詞

    寄調長相思五首       千葉県  秋山北魚
       懷 慕
老易悲,醉後悲,凭几窗前吾獨癡,偏思再逢期。
夕陽微,夕鐘微,哽恨蝉聲侵枕幃,暮鴉何處歸。

         弄 春  
一曲新,雅調純,心似胡蝶酒亦醇。華堂共麗人。
隔林聞,倚窗聞,鳥聲為吟破暁雲。弄春花気薫。

        洞 房
結合歓,共極歓,良夜相斟酒盞乾。何妨夜語闌。
月光妍,錦衣鮮,水鳥無聲風颯然。瑤池睡白蓮。

         愁 恨
綏筆稀,入夢稀,燈下含情恋繍衣。帳裏恨未歸。
舊年枝,舊花枝,帯緩秋聲霜落時,綺花經雨衰。

         艶 容
此日同,此夜同,羅綺佳人繍戸中。交情與夢通。
睡猶濃,與霞濃,展轉綾衣誰為容?早晨花影重。

八月号 完

 


九月號

詩を作る態度−私の場合 其之五    中山榮造

 漢詩と云うと、えらく難しい言葉で綴った詩歌と云う印象を持つが、私はそうは思わない。中國人が通常使う文字が漢字だから、伝言板に書くときも、手紙を書くときも、小学生の連絡帳も漢字で書くと云うことになる。

 当然の事ながら、日本なら漢字仮名交じりで書く俳句や短歌の詩歌の類も、中国人なら漢字で書く。俳句短歌が、小難しい事ばかり書いている訳ではないのと同じに、漢詩も小難しい事を書いている訳ではない。

 日本人の作品を見ると、往々にして回りくどく小難しい事を書いている作品に出会う。意味が判らぬので辞書を引くと、此が亦難しい説明が付いていて、作者に尋ねると得意然としている。

 こういう作品を「文字におんぶした作品」云う。私は自分の身の丈の作品を好しとしているので、あんたはそんなに偉いのか!と云いたくなる。

 日本人の作品には、文字におんぶした作品が実に多い。典型として矢鱈に典古を入れる人が居る。典古を入れるには、入れるだけの土台が必要で、典古を取り除いたら、只のガラクタに成って仕舞うようでは、おんぶしていると云わざるをえない。

 嘗て日本漢詩界の大御所が、当用漢字だけで漢詩を創った!と絶賛された。だが中國古典の代表格「論語」は千五百二十字の文字で綴られ、四百字の文字が有れば、九割強の文は表記できると云われている。日本の漢詩作家が、当用漢字二千八百字で綴ったと云う事にそれ程の意義が有るであろうか?意義と言えば、当用漢字二千八百字もの文字を使って、ようやっと作った!と言い換えるべきだろう。

 詩歌の本質は、平易にして人の心を擽る事に有る。

 

 

T 三翁曲阜放吟

1.曲阜拜訪孔子廟      千葉県 中山逍雀

       曄 歌
  電鈴止。曲阜一語,誘千里。

       十六字令
  時,陋巷屋擔野雀子。痩枝下,孔子爲吾師。

       慶宣和
  鳥瞰飛機隔海西,曠野幽谿。大厦突天已無畦,思史,弄耳。

       一絡索
  玉米穂肥畦曠,野亭三兩。縦横公路漲繁華,應有嚇,今方訪。

       凭欄人
  千里無疲双鞋軽,店舗攤床今古情。敬仰千載名,孔廟枯易榮。

       曄 歌
  玉院中。生意姑娘,動秋風。

       桂殿秋
  耽痼癖,任疎頑。高額字迹皺紋顔,蓬頭聊違俗。在身塵間,在心雲寰。

       望海潮
  孔門遺跡,聖賢國市,青衿順耳羇人。金聯兩行,黄瓦半天,堂堂七十儒臣。香煙混廛塵。識文武千載,慈徳三辰。庶民笑容気温純。     眼前百事猶新。語聲如楚雀,少女花唇。温暖熱情,彬彬有禮,吾應恥腐儒身。流水幾日淪。惑孔孫生意,覇業人倫。想残碑尋往事,星落意尤眞。
註:三辰;日月星;左傳・桓二 

