漢詩詞同人誌13年10-12 文化交流漢詩詞結社葛飾吟社

十月號

     詩を作る態度−私の場合 其六  中山逍雀

 日本人の作る詩歌に比べて、現代中国人が作る詩歌作品は、実に読みやすい。

 簡体字だから読みにくいとも云う人もいるが、日本の文字と中國の文字を一体化させようとするから出る苦情で、別々の國の文字だとすれば何ら支障はない。

 中国人の作品は、単刀直入に述べて、綴りは文法通りだから、平易に内容が理解できるのである。文字さえ覚えてしまえば、読むことにそれ程の苦労はない。

 読みにくい詩句には概ね二通り有り、文法面から見た構成が複雑な場合と極端に個人的思考の強い作品も読みにくい。

 難しい理念を難しい句で表現するのは誰にでも出来る。如何に易しい句で構成させるかが巧拙の分かれ道だ。独りで納得するのなら、文字として表そうが表すまいが関係がない。勿論わざわざ漢詩を創る必要などない。だから私は常に読者を意識している。

 十才童子の作品も九十才古老の作品も、同じ俎上に載せることが出来るのが詩歌だと言える。

 

    七言絶句の平仄のおもしろさについて  石倉秀樹

 日本語は美しい言語ではあるのでしょうが、欧米や中国の人々がやってきたように、押韻や決まった音数の句の繰り返しによって、言葉の美しい響きを見出すことが、とてもむずかしい言語です。つまり日本語では定型詩を書くことがむずかしく、欧米人や中国人がふつうに「詩」として理解できるものは日本にはない。

 そこで、われわれが詩とは何かを理解しようとするとき、どうしても「詩情」に頼ることになります。詩とは、あえて詩情とでも呼ぶべき高い感動を、作者に、また読者に、呼び起こす言葉の連なりであるとすることにして、われわれが日常使う「散文」と区別します。つまり、わが国には、「詩情」はあっても「詩」は存在しない。

 わが国の先人たちはおそらくそのあたりの事情をよく熟知していました。そこで、和歌や俳句という名を編み出す際に「詩」という言葉を使うことはしなかったのです。つまり、「和詩」とか「俳詩」とか。。。

 しかし、現代ではその境界があいまいになってしまいました。わたしたちは、和歌も俳句も現代詩も「詩」だと理解している。そして、漢詩も、統一されるべき「詩」概念(=詩情)のひとつに組み込まれています。押韻に間違いがなく平仄がどんなに整った絶句や律詩であっても、詩情に乏しいものは漢詩ではないという人々が多い。

 日本人であれば、漢詩をはじめて書いてみようとするときに、必ずつきあたる疑問があります。二・六同・二・四不同、孤平の忌避などの平仄をめぐる規律や、絶句・律詩における反法・粘法がそれです。わたしたちは、詩情が詩だと思っている。

 そこで、ひとつひとつの言葉をその声調(高低のアクセント)によって平声と仄声に分類し、コントロールすることが、詩情の発露にとって、どれだけ意味があるというのか、という疑問です。そして、この疑問に対して見出しうる最初の答えは、先人たちはそこに読誦の音楽的な美を見出していたのだから、それに従えというもの。外国語の学習ではではまず慣れろといいます。これとほとんど同じ答え。

 この答えは、わかったようでわからない。そこで、発露すべき詩情に重きを置いて、平仄はほとんど無視するに等しい書き手も出てきます。

 わたしは、わたしなりの考えですが、どれほどのものかわからないわたし自身の詩情にあいまいな形で拘泥するより、絶句・律詩の平仄そのものの面白さをきちんと認識して、その形式美を楽しんだ方がよいと思うときがあります。

 自然をうまく取り込んだ日本庭園の散策ではなく、人の手が加えられたことが露骨に主張されていて左右対称、円と方の均整を重んじるフランスもしくは中国の庭園、漢詩にはそういう場で遊び興じるという楽しみ方もあるのではないか。

 この観点から、たとえば七言絶句の平仄を見てみますと、その人工美に感嘆します。以下に七言絶句平起式の詩譜を二つ示します。

        I          II
 起句  △○▲●●○◎,   △○▲●●○◎,
 承句  ▲●○○▲●◎。   ▲●○○▲●◎。
 転句  ▲●△○○●●,   ○●▲○○●●,
 結句  △○▲●●○◎。   ○○●●●○◎。
   ○平声 ●仄声 △応平可仄 ▲応仄可平 ◎平声押韻

 この似たようなふたつの詩譜は、転句・結句が若干違っています。Iは小生が頭の記憶している詩譜をそのまま書きました。そしてIIは、Iを承句の末尾まで書き、転句からは承句の末尾から起句の頭へ平仄を逆にたどっています。ただし、転句の1字目は◎→○に7字目は▲→●に、結句の1字目は◎→○に、7字目は△→◎に修正しています。そうしないと、絶句にならないからです。

 次に、平仄のみを問題とし、韻の表示、△▲(いずれも平仄どちらでも可)を明示した絶句の詩譜の一例を示します。そして、これを上記I,IIにならい、展開してみます。

        V          W
 起句  ○○●●●○○,   ○○●●●○○,
 承句  ●●○○●●○。   ●●○○●●○。
 転句  ○●●○○●●,   ○●●○○●●,
 結句  ○○●●●○○。   ○○●●●○○。

 上記をご覧いただければ、小生の言いたいこと、もうお分かりいただけると思います。つまり、絶句の詩譜=平仄の配置には、起句承句で展開された平仄の律動を、転句結句でそのまま逆に展開しているという構造があるのです。右手で相手の左頬を右から左にはたき、返す手の甲で右頬を左から右にはたき上げる、そういうリズムでしょうか。

 ここから、絶句作りの決まりについてのいくつかの謎が、 解けます。

1.起句・承句の平仄をなぜ反法(両句の二・四・六字目の平仄を同じにしない。たとえば起句二字目が平声なら、承句二字目は仄声とする)にしなければならないのか。

 そのようにしないと、四句全部の二・四・六の平仄の配置がすべて同じになります。そうなると、右から左、左から右、上から下、下から上という「折り返し」の動きが表現できません。

2.承句・転句はなぜ粘法(反法とは対称的に両句の二・四・六字目の平仄と同じにする)にしなければならないのか。承句の平仄を末尾から逆にたどれば必然的に粘法になります。

 このような平仄の持つ形式美について、みなさんはどうお考えでしょうか。これまで申し述べてきましたことをもとに回文七絶を一首。

  吟蛩乱点雨淋淋,酔聴閑情幽夢尋。
  尋夢幽情閑聴酔,淋淋雨点乱蛩吟。

 

 

I  新短詩

  東京都 石塚梨雲
遠山平。柿熟秋光,白露清。

 

 

II 詩

     賀國際吟詩會       上海  張 聨邦
國際嘉賀集○濱,頻年盛祝友情親。 ○=病だれ+邑。
和平安樂無愁日,康健如心有福人。
賞覧景顴随意願,交流文化振精神。
旅游挿曲吟詩會,群彦高歌世紀新。
(註)國際吟詩會:2000年9月北京で開催された
「迎接新世紀中日短詩交流会」をさす。

 

 敬和張聨邦先生原玉“賀國際詩會”    東京都 石倉鮟鱇
招致東夷迎○濱,中華韵士教和親。 ○=病だれ+邑。
佳吟自古生交友,雅趣猶今勸愛人。
天地中心學要諦,扶桑茅屋養精神。
一衣帶水同明月,宜競東西詩興新。

 

