漢詩詞同人誌17年4-6 文化交流漢詩詞結社葛飾吟社

梨雲4月号

  慶祝漢俳学会成立

漢俳学会成立大会祝辞       中山栄造
 漢俳学会の設立、心よりお慶び申し上げます。

 漢俳は中国詩歌を父とし、日本の俳句を母として、日中交流の橋渡しをする目的の下に誕生しました。誕生して二十五年、人でいうならば、彼は既に立派な成人に成長しました。将に社会に出て活躍が期待されているのです。漢俳は今後、日本と中国で互いに育てて行く段階に入ったのです。

 折しも日本の四月は、社会人となる祝賀の時候、桜花爛漫の良い季節です。日本からは、これから育ての親となる俳句団体の代表者が、この記念式典に出席しています。これから俳句団体の方々に見守られて、順調に成長して行くのは楽しみです。

 俳句と漢俳には、多くの共通点があります。多くの漢詩は起承転合が整っていますが、漢俳は三句で構成されている為に、起承転合の何れかの要素が欠落して仕舞うのです。俳句の、大宇宙を遊泳するが如き詩境、粟粒の如き小宇宙の神秘を探るが如き詩境、これらを創出する詩法は、起承転合の一部を欠落させる手法で成り立って居る様に想われます。このことは漢俳の三句編成であると言う事と極めて近い関係があります。俳句は一見情緒的に思える表現の中に、実は極めて高度にして観念的な境地を創出しているのです。

 漢俳の形式は五言・七言・五言ですが、五言句は、観念的な表現に適し、七言句は情緒的な表現に適しているのです。このことは漢俳の作品が、一見情緒的であるように見えても、実は極めて高い観念的な境地を創出することが可能な定型であるといえます。このような共通点があっても、情報量の違いという、基本的な相違点が存在します。巷間、多くの人はこの事を理由に、俳句と漢俳の共通性を否定します。しかし私は形式上の相違点をいうのではなくて、共に短小にして極めて高い境地を開拓する事ができる詩歌としての共通性を重視すべきと思います。漢俳と俳句の相違点を探るのではなくて、共通点を探ることこそ、これから漢俳を成長させる上で、最も大切なことであると思います。

 さて、俳句に関係のない漢詩詞結社の我々が同席している事について、一言申し上げさせて頂きます。大それた事と笑われるかも知れませんが、私は両国民が詩を通じてお互いに知友となることは、国際平和のための一つの手段であると考えているのです。私は漢詩が好きでしたから、漢詩をその橋渡しとして使うことにしたのです。それは今から二十年ほど前のことでした。一年ごとに交友の相手は増えて、昨年は五百通あまりの詩歌の応酬をしました。私は、中国の知友に日本の詩歌を知って貰いたくて、十年ほど前に日本の詩歌と相互交換できる「漢字文化圏通用詩歌四定型」を提唱し、一千部ほど印刷して、中国の知友に贈りました。そのうちの一つに、俳句対応として、曄歌を提唱したのです。また昨年は「日本詩歌浅談」を漢語版で上梓し、先月一千冊ほどを、中国の知友に贈りました。

 一千万人を数える俳壇から比べて、僅か三十人足らずの葛飾吟社の活動は極めて微々たるものです。それは広大な緑野に一滴の雨粒を注ぐようなものですが、何時かは一輪の花が咲いて呉れるであろうと念じつつまいりました。今後も漢詩詞結社の活動を続けて行く積もりです。この地道な行為は、文化交流が、国際平和の一助になると思い続けて来たからであり、ここに漢俳学会が成立するのを見るに到った事は、葛飾吟社の当初の目的が実現に近づいたと、喜びもひとしおです。

 漢俳はこのように、日中共通の詩歌という重責を担って誕生しました。漢俳学会の設立は、遠く唐から影響を受けた日本の文芸が中国へ里帰りするという、歴史上未だ嘗て無い有意義な、そして歴史に残る大事業の端緒となるものです。この記念すべき設立記念式典に立ち会えることは、わが人生の譽れとするところであります。漢俳のますますの成長を祈念して、ご挨拶に代えさせて頂きます。