       坤 歌
  也孔孫,不能猶勝,糊口繁。

 

2.斉魯紀行       千葉県 今田莵庵

       曲阜・孔林
  孔林松柏窺蒼天,子貢廬居跡粛然。七十五流看世変,自商自画祖霊前。

       済南・五三惨案碑
  導遊偶説午餐間,才女祖先閻錫山。碑録五三凄惨案,雖尋不応昧花顔。
注: 導遊=ガイド

       泰山黎明
  起床寅卯対星斗,旅館大衣双列扣。小閻将似閻錫山,予習観日査群友。

       泰山観日
  老郭泰山観日詩,嶺頭刻看未遂思。曦光望得層雲上,却倣撫摩無字碑(支韻)。
注:于山頂在郭沫若詩碑。詩中写上「撫摩碑無字,回思漢武年。」之字跡。

       泰山・五位松
  七千石磴封禅勤,避雨授松五位君。今日登山人陸続,架空索道得何勲?

       済南・漱玉泉
    山東大学学生参入旅行指南。
  跳突公園漱玉泉,李家清照詠綿綿。山東才媛青雲志,切切導游伝故縁。

      済南・跳突泉
  泰山落水沁岩清,七十二泉為錦城。来見秘憂開発進,名勝跳突消柔声。

       済南・大明湖
  大明湖上泛扁舟,柳蔭遙懐李杜游。少陵詩聯亭柱上,済南名士擬生愁。
注:小亭留聯寫杜甫詩一節「済南名士多,海右此亭古。」

       立黄河畔
  夕照籠中玉米柔,野翁欲売厖坡頭。眼前黄河東流果,斉魯雌雄争覇丘。

       東周殉馬坑
   春秋惻惻覇王薨,六百陪驥殉巨陵。打井驚人屍累累,山東黍圃鬼心凝。

       青  島
   山抱小湾解炎風,海泛軍鑑続寛沖。朱甍白壁往年影,青島介鱗◯酒豊。
 註:◯=口+卑 因没有電脳漢字

       軽  航
   山東一搏樂軽航,斉魯扶桑隣接郷。徐福何為求百薬,介鱗◯酒是天長。
註: ◯=口+卑  因没有電脳漢字

 

3.中国山東遊草      東京都 斎 遊子

      孔林即事
  亭亭松柏老,一境転幽沈。婆笑坐乾草,御驢通孔林。

      纏足繍鞋
  繍鞋矮小不尋常,纏足妃姫涙幾行。却見如今自由女,西東闊歩気軒昂。

   訪山東省見文化大革命之痕跡
  無情文革亦無謀,古仏佳域毀損稠。救国英雄汚晩節,老残迷女遂狂不。

      従青島向済南
  平原萬頃黍花香,遠近陌阡多白楊。急買西瓜停車處,秋天農事欲繁忙。

     秋日青島海浜午夢
  金風滌心肺,蒼浪鼓詩腸。不老始皇帝,豈還徐福航。未知先世国,毎憬海南郷。清昼白沙渚,水天何浩洋。

 

 

U 鴻鳴渡海

   満江紅・歩原玉奉和今田述先生     承徳 牛 伯忱
澹泊敬誠,非煩擾,易移諸葛。
(注1)園苑景;包容今古,詠懐暢達。
形勝超然揺緑嶼,風光○△堆紅薬。寫普陀,畫面色斑◇。

(注2)新世紀,天地豁,京華會,邀山嶽。憶年菊季,満堂翹抜。唱罷和歌吟漢樂,□来諸調宮商活。留雅韻,集得短詩魂,崇高閣。
   ○=方+奇,△=方+尼,◇=文+蘭,□=才+吉+頁。

 (注1)諸葛亮《誡子書》;“非澹伯無以明志,非寧静無以致遠" 源于 《易経・系辭》“不煩不憂,澹伯不失”
 (注2)2000年在北京好苑建国飯店有幸欣賞到今田述先生所以所絵普陀宗乗之廟水彩畫,神韻趣味倶佳,巧奪天工。

 

       和今田述先生  承徳 牛 伯忱
   好苑交流共論文,如今隔海両相聞。歌瀛俳曄興時體,比較騒壇我與君。

九月号 完