      去何処          神奈川県 林 凱風
士操亡何処,淳風又有無。官争私国帑,民競詐輸租。
萬俗滔邦土,千門習狡沽。古賢桑海感,生気与誰倶。

      山中狂老人     神奈川県 林 凱風
飛機激突潰高楼,霹靂轟天更不収。
壁上熊熊焼背火,窓間片片乞援旒。
◯愚使嗾良民死,老獪欺逃悪計謀。   ◯=禾+中
執克得容迷妄業,他神亦罪廃墟頭。

 

   西班牙旅情之詩 十首      東京都  池田 薫
   1.塞歌維亜覧古
磴道逍遙花満街,聖堂比屋亦清佳。
古城如画思無限,楼塔厳然峙断崖。

    2.尋托菜夛
古街囲水在高臺,中世風容幽趣催。
城郭聖堂看不尽,栄枯如夢思悠哉。

    3.過平蕪
縹渺高原満目紅,黄花路畔望無窮。
孤高騎士去何処,多少風車映碧空。

    4.遊科尓多瓦
宏壮聖堂稀比肩,幽玄殿裡壁翕連。
古都花径遍如画,家屋芳庭情緒牽。

    5.塞維亜 賞西班牙広場
浅紫街林無限臨,鬱蒼広苑百花深。
半円珠閣奇如画,精緻外装延賞心。

    6.感嘆大聖堂
象徴塔影映蒼天,豪壮聖堂無比肩。
華麗祭壇驚嘆久,英雄棺柩正堪憐。

    7.遊密哈斯
素朴山村砌路斜,群居白壁媚繁花。
登高遙望太陽海,幽響鐘声思未涯。

    8.阿利坎特 登故城
厳然要塞在危巓,城壁望楼映碧天。
高塁登臨蒼海濶,白沙曲浦帯晴煙。

    9.過橘花海岸
群青海上満晴光,潔白砂浜望杳茫。
椰子街林添興趣,一遊此地所労忘。

    10.尋山上修道院
奇怪山容驚客情,厳然堂院奇崢○。 ○=山+榮
黒姿聖母尊無限,幽杳伽藍響梵聲。

 

   曲阜孔林偶成        東京都 斎 游子
春秋魯国遠来尋、穆穆古風滋味深。
墓苑商人静相語、村童絡我笑無心。
文革暴行頻連踵、批孔摧残夫子冢。
眼前修理雖已成、痕跡尚存客心悚。
龍虎千載空競勲、世界今日亂紛紛。
百鬼夜行吹妖気、何滅情理一貫文。

 

  偶 作          東京都 石倉鮟鱇
  不怕狂牛病,但憂昏○境。垂涎貪午餐,廓落心任性。
  (註)○=「耳貴」;ボケ

     厠所苦吟         東京都 石倉鮟鱇
嫦娥今夜爲誰陪? 豐頬入雲疎不才。
携書閉戸詩未就,久留厠所避塵埃。

     探 秋          東京都 石倉鮟鱇
金風嫋嫋環山廓,粉蝶飛飛紛菊花。
緬想故郷採山芋,斜暉何處路三叉?

秋 醉          東京都 石倉鮟鱇
促織吟歌迎兔月,霜頭帶酒叩家門。
荊妻不答胸襟冷,片刻仰雲醒醉魂。

 

 

V 詞


洞庭春色・游岱廟和泰山   千葉県 中山逍雀
  岱廟泰山,千閣龍祠,萬丈雲巓。恍然天下勝,正陽天睨,門門殿殿,古樹冲天。初次旅游,窺前看左,貨貨人人大道邊。神威厳,鬱鬱柏籟起,深邃幽玄。
  羊腸危路三千。銘刻詞詩顕己世上,衆山無大樹,更無渓水,崔嵬累累,醒不成眠。摩字懐賢,冒寒憐我,漸漸紅紅満澗煙。恩波洽,眼前迎旭日,幽境迴旋。

 

    寄調桂殿秋三首        千葉県 小畑旭翠

       友好宴
天色淡,近登秋。江東穀熟満蘇州。酌来芝蘭酒,一夕歓栄,友好風流。

       澄湖大閘蟹
膏満溢,舌留鮮。中秋口福不論銭。肥甘澄湖蟹,回味無窮,和酒陶然。

       定慧寺巷
留寺巷,過門墻。朝来市場桂花香。萬商相譁処,塔影千年,塔下声揚。
(注)定慧寺在蘇州市,尚存千年双塔 始建於宋太平興国七年(982) 寺域有定慧寺巷市場。

 

 江城子・于済南対五三惨案記念碑有感。 千葉県 今田菟庵
  五三惨案記念碑。済南施。我凝思。秘問導游,不答昧蛾眉。還後漁書探記録,関東猛,残傷悲。
  旅愁何促癒傷時。導游姫。偸桃児。日語流芳,更加学徒随。清照洗顔泉洌洌,遙回首,歳星移。


 水調歌頭・憂高橋啓司君遭紐育災難   千葉県 今田菟庵
獰悪弄奸計,霹靂襲青天。空中楼閣崩落,電視近看前。紐育元来当核,情報回流倏瞬,災害者先伝。那識君名在!災害者重伝。  
  今遙憶,如水館,繋芳縁。做媒受托,好漢佳婦見陶然。男女得児専健,美国保安奈惑?思両親呆然。秋日猶心怯,老耳仄残蝉。

    武陵春・聴巴黎衛士管楽隊有感  千葉県 今田菟庵
  黒管勤心導楽,薩克管寥寥。肩飾金色有條,絢爛繞梁調。
  忽想巴黎爽巷,管楽興蕭蕭。婦有吹笛繊腰,颯爽軍裳妖。
 (注)巴黎衛士管楽隊=Paris Garde Brassband
    黒管=clarinet。薩克管=saxhorn

 

       采桑子・別離       千葉県 秋山北魚
  空閨淡掃情旋轉,整整蛾眉 細細腰肢。新恨舊愁久別離。
  庭隅一葉稍留緑,彩不知移,色不知衰。開封相通連理枝。

 

 

十月号 完

 


十一月號

詩を作る態度−私の場合 其之七  中山 榮造

 中国語の手紙に疎い日本人には、詩詞の応酬が大いに役に立つ。例え手紙が書けたとしても、ラブレターでもない限り、応酬がそう長く続く筈もない。手紙は書面から嘘八百を見抜くことは難しいので、中身は余り当てにならないが、詩歌作品は、数読すれば嘘か本当か直ぐに判るので、相手の真意を読み間違えることは少ない。

 何れにせよ詩歌仲間の間で嘘を憑いても詮無いことだから、嘘を書き連ねる必要もない。前置きはこれくらいにして本題に入ろう。

 詩題に「次韵」「和韵」「用韵」等がある。此の詩題の基本にある主旨は、応酬である。応酬と云っても、相手が実在するとは限らない。だが、何れにせよ「次韵・和韵・用韵」等の詩題を冠した場合は、相手を意識して話し掛ける態度で無ければならない。

 応酬詩には3ッの要素がある。

1.相手の作品を読んで、その作品の一部か或いは全部か?何れにせよ同感する要素を選出して、同感の意思表示をする。

2.私はこうなんだ!こう思って居るんだ!と云う自己主張をする。

3.両者に共通する事柄を探し出して述べて結びとする。
 応酬詩の詩題なのに、中身は自分勝手なことばかり書かれていては、貰った方は一つも嬉しくない!