 

          漢俳学会成立大会シンポジウム基調講演  今田 述
 漢俳学会の発足おめでとうございます。
 漢俳作品を見ていると、中国詩詞の伝統色の濃い作品もあります。しかし林林先生の作品に見られる諧謔や劉徳有先生の作品に見られる旅情は、日本の俳句が狙う詩情と実に似通っています。この喜びを知り得るのは、日本人が漢字を棄てなかったからです。

 曾つて東アジアには「漢字文化圏」がありました。しかし近年多くの国が漢字を廃止しました。ベトナムはフランスの植民地時代に早々と廃止しました。北朝鮮はいち早く漢字を廃止し、韓国では大統領が替わるたびに廃止・復活を繰り返した末、遂には棄ててしまいました。東南アジアの華僑社会ですら漢字を失った国があります。私が三年勤務したインドネシアでは、スハルト大統領時代に漢字禁止政策がとられ、漢字の教育も書籍の販売も店頭の看板も一切禁止されてしまいました。現在中国以外の東アジアで、漢字を義務教育で教え続けている国は、もう日本しか残っていないのではないでしょうか。

 日本でも明治時代の初の文部大臣になった森有礼は国語を英語にしようとしました。更に1946年頃には古い価値観が否定され、漢字勉学の負担を青少年教育から除こうとする運動がありました。「仮名だけでいい」「ローマ字にしよう」「英語を国語にしよう」などの意見があり、著名な作家の志賀直哉は「フランス語にしよう」と提案しています。

 しかし私がもっと驚いたのは、同じような運動が中国にもあったと言うことを聞いたときです。あの文豪の魯迅も漢字廃止論者で「漢字が滅びるか、それとも中国が滅びるか」といったというのです。本当でしょうか? 日本は漢字が無くなっても「仮名」がありますが、漢字しかない国で漢字が無くなったらどうなるのでしょうか。

 日本では1946年以降、漢字の数を減らすことでお茶を濁して来ました。当時の文部省指名の国語審議会は、棄てる漢字を選ぶのが主な仕事でした。パソコンのサポートが出来た現在から見ると、随分馬鹿な作業に精力を注いだと思います。それでも何とか漢字を残してくれたお陰で、私たちは漢詩や漢俳を詠み、中国詩人の先生方ともこうしてお会いすることが出来ます。漢字を残してくれた先輩に感謝しなくてはなりません。

 ただ、漢字は知っていても中国語は話せません。何せ中国語は世界一難しい言語です。絶対音感の鋭い聴覚と、全ての発音記号を発音できる口の構造と、何万という文字を覚える頭脳を持ち合わせなくてはならないのです。言語学者の魯宝元先生によると漢語の発音は声母が21、韻母が39、その組み合わせで約400の音節があり、これに四声を掛けると理論上1600の音節となるが、そのうち実際に用いられているのが1300だといいます。これにくらべて日本語はイロハ50音しかありません。濁音・半濁音を入れても80音程度です。日本語の16倍以上の発音を持っている言語なんて、日本人には難儀なのです。この本を読んだとき、私は中国語を勉強しなくて良かったと思いました。

 それでも中国人民対外友好協会はこんな晴れがましい席に私を招待して下さいました。それは中国語が出来なくても漢俳が詠めればいいよということだと思います。それが出来るのは漢字が表意文字なので、日本人が読んでも中国人が読んでも同一の意思疎通が出来る機能を持つからです。

 ご列席の日本人の皆様!この国際的機能を活かして、明日から俳句だけでなく漢俳も作ろうではありませんか。泣き叫ぶ鶏が熱湯を浴びて毛をむしられる等という林林先生の朝市の漢俳や、手巻き寿司を巧く出来ただろうと笑いながら口にしている劉徳有先生の漢俳を読んでいると、これなら我々だって出来るかも知れないときっと思われることでしょう。 日本では師系を喧しくいい、結社の中で俳句を詠むのが殆どの俳人の現実の姿です。中国では詩友になれば誰とでも分け隔てなく詩の交歓ができる。ただ漢俳は中国の短詩ですから、多少の習慣やルールの勉強は必要です。それを知りたいときは葛飾吟社のInternet Wave Pageを参考にして下さい。葛飾吟社は漢詩詞の結社ですから、漢俳の作り方も懇切丁寧に解説しています。