 

   なぜ唐ばかりなのか
  〜中山榮造「古典漢詩詞の創作はあるのか?」を読んで〜
                    石倉 秀樹

 わが国における中国詩の鑑賞は他の国の詩との比較できわだった特徴があります。その第一は、古き時代の詩が尊ばれていることです。

 わたしは学生の頃フランス文学を学んでいました。当時、仲間うちで話題に上った詩人は、ボードレールでありランボーでありヴェルレーヌ、マラルメ、ヴァレリー、アポリネール、アンドレ・ブルトン、ジャン・コクトーなど、フランス19世紀のサンボリズムや20世紀のシュールレアリズムが中心でした。18世紀のビクトル・ユーゴの詩を面白いという学生に出会ったことはわたしにはありません。

 また、隣りの英米文学に眼を転じても、TS.エリオットやアレンギンズ・バーグなど、いずれにしても近世・現代がしきりに読まれたのであって、今を去る1000年も昔の詩人を読み漁ることは、よほどの好事家でなければ、やらなかったように思います。

 しかし、漢詩の場合はどうか。わたしたちが親しむことができるのは通常李白であり、杜甫であり、王維であり、白居易、杜牧などなど唐の時代の詩人です。さらにとても根強い人気を誇っているのは六朝時代・東晋の陶淵明、今から1600年も昔の詩人です。一方、近世・現代の代表的な詩人といえば毛沢東などがいるのですが、その詩詞集を日本の本屋で見つけることはとても難しい。

 どうしてこういうことが起きているのかを考えてみます。まず思いつくところをいくつか列挙します。

1.李白や杜甫や王維など唐の時代はとても素晴らしい詩人を輩出し、彼らの作品の生命力は現代のわたしたちの鑑賞に堪えるものだということをまず最初にあげなければなりません。

 しかし、素晴らしい詩は他の時代にも天の星の数ほどにも書かれているのであって、わたしたちが唐の時代ばかりを漁る理由にはなりません。

2.そこで、わたしたち日本人が好むのは数ある中国定型詩詞のなかでもおおむね絶句・律詩である点を考えなければなりません。わたしたちには中国詩といえば絶句・律詩がすべてだと思っているところがあり、絶句・律詩といえば唐が最盛期・最高峰。そこで唐詩を鑑賞すればよいということになります。

 つまり、李白や杜甫が優れた作品を残しているから彼らを読むのではなく、絶句・律詩をすべてだと思うから彼らの作品を鑑賞すればよいと思っているわけです。

 ただ、絶句・律詩といえば唐、これは中国の人々の間でも常識らしいから、中国詩の入り口で学ぶうえではとりあえずは正しい判断に思えます。

 しかし、入り口が美しいからといっていつまでもそこに留まるのも問題です。わたしたちの美意識にはとても微細なところがあって、日光陽明門が美しければ、その彫刻や甍をひとつひとつつぶさに吟味して日が暮れてしまうようなところがないか?

3.わたしたちが日常使っている漢語すなわち漢字の語感は、遣唐使以前の遺産を大切に守り続けていて、そういう語感のなかでは李白や杜甫がもっとも親しみやすいということが起こる。

 そこで、毛沢東の詩詞よりも李白を読み杜甫の詩について過剰に詮索しているのかも知れません。過剰に、というのは、他に も詩人はたくさんいるのに、ことさらに二三の詩人をとりたててまつりあげている、というほどの意味です。

4.次に、日本の漢文学者が怠慢で、宋代以降の中国詩詞の紹介に力を割こうとしていない、ということもあるのかも知れません。この結果、たとえば蘇軾の数ある佳作のなかでも代表作は「水調歌頭」(詞)であるとわたしは思うのですが、これを知 る日本人はとても少ない、ということが起こります。

 中国では 李白の詩は小学校4年の教科書に載っています。そして蘇軾の「水調歌頭」は、高校生が学びます。日本のフランス文学者はフランスの大学生が学ぶレベルの詩も日本に紹介していますが、なぜか日本の漢文学者はそういうことに、あまり関心がなさそ
うです。

 つまり遣唐使の遺産で食っているのはわたしたち鑑賞者だけでなく、漢学者も、そうであるのかも知れない。

 唐詩を絶対とする思想は、単に鑑賞者にとどまるものではありません。わが国では作詩者も唐詩を見習うべき規範としています。わが国における中国詩詞のきわだった特徴のもうひとつは、外国語である漢語を駆使しみずから詩作に興じる人たちがいることです。

 数は多くないかも知れないが、英語やフランス語の詩を書く日本人にくらべれば圧倒的に多くの人々が漢詩を書いています。外国語で作品を書くことは、たとえば英語を母国語とするアイルランドのベケットがフランス語で劇作したなどの例がありますが、わが国の漢詩作りの特徴は、必ずしも専門的な文学者ではない庶民もやっていることですから、ほとんど奇跡に近いことが起きているわけです。

 しかし、その奇跡を支える市井の詩人たちにとっても、唐詩が絶対であることは変わりがありません。おおむね絶句と律詩ばかりを作っていて、宋詞・元曲などの宋以降の中国定型詩詞に挑戦しているのは、わたしたち葛飾吟社を別とすれば、皆無に近いのではないかと思われます。

 どうして唐ばかりなのかをわが国の定型詩、俳句と川柳との比較で考えてみます。俳句も川柳もともに十七音の定型詩ですが、わたしたちはそれを詠まれた言葉の内容によって俳句と川柳にわけ、さらに俳句になりきっていない句や川柳になりきっていない句(つまりは単なる十七音の短文)に分けています。

 俳句・川柳とそれらになりきれなかった句の区別の仕方をわたしは知りませんが、俳句と川柳をその詠まれる内容によって分けるのであれば、それらになりきれなかった句もまた、その詠まれた内容によって俳句でも川柳でもない定型詩ということになると思われます。

 つまり、わが国の定型詩は、句を構成する音数や押韻の有無といった純粋に音韻上の規律によって詩(あるいは句)として認められるものではなく、そこで詠まれた内容によって詩であるかどうかが認知されるものと思われます。

 ここでいう「内容」とは何かをわたしはうまく言葉にできません。ただ、俳句や川柳を詠むうえで、作者と鑑賞者の間の暗黙の了解事項として、俳句らしさ、川柳らしさということがわが国の文化では求められてはいないか。

 そして、この「らしさ」こそが普通の文と作品としての「詩」をわける基準として機能していないか。わたしが「内容」という言葉で表現したいのは、そのような「らしさ」のことです。この点、いちばんわかりやすいのは、俳句・川柳と十七字の文の比較ではなく、あるいは現代詩と散文の違いであるのかも知れません。

 いずれにしても、この「らしさ」ということを念頭に、わたしたちは俳句・川柳を詠み、現代詩を書きます。そこで、漢詩を書くにあたっては、絶句らしさ、律詩らしさを求めることになります。そして、その「らしさ」は、さまざまな理由から、今から千年以上も前の中国唐の時代に求められています。つまり、わたしたち日本人の漢詩は、わが国の
文物でいえばキトラ古墳や高松塚古墳よりわずかに現代に近い時代の詩人の言葉を手本に、日々の感慨を表現しているわけです。

 ただ、キトラや高松塚の壁を飾る顔料は、時とともに色褪せ剥げ落ちるが、言葉の生命力ははるかに長い時の流れを超えます。特に漢字はそうです。また、わたしたちが好んで詠う「自然」は、唐の時代も今も大差ないでしょうから、たとえ唐人を手本としても立派な詩が書けます。

 そこで無闇に新奇を衒う必要はないのですが、唐人と心中すればよいものではないあたりに、「詩」の難しさがあるとわたしには思えます。

 この「らしさ」を求めるわたしたちの作詩態度がもたらす弊害のひとつを述べます。わたしたちが書く中国定型詩は、絶句・律詩、長いものでは古詩にほぼ限られ、宋詞・元曲を書く者はほとんどいないことは前に述べました。どうしてそうなのかをここで考えます。

 「らしさ」を求めて詩を書けば、そのらしさを構成するさまざまな要素が問題になります。まず、詩の題材となる事物(風流)と詩にするにふさわしくない事物の識別、つぎに詩に使える言葉(雅韻)と使えない言葉の峻別、さらには詩人にふさわしい人柄(風格)の練磨などなど。

 しかしこういうことは、1句7文字4句の絶句を1000も2000も作らなければなかなか身につきません。何が風流で何が風流でないかは唐人の詩をたくさん読めば自然にわかるかも知れないが、詩に使える雅韻を選び、詩では避けるべき生硬な言葉を避けるためには、実作を何年も重ねる修練が必要です。そして、詩人にふさわしい人柄(風格)の練磨は、一生かけても身につかない。

 そこで、限りある人生、ということを思い、佳作を書きたいと思うのであれば、宋詞や元曲のあれこれに手を出すのではなく、絶句・律詩に一心不乱になり、一芸に秀でた方が有利だということになり、ますます「らしさ」へ向けて拍車がかかるのです。

 また、見方をかえれば、「らしさ」を求めつつ宋詞・元曲のあれこれに手を出すのは実行上不可能です。宋詞には 600を超える詞牌があるといわれています。これに加えて、詞牌は同じでも異体の譜がある。さらに元曲もあるわけですから、中国の詩詞にはいったいいくつの定型詩があるかといえば、1000を超えるということにもなるわけです。

 そういう定型詩群の個々について、わたしたちが俳句と川柳、和歌と狂歌、あるいは俳句と和歌について識別しているような「らしさ」を論じることはほとんど不可能であり、また意味のないことです。

 たとえば、16字の「十六字令」、17字の「漢俳」、18字の「閑中好」と20字の「五言絶句」、また、「三台令」、「凭欄人」、「一点春」と「六言絶句」(以上いずれも24字)の違いについてわたしたちにわかることは、字数と平仄の組み合わせ、せいぜいそういう外形がわかるだけです。

 どういう詩材が俳句あるいは川柳に適し、どういう詩材が短歌にふさわしいかなどといった美意識の分割統治は、三四の詩型しかないなかでは可能でしょうが、万叢千樹の中国定型詩詞の森のなかでは、その一木一草の「らしさ」を認識することなどとてもできたものではありません。

 かりに理想形としてそういうことが望ましいとしても、一個の限りある人生のなかで実作者がそれを究めようとすれば、いくら時間があって足りないでしょう。中国定型詩詞はそういう世界です。

 わたしは、1999年の春から2001年の春まで2年の歳月をかけて 100の平韻の詞譜・曲譜について詞韻に基いて習作をしてみました。平韻は全部で14部にわかれます。そこで 100×14=1400首作りました。この1400首がかりに全部絶句だとすれば、絶句の「らしさ」についていくらかはわたしなりに体得できたかも知れません。

 しかし、わたしのやったことは、1詞牌につき14首しか作っていません。そこで「十六字令」16字と五言絶句20字はどう書き分けるべきであるかとか、 100字前後の「望海潮」と「水調歌頭」とではどうかなど、それぞれの「らしさ」を会得することはできませんでした。1000のうちの 100であり、しかもそのそれぞれの詞牌・曲譜についてはたったの14首、これでは個々の「らしさ」がわかるはずがない。

 しかし、翻って考えれば、なぜ「らしさ」を求める必要があるかという命題にぶつかります。わたしたちが唐詩に学び、唐詩をとりわけ珍重する背景には、李白や杜甫などの優れた詩人を輩出した時代であることもさることながら、「絶句」ならば「絶句」らしく書き、「律詩」ならば「律詩」らしく書きたいということを、単に平仄や押韻、律詩における対句などだれにでもわかる規律を超えて、つまりは詩材や用語を含めて、「唐人」に学び「唐人」のように書きたいからだという信仰めいたものがあると思います。この信仰めいたものこそが「らしさ」であるわけです。

 そこで、何のためにそういう「らしさ」を求め、信心を深めていくのか、ということを反省しなければなりません。一番わかりやすい答えは、そのように書かなければわが国の漢詩界で通用しないという思いがあるからです。そのように書けば、運がよければ、すばらしい詩ですねと日本語で褒められるかも知れない、そういう期待があるからです。「らしさ」を求めるという共同体のなかでわたしたちは、絶句や律詩を書きたいのであって、書きたいことを絶句や律詩にしているのではない。

 つまりわが国では、手段であるはずの詩型が目的化しています。しかもひとえに「唐詩」に凝り固まっている。そこで、現代中国の人々の詩について、日本人の詩にくらべ感興や修辞で劣っていると見る人が少なからずいます。どこが劣っているのか。現代中国の人々の詩では、往々現代中国語や李白や杜甫の時代にはなかった表現が用いられ、われわれ日本人にはなじみがないだけの現代中国人の心情・感興が歌われています。

 それをもって日本人の詩にくらべ感興や修辞が劣っているというのでは、唐人が現代中国人の感慨や修辞を理解できないのといっているようなものです。 加えてわれわれ日本人が、言葉だけ学べば唐人になりきれるのかどうか、という疑問が残ります。

 わたしたちが唐人と同時代に生きていたのであればまだしも、1000年の遥かな時空を超えて感興や修辞を共有して詩を作ることに、「らしさ」の追求を別として、どれだけの意味あるのか、現代中国の詩人からはわたしたち日本人の詩作りに対しそのような疑問が呈されるでしょう。そういう質問に、「らしさ」を追求していく立場から、どのように答えるのか。

 わたしが試みた中国古典定型詩は1000のうちの 100であり、しかもそのそれぞれの詞牌・曲譜についてはたったの14首ではあっても、詞曲を試みたことによって、世界が少しは見えるようになったと思います。1000のうちの一二に過ぎない絶句・律詩の「らしさ」に深入りしても世界は見えない、中国詩詞の大海を目の当たりにすれば、わが国の漢詩界に根強い「らしさ」をめぐるこまごまとした議論や感想の言(とりわけ詩の批評に多い)は、遣唐使が持ち帰った渭水の水を繰り返し浄水器にいれて循環させながら、家伝の呪文を唱える井蛙のひとりごとに近いようにわたしには思えます。

 ところで、大海の水はどうやって飲めばよいのか。気ままなコップ片手に近くに寄せてきた波を汲んで、飲めばよい。そして、たまたま汲んだ波の色が他の波とどう違うかなどと、「らしさ」を詮索しないことです。海の水はきっとからいでしょう。しかし、そういう水を飲めるようになれば、現代中国の人々の詩詞は日本人の詩にくらべ感興や修辞で劣っているなどという傲慢な批評は、二度と口にしなくなるでしょう。そして、真水ばかり飲んでいる井蛙にも、イルカや鯨の心情がいくらかはわかるようになると思います。

 

 

T 詩

     山陰紀行          東京都  齋 遊子

     1.山 行
秋林映火點紅葉,芒穂作波揺素風。
可嘆環村悉山也,八方重畳接天空。
漢俳・環里皆山也。芒穂作波動金風,翠林點紅楓。

     2."大山" 客舎即事
日暮登來轉有情,山中寂寞絶無聲。
忽看墜露玻璃上,漁火巷燈臨海城。
漢俳・山中墜露清。遙眺萬燈臨海城,數點漁船火。
  (注)臨海城:米子市

     3.看“大山”
大山三日不能看,近海絶巓雲易盤。
豈料金風駘蕩處,回頭刮目認晴巒。

     4.賽“出雲大社”
“大國主神”眞可憐,頻思説話賽祠前。
老松猶健無塵俗, 千木貫雲衝碧天。

     5.訪葡萄酒釀造所
鼓笛響輕秋色深,葡萄豐熟快何禁?
芳醇新酒共歡祭,過客解顔斟又斟。
漢俳・鼓笛秋興深。芳醇新酒共歡祭,解顔斟又斟。

     6."日御崎" 即事
岬角潮風爽可親,徘徊信興忘紅塵。
翠松林徑傍蒼海,白堊灯臺聳碧旻。

     7.海濱偶成
蒼海波平意亦圓,干戈飢渇似無縁。
雖嘆狂信暴徒業,岬角浩歌風爽然。

     8.晩秋湖國
軟風駘蕩晩秋初,輕暖催眠客意舒。
湖泛白雲山陰道,鳶高緩舞似窺魚。

     9.山陰路秋晴
探勝山陰道,村園蕩蕩圓。柿丹纏暖日,鷺白下空田。
祠靜藏傳説,湖平浸破船。秋光無限好,停杖仰蒼天。

     對三面鏡          東京都 齋 遊子
如氷三面鏡,相對嫩寒初。白髪環頭短,長嘆不耐梳。
漢俳・相對三面鏡。長嘆繞頭白髪疎。秋日不耐梳。

     秋夜偶成          東京都 齋 遊子
混迷蓋夜轉荒涼,野老無爲只斷腸。
夜半蕭蕭秋雨裏,不圖馥郁桂花香。

 

     発現青州埋蔵佛       千葉県 今田莵庵
青州青夥邑,唐代配東藩。何在龍興寺,已忘仏閣痕。
観音離大地,新光授天恩。眼歛和平世,粛然風教敦。

 

    “川崎民家園”       神奈川県 萩原艸禾
民家形状依階層,気候風土與伝承。   蒸韻
近来繁忙棄旧套, 誰慮保存巧技能?
此地野外博物館,救取民家従累卵。   旱韻
名称”川崎民家園”,移築保存復元伴。
東北:関東:神奈川,信越:宿駅五村分。  先・文韻
林間散配三十棟,随意尋訪興趣牽。
馬房納内北国舎,抽針綯縄永雪夜。 「示馬」韻
構築凛然武家門,賠従待命侍隣軒。   元韻
長大軒高里正戸,四百年間耐風雨。   麌韻
深檐掩扉商賈家,重代街道窗格古。
斯須憩榻思旧時,煮茶地炉白烟伍。
消閑最好都城西,野風清陰満山蹊。   斉韻

     中秋看月         神奈川県 萩原艸禾
虫声満地涼風流,軽誦童謡懐舊邱。
只是十三和七歳,団団皓月是中秋。

     登佛果山         神奈川県 萩原艸禾
攀巌縋草片雲軽,眼下蒼蒼湖水横。
山号風唱人跡少,洗来塵念一天晴。

 

    “櫻島”朝景         東京都 石倉鮟鱇
朝陽孤影東臨海,櫻島三峰南吐烟。
洗臉温泉醒宿醉,風光滿目思魁然。
      又
日照黄濤浮錦帶,山摩碧落吐風烟。
雄姿養浩誇朝景,櫻島三峰領海天。

     水性楊花          東京都 石倉鮟鱇
坐打野鷄游柳巷,頻傾羽爵湿香脣。
招蜂引蝶誇妖態,水性楊花碎璧春。

    花  柳          東京都 石倉鮟鱇
花陣柳搖催暮色,柳營花笑競娥粧。
尋花問柳聽琴韵,弄柳拈花傾玉觴。
柳葉花脣喜蝉蛻,柳腰花蕊涌霞漿。
攀花折柳騎風馬,醉柳眠花梦帝郷。

     巫山之梦          東京都 石倉鮟鱇
雨魂雲梦自懷春,雨愛雲歡將破身。
雨席雲床雲鬢乱,雨散雲收雨約新。
    又
雨魂雲梦人生喜,雨愛雲歡人道巓。
雲雨巫娥搖絳吻,宜貪露水片時縁。

     秋 情           東京都 石倉鮟鱇
賞月吟詩好,傾杯爲酒貧。秋風拂文士,禿髪淨無塵。

    偶 作           東京都 石倉鮟鱇
人間有貧富,貴賤分墳墓。骸骨渡黄泉,孰与多恐怖?

    偶 作           東京都 石倉鮟鱇
猫喜家猫媚,馬追風馬嘶。尋花還惹草,老蝶不知疲。

 

 

U 新短詩

    曄歌一首           東京都 石塚梨雲
  早霞光。乾坤和気,自見祥。

    曄歌一首           東京都 石倉秀樹
  回教月。遥念干戈,流星滅。

 

 

V 詞

  寄調陽関曲 絲綢之路       千葉県 小畑旭翠

     1.陽関古址
汽車揺晃夕陽遅,戈壁寥寥路不知。
漢時覇業餘荒塁,低唱陽関沙地涯。
(注)陽関古址:在敦煌市西方70公里古董灘。

     2.交河故城
故城高塁幾栄枯,燬土炎炎曠日虞。
緑州滾滾二千歳,望尽天山我騙吾。

(注)交河故城:在新疆維吾爾自治区吐魯番市西方10km崖児湖郷。

3.高昌故城
火炎山裏断香烟,此地昌昌回教天。
更尋説法振錫跡,相続頽牆黄土甎。
(注)高昌故城:在吐魯番市東方40km阿斯塔那村。此処唐玄奘三蔵留錫故地。

4.庫車遠望
屈茲層塔没流沙,磧路行行浄瀬遮。
白楊細細報春緑,紅柳柔枝愉似花。
(注)屈茲:庫車古名層塔:在庫車県城西北10km

5.南疆鉄道夜行列車
断烟荒漠接天遥,鉄路延延夜寂寥。
一燈独掲懼回首,窓外相随光影揺。
(注)南彊鉄道:自烏魯木斉至喀什1999年全線開通。

6.羅什三蔵銅像
大乗翻訳厚於慈,妙典巍巍四海煕。
敢嗟佛法絶無跡,身坐郷園春草 。
(注)克孜爾石窟前庭新添鳩摩羅什三蔵銅像。
 鳩摩羅什(344-413) :              
 史称仏教三大翻訳家之一。亀茲( 庫車) 人。
 後秦弘始三年(401)至長安訳出経書32部800 余巻。
 訳出著名経巻『妙法蓮華経』。中国三論宗之祖也。

 

     采桑子・思 君       千葉県 秋山北魚
嘆嗟遠去君安在,恋々多情。嫋嫋春情,獨恨空閨酌轉傾。
庭柯落葉斜陽淡,沸沸秋聲。切切虫聲,帯緩霑巾恨此生。

 

  朝天子・遁 猿       千葉県 今田莵庵
遁猿,駿奔,出没城央地。最高裁判所侵垣,観光縦横思。
睥睨人間,警官難致。如何国政冤,遁猿,嘲笑偸閑吏。

  憶江南・神無月       千葉県 今田莵庵
秋期末,神社許森閑。社殿清院神不在。”出雲”原社招祇神。群珞議媒攅。
来年恵,挙国画成婚。東士西娥望結□。北雄南婦導相姻。忙劇又生閑。
(注)□は〔巾兌〕出雲:現島根県。有神道本社「出雲大社」。

 

    壽陽曲・上仙眠柩       東京都 石倉鮟鱇
殘蛩尽,醉客留,月蒼蒼破雲寒透。
梦醒仰天横北斗,見葬列上仙眠柩。

    天浄沙・閨 亊        東京都 石倉鮟鱇
招蜂引蝶煽情,尋花問柳偸生。握雨携雲越境,登仙乘興,紅脣将發天声。

  拝星月慢・心煩難睡      東京都 石倉鮟鱇
  滿目銀河,霑苔白露,蛩語哀吟草際。切切牽愁,轉令人傷悴。歩間徑,獨念、加班未減工作,歸路難忘宮仕。猶動凡心,願成功名利。
  到家門、再想昇榮亊,同年級、本日誇尊位。妻子笑對霜頭,似柔和天使。臥同床、共仰窗天麗,如半鏡、缺月浮山觜。念甘梦、失意虚懷,入茫洋睡意。

    秋霽・@拉奥凱酒家鼾睡    東京都 石倉鮟鱇
  錢袋沈沈,又意氣揚揚,酒客連袂。笑入高樓,大声@A,搖腰化爲歌伎。漫同臭味,入迷爭奪傳声器。唱喜戲,同忘、暫尋仙洞遁塵世。
  絳脣吐炎,白首回春,抃舞通宵,宴樂乘勢。脱羅衣、人誇胆量,乳房雙聳似山觜。瞠目雪肌如魑魅,誘引仙洞,煽情巧放秋波;四更貪梦,老殘鼾睡。

 (注)@拉奥凱:カラオケ。@=ka3 は「上」の下に「卜」  大声@A:わいわい。A=〔口少〕B=〔口襄〕 話筒:マイクロフォン麦克風

十一月号 完

 


十二月號

  詩を作る態度−私の場合     中山榮造
         其之八

 私が三十歳半ば頃に両親は他界した。漢詩の創作に手を染めたのは、それからずっと後のことだが、それでも父母への感情はかなり強く残っていた。父母への情は御しがたく、筆を執ると堰を切った水の如く溢れ出して、直ぐにページが埋まって仕舞った。

 父母への情も已に過去となった今、たまたま作品の切れ端に出会うと、言葉遣いの上手下手とは別に、自分よがりな、自分自身に填り込んで、読む人をしてなんとも言い知れぬ鬱陶しさに、自分自身で呆れる始末である。

 何故なのか?それは自分のことが精一杯で、読んでくれる人のことなど微塵も考慮されて居なかったからなのだ。自分の作品を自分が読んで、何が読者の立場だ!と云うかも知れぬが、同一人物であっても少し日を措けば、作者と読者は各々別の人格となるのだ。

 だからと云って日を措いてから作り直していては埒があかぬ。今すぐと言うには先ず、物事を客観視する事から始まる。これが今の私に言えることだ。

 数年前、長江旅游に出かけた。だが未だにその時のことを作品にしていない。帰宅後多忙を窮めたことも有るが、それ以上に主観が蔓延りすぎて終始が付かなかったこともその一因である。

      其之九

 趣味も一つ事を長くしていると、自己陶酔に陥りがちである。作品の巧拙然り、格律然り、テクニック然りである。どの本の誰々がこう書いていたとか、誰がこう言っていたとか、虎の威を借りる狐に陥りがちだ。また止めればよいのに屋上屋を重ねて持論を展開したくもなる。この類に遭遇すると、制しきれず反論したくなる。未だ生臭さが残っていたのかと、安心もするが、己のくだらなさに呆れもする。

 自分の知っているのは、千の中の一つか二つなのに、何でも知っているかのような錯覚に陥る。「知之為知之、不知為不知」は良い戒めだ。

 

      なぜ若者も唐詩ばかりなのか  石倉秀樹

 わが国漢詩界における唐詩信仰はとても根強い。普通には年寄りじみた趣味とみられる漢詩作りも最近では若者たちの関心を引き、大学生のみならず高校生や中学生の作者も現れている。しかし、そういう作者たちの作品を見る年寄りの眼は、あいかわらず「唐詩」としてその完成度はどうかという視点だ。

 古典によく親しみ、唐人の言葉使いをよく学んで自分の詩にうまく使うことができ、単に平仄や漢語の用法といった基本的なことだけではなく、その詩境においても、唐人の心を真似ることの達者な若い作者、「東京」を「東京」といわずに「長安」と書ける作者、「自動車」には乗らずに「馬」で旅する作者、そういう作者を見つけては、あたかもランボーに出会ったベルレーヌのように、その才能を称賛し熱い拍手を惜しまない−−わが国漢詩界の大家たちは、おそらくそういう年寄りたちであるだろう。

 しかし、ベルレーヌがランボーに惚れ込んだのは、そのうまさではない、新しさだ。ランボーの詩が、ベルレーヌやボードレールなどの先輩の詩をうまく真似ていたからではない。

 「唐詩」では近代西洋の詩のように恋愛を詩に歌うことはない、そういうことを知ったうえでたとえば何を書くのか。「唐詩」信仰へ帰依していればおそらく父母への思いを詩にするだろう。妻や夫ではない異性への情熱、それを唐人は、詩のテーマとなるとは考えなかった、李商隱を別とすれば−−そこで、父母への思いを書く、そういう若者の詩をよしとするのが、わが国漢詩界のリーディングスタンダードとなっている。

 これはとても奇妙なことだ。健全でもない。なぜなら、現代社会における若者の詩情の自然な発露を思えば、妻や夫ではない異性、つまりは戀人への情熱こそが、まず詩材となるべきだ。父や母や、妻や夫のことは、その後でよい。しかし、そういう詩材は唐詩にはふさわしくないと見るところに、漢詩作りが若者たちに疎んじられ、年寄りや学者の偏頗な趣味とされている一因がある。

 

 

新短詩

      坤歌五首         千葉県 中山逍雀

  処女路,局勢変化,廉売路。
(註)処女路;
Virgin load    バージンロード
      廉売路;
Bargain load   バーゲンロード

 幾年経,糾纏不休,双軛牛。
註:糾纏不休;まとわりつく

 老爺婆,腰酸肩酸,上病院。
(訳)爺婆は腰痛肩痛 医者通い

 横排坐,説話手機,互遠處。
   (注)手機是「携帯電話」 横排坐:横に並んで坐る

 複雑的,装載内情,“自衛艦”。

 

      曄歌五首         千葉県 中山逍雀

 “千草”開,垢面幾年,“蝦夷”客。

 故郷妻,三秋客子,雁影単。

 狗尾草,野地仏像,被骼肢。
   (注)狗尾草是「猫じゃらし」

 下槲實,"熊野神社",出征碑。
   (注)槲實是「樫の実」

 魚鱗雲,世界和平,路程遠。

 

      瀛歌五首         千葉県 中山逍雀

 從冥土,有相呼喚,父與母。希望待候,到白頭老。
註:希望待候;待って欲しい

 存起來,杖和帽子,老丈夫。拿紹介信,進脳外科。
註:存起來;預ける

 只聴到,降雨蝉聲,"永平寺",巡遊長廊,巡巡遊遊。

 戦乱地,要買的話,我來買。世界和平,説少姑娘。
註:要買的話,我來買;買えるなら 私は買う

 飛膩虫,晩秋静静,緊跟我。恢復遅遅,有陽光處。
(註)膩虫是わたむし

      偲歌五首         千葉県 中山逍雀

 也最初恋,也多年恋,也可怕的。君情信。
註:最初恋;初恋

 不知君意,嬌羞抉胸。執筆散思,我亦算。

 籬邊窺君,幾幾焦思。寄真心信,奪君心。

 多年同席,一半同伴。一顧一羞,忽青春。

 鬱々同衾,麻煩同室。一泊旅游,孤寂褥。

 

     瀛歌五首         千葉県 高橋香雪

     “尾瀬”
 湿原秋,細雨木道,落葉稠,高原夜空,瞬時満月。

    “日光”
 男体山,中禅寺湖,紅葉間,飛流直下,紫煙架空。

    “孫中山記念館”『移情閣』
 八角亭,来日歓迎,明石汀,偉人扁額,奮闘足跡。

    “城南宮”
 神苑中,吟詩把盃、楓葉紅,王朝装束,曲水宴遊。

    “大和中宮寺”

 古寺前,苔径参道,紅葉鮮,微笑仏陀,半跏思惟。
(註)参道是参拝用的道路

 

    回文曄歌・上清風       東京都 石倉鮟鱇

   午     曄歌体:上午平。輕霞紫嶂,好風清。
  上 平    回文詩:
 清   輕     輕霞紫嶂好風清,
 風   霞     嶂好風清上午平。
  好 紫      平午上清風好嶂,
   嶂       清風好嶂紫霞輕。

 

      曄歌三首         千葉県 今田菟庵

  朱圍巾。京浜山手,窓接隣。
   (註)圍巾;マフラー

  培葱者。逞輸日本,魯郊野。

  購熊手,移向蘇州。工廠休。
   (註)熊手;耙子。年末購之于神社祈願新年集宝。

 

     曄歌一首          東京都 石塚梨雲

  曙光紅。瑞気満天,度恵風。

 

 

U 詩

祭 詩           千葉県 中山逍雀
祭詩聊欲餞流年,庸劣自慙鶏肋篇。日々怱忙違宿志,哀歓交錯一燈前。

 

  大宰府都府楼古址      神奈川県 萩原艸禾
西郊万里白雲流, 草氈萋萋野村悠。   (尤韻)
遠望依稀江山色, 石碑独立遺跡頭。
往時正殿連瑤館, 八脚城門回廊伴。    (旱韻)
五百年間治“九州",収租命調備水旱。
外仇親邦近於西, 朝司群僚此相携。   (斉韻)
顕官拝迎大唐客, 文武正容坐筵席。   (陌韻)
玉杯斟春詩幾篇, 主客相想長安陌。
“憶良”吟詠愁緒多,"旅人”讃酒共唱歌。 (歌韻)
“道真”捧持恩賜服, 空待秋雁夜難過。
星霜宛転世漸徙, 条坊埋尽化草鄙。   (紙韻)
有志一朝蔓草中, 慇懃掘出旧城市。
礎石不語昔日営, 只聞秋風颯颯声。   (庚韻)
 (註)九州=日本四島中最西的

  門司港再遊         神奈川県 萩原艸禾
朱磚灼灼海関壁, 緑屋蒼蒼車站楼。  却飽観光懐古趣, 低徊坐看去来舟。

   “秋月城”址         神奈川県 萩原艸禾
浅紅楓葉掩城門,苔磴趁秋遊客繁。  嘗是武人訓馬路,茶亭旗幟弄風翻。

 

    山寺観楓           千葉県 三宅遥峰
半日探秋林下荘,全山似画白雲郷。  争妍錦繍斜陽淡,酌酒陶然酔味長。

    秋夜吟            千葉県 三宅遥峰
満天耿耿月光清,葉上悠々星斗横。  窓下思君無限憾,胸懐託雁隔地情。

 

    次韻楠野自安先生玉作 "西安安定門"  千葉県 小畑旭翠
楠野先生従西安眺望西域却我吟詠『陽関曲』站在流沙方面
亦話西陲入夢来,白楊迎客緑州隈。  望東吟破陽関曲,紅柳帯沙紅未開。
  (註)紅柳;タマリスク  白楊;ポプラ
     緑州;オアシス

 楠野自安先生原玉:“西安安定門"
城壁高環城闕開,正西直向玉関隈。  盛時応見絲綢路,汗馬紫駝天半来。

 

    読井上美子句集『彩禽』懐中村汀女   千葉県 今田菟庵
彩花誘引彩禽群,窓下芳園満翠氛。豈謂依依汀女影,厨房俳句發餘薫。

    寄養殖鮑魚企画于琉球     千葉県 今田菟庵
今古華人好食鮑,鮑魚獲輸倭民巧。  資源枯渇毀瀛州,養殖琉球望安飽。

   謝村岡功先生賜新著『鴎外其自我与自尊心』   千葉県 今田菟庵
  嘗翁索義尋亡父,亡父自歎無友古。好学労書今是成,蘇生鴎外花心吐。

    聊呈矢切葱三首        千葉県 今田菟庵
     其之一 白神慶生兄宛
往歳帆船一夜同,当令回顧答華嵩。  堪思透析長程痛,保健聊呈矢切葱。

     其之二 今田拓先生宛
今歳晩秋紅葉豊,相逢兄弟共凝瞳。  堪憐独家無参宴,慾報聊呈矢切葱。

     其之三 伴規夫先生宛
遠發巴西還御風,如何南美大州雄?  却好醤湯朝餐刻,一碗聊呈矢切葱。

 

  詩誠會門弟開宴 慶賀坂本平坦道先生之卒壽  東京都 齋 遊子
  不倦論詩已十年,師生解后正奇縁。一門各賀九旬壽,莞爾開顔不老仙。

    溪澗温泉即興         東京都 齋 遊子
溪澗温泉漸薄明,兩人初遇五縱横。  不圖頃刻交遊處,旭日出山楊柳迎。

    砂 丘            東京都 齋 遊子
丘高砂易壞,歩歩冷跟登。頂上潮風快,渺茫蒼海弘。

    賽出雲大社          東京都 齋 遊子
大國主神眞可憐,頻思説話賽社前。老松不語斷腸恨,千木無聲空突天。
   (註)千木;神社の屋根のチギ

    秋宵菊花           東京都 齋 遊子
秋宵名月路,馥郁漾香風。坐愛清光下,微茫露菊叢。

    晩秋即事           東京都 齋 遊子
且夕嫩寒候,午陽携友遊。飛楓軟風快,叢菊暖香幽。
墜露難民恨,殘蛩衰老愁。多端黄落節,酌酒嘆時流。

    小春吟行二首         東京都 齋 遊子
        其 一                  
風日戲黄葉,碧天無片雲。清遊誰不忘,世界亂紛紛。

        其 二                  
近郊遊愛日,塵念欲清明。處處殘楓燿,飛鴉放數聲。

    題高校同級會         東京都 齋 遊子
短日相呼十一男,解顔飛語快何堪。
鮮魚和酒添風趣,乘興外遊辛苦談。
(註)十一男;出席者十一人都老翁。

    冬雨即事           東京都 齋 遊子
衣裳潤雨野遊寒,忽忽浴場心復寛。回看濛濛煙景好,鮮黄滴瀝菊花闌。

    孟冬即事           東京都 齋 遊子
風籟轟轟掠耳來,飛楓映日落茶梅。郊行坐愛孟冬趣,幽咽草蟲安在哉。
 (註)茶梅;サザンカ

    冬夜讀書           東京都 齋 遊子
風稜蕭寂老懷孤,夜半寒威凜凜乎。  煖酒欲繙回教史,何由確信殺無辜。

 

    敬和張聨芳先生之原玉“辛巳年九七自壽”   東京都 石倉鮟鱇
天喜鴻才愉永壽,吾知上海有張翁。青雲涌處侵華賊,白首吟時交誼風。
前紀辛艱害民意,雅人寛厚似神功。後生銘記先非夥,遙慕詩魂妙境窮。

 張聨芳先生原玉:辛巳年九七自壽
老來幸福樂無窮,難得巳年九度逢。百歳進軍曾刻印,千秋事業有何功。
不須艱苦謀衣食,可免擔憂遇雨風。兒女五雙離退九,笑看子婿也成翁。

      怕“狂牛病”屠猪     東京都 石倉鮟鱇
牛狂人餓屠肥猪,目笑舌伸舐佳肴。酣醉時思天食物,神仙夕釣裸虫炮。
   (注)猪;ブタ 裸虫;人間

    閨裡念干戈          東京都 石倉鮟鱇
昭和二十年,日本蒙 "原爆" 。爲救百萬人,天兵誇績效。
恭恭聽玉音,叡慮勞民深。感涙催新誓,復興焦土忱。
歸馬大都郊,放牛江上牧。晴耕種菜茹,雨飲眠茅屋。
時有人敲門,父親醒醉魂。目前隣家女,携帶点心温。
甘薯放芳香,花容促淫志。母親驚叫声,懷孕吾精粹。
入學作神童,佳名附近通。知春頻戀慕,花底吸煙隆。
好哉城市榮,田地生金幣。父母賣丘陵,家家隣邸第。
無職多房客,有閑親禁書。醉生高教養,梦死學空虚。
未知天我齊,鬱鬱迷塵界。曳杖欲消憂,還将交鬼怪。
銀燭競星輝,紅灯誘客囲。 "東京" 夜如昼,"新宿" 巷藏機。
酒戸多甘旨,胡姫少羞恥。花花引蝶芳,草草招蜂喜。
陪我翠蛾艷,開顔白首醺。飛觴誇酒量,解悶忘経文。
宴中霜操融,台上氷肌舞。瞠目乳房高,煽情瞼波撫。
一朝收宝貨,萬國貢花娘。雨席雲床慾,心猿意馬狂。
戰敗投戈後,追随欧美富。洋才斥和魂,我輩爲禽獸。
少壯戀情深,晩年錢袋沈。揺脣説英語,借問探胸襟。
人從徳國來,我向仙郷渡。携手誓同盟,乘風追異數。
秦樓欲蝉蛻,楚館脱衣裳。青女抛胸罩,白蛇横臥床。
張開大腿先,露見肛門後。化牛舌端伸,将舐乳頭偶。
酒渇求泉水,梦迷到芳叢。胯間花怒放,蜂蜜口喉充。
揺腰金髪乱,脣吐紅霞喘。房亊似兵戈,精虫騎馬踐。
開國傷風趣,維新養野心。強兵渡蒼海,落日似黄金。
槍声一發轟,日本侵華夏。萬衆一心蒙,敵人炮火跨。
北征燒水村,西戰殺天民。淑女喪貞操,慰安異境春。
南京埋髑髏,東海沈船艦。武運不佳時,血誠將示範。
愛國少年愁,"神風" 輔帝猷。英靈坐鵬翼,"紐育" 碎危樓。
英雄厭俗間,大義輕人命。凡士愛塵寰,兩心同幸慶。
誰人當認錯,傳布 "特攻" 方? 血肉成氷刃,老煽少壯僵。
昂揚淫志豪,人道重人道。情欲漸高潮,龜頭穿貝鑿。
盲龜遇浮木,含玉尽花天。窃玉偸花處,洋娼欲嗜眠。
事後一杯茶,獨煎慌惚養。未明聽早鷄,破鏡寒窗上。
東天回教月,西域上天星。天涯阿富汗,天帝釣人靈。
屍肉朽凶旱,豺狼餓洞窟。風沙遮曉光,蓬髮離骸骨。

 (注)
 “原爆”;中国語では“原子彈”
  績效;てがら  花底;花の下
  知春;思春   吸煙;喫煙
  金幣;お金   房客;店子
  醉生梦死;むだに一生を過ごす
  花花草草;女性が華やかに妍を競うさま
  引蝶招蜂;女性が男性を誘うこと
  雨席雲床;男女交合の場
  心猿意馬;あれこれ思うこと
  戰敗;敗戦   投戈;武器を捨てる   欧美;欧米
  徳國;ドイツ。かつて日本はドイツと同盟した
  異數;特別なもてなし
  秦樓楚館;妓院
  蝉蛻;蝉が殻をぬぐ。また、仙人になるたとえ
  胸罩;ブラジャー
  房亊;セックスの婉約語  兵戈;戦争  精虫;精子
  槍声;銃声   華夏;中国
 “萬衆一心”句;中国国歌に
   “我們萬衆一心,冒着敵人的炮火”とある。
  武運不佳;武運つたなくの意
 “神風”;神風特別攻撃隊
  帝猷;皇帝のよきはかりごと
  紐育;ニューヨーク    危樓;高い建物
  認錯;過ちを認めて謝罪する。
  傳布“特攻”方;特攻の方法を伝布(流布)するの意。
  人道;セックスの婉約語
  貝鑿;貝のあな・くぼみ
  盲龜浮木;成語。滅多にないことをいう。
  含玉;中国では死者の口に玉を含ませる。
  窃玉偸花;密通
  洋娼;西洋人の娼婦
  上天;冬の空。また、昇天の意。
  阿富汗;アフガン

    天帝夕釣           東京都 石倉鮟鱇
革新兵器摧巖窟,尚古信徒蒙戰塵。低挂如鈎回教月,上天將釣幾多人?

    日本外交           東京都 石倉鮟鱇
理路整然論外交,貪汚佼佼秀才驕。愛國利己勤服務,酒会聯歡氣勢豪。 (普韵夭部)

    牛紛午            東京都 石倉鮟鱇
牛鼎烹鷄淫韵亊,烏焉成馬喜瘋癲。跌交折角牛紛午,牛飲馬食壬午天。 (普韵千部)

    梦 馬            東京都 石倉鮟鱇
午飲午陰貪午眠,探春走馬看花天。心猿意馬交花貌,午夜午時旁午縁。

    我的愛人不愛陶潜       東京都 石倉鮟鱇
 菊花芳馥憶陶潜,無意声高吟一聯。佳人痛罵吾難看,千載風流陳腐天。 (普韵千部)
   (註)難看;みっともない

    贈羽柴 駿先生(蔵頭格)   東京都 石倉鮟鱇
羽客已歸人道癈,柴望不效法曹興。
晦冥孤弱需營救,駿命當挑一点灯。
   (註)羽柴先生是“律師”也。  法曹是司法界

 

 

V 詞

    采桑子 夜思         千葉県 秋山北魚
昨宵聴雨同衾褥,言巧誘躬。蕋蕋無窮,展轉無眠夢夢通。
今宵聴雨孤衾褥,害羞熱躬。縷縷難窮,獨酌長歎夢不同。
註:害羞熱躬;恥ずかしさに身が火照る

 

    憶江南・神無月        千葉県 今田菟庵
  秋期末,神社許森閑。社殿清院神不在。出雲原社招祇神。
群珞議媒攅。
  来年恵,挙国画成婚。東士西娥望結○。雄南婦導相姻。
忙劇又生閑。
 (注)出雲;在日本島根県。謂神道本社「出雲大社」。
    ○= 「巾兌」

  水調歌頭・国際“寺子屋”教育会議催事于京都  千葉県 今田菟庵
 “寺子屋”教育,憧憬及全球。“京都国際蓬館”,多代表来求。百余
国猶難学,九億民未識字,可解半生愁。必得読書喜,擢用忽
驚秋。
  扶桑遣,隋唐使,昔年游。率先学字,人不通字業難留。記紀
書温故代,“万葉集”編歌頌,"幕末”績文優。国礎在尊字,旧徳
報還秋。

(注)寺子屋;日本近世江戸期識字等基礎教育学習所。
   記紀書;「古事記」与「日本書紀」。
   万葉集;日本最古歌集。
     幕末;十九世紀中期,徳川幕府政権末期。

十二月号 完

 

平成十四年のページは riunC-14.htm