 次に中国側の先生方にもお願いがあります。日本の若者の外国語選択は長年、英語、ドイツ語、フランス語の順序でした。最近は英語の次は北京語です。中国の大学へ語学留学する学生も年々増加の一途を辿っています。葛飾吟社の学生会員の吉野さんも、今上海の復旦大学に留学中です。皆様の中には今後そういう留学生に接する機会をお持ちの方も多いと思います。その節はぜひ漢俳を書くことをご指導頂きたい。そうすれば漢俳を通じて長く交流が続くと思います。

 九十年ほど前までは、可成りの数の日本人は中国語の会話が出来ないのに、中国人と漢詩の交流をしていました。首相や大臣や議員も、役人や弁護士や軍人も、商人や農民も、無論作家やジャーナリストも交流していました。温故知新。漢俳が今世紀の漢字文化圏交流の道具となって、曾つての民衆レベルでの文化交流が再構築されることを期待してやみません。

            摘録漢俳学会成立大会五首  千葉県 今田莵庵
   前 夜
  帰鴨追空来。沈酣奥味"全聚徳",越境論詩俳。

   会 場
  春林已欲萌。世紀蘭堂招雅客,俳人経海程。

   午 前
  漢俳開小花。林翁無臨呈祝辞,励志満堂加。

    午 餐
  午餐団欒酣。覗窺春陽玻璃外,張胸段樂三。

   午後李小雨女史報告
  僵局自由詩。恰似日本兜太評,短吟韻律嬉。


   劉会長掲且唱葛飾吟社贈呈深川製磁額皿
  会長壇上掲盤磁,葛社携来嘉好誼。
  林翁漢俳誇国色,則天武后却漂痴。

   金子兜太先生是八十五歳。俳句界最長老之一人。大会席上有馬朗人先生先受指名。先生恐懼弁明引江戸小劇場"寄席"落語慣習。名人称"真打"最遅登場。通辞不解。滞日十五年劉徳有会長解説之。
      千葉県 今田莵庵

  "朗人"壇上指名先,恐懼弁明"兜太"前。
  "寄席"最遅"真打"事、通辞不解浅茫然。

     兜太先生笑斥董振華氏之輪椅調達案
  美男通辞兜太門,尋調輪椅或操轅?
  恩師笑斥健雖老,学弟喜康一喝言。

    再会林岫先生于北京飯店
  当時少女已婚姻,偶説北京飯店春。
  随郎遠度加拿大,看家詩癖却為頻。
         (註)加拿大謂Canada。

    謁在無錫原得郎総経理来会漢俳学会即叙久闊
  長栖無錫十三年,漢語堂堂伍地員。
  応招漢俳成立慶,詩仙簇簇又加縁。

    謁相原左義長先生
  歳事猶存左義長,成号守祖子規郷。
  東西詩癖訪来夥,城下歓迎客不忘。

 

 

漢 俳

   詠集通鉄路蒸気機関車  中 国 孔憲科
  集通路蜿蜒,夜雪朝晴淡粧山,車吼曳長煙。

 

     三 首         千葉県 高橋香雪
      瑞香(沈丁花)
  魁春淡淡粧。紅蕾雪花微月下,夜寒凍妙香。

      茶花(椿)
  薄命茶花女,髪飾風情白色柔。誰知散落憂。

      桜
  芳姿故国花。漾漾櫻雲春四月,趺撞壊紅葩。

 

     三 首         埼玉県 芋川冬扇
  多感是何因? 流水青雲春又逝,無端涕涙頻。

  緑濃古道松。幽人随歩髪鬆鬆,不識印閑蹤。

  莫嘲人易酔,不忍客愁独暗然。傷感托詩篇。

 

     一 首         埼玉県 荻原魚骨
  巴国面貌新,一条軽軌繞山城。大霧散天晴。

 

     三 首         東京都 石塚梨雲
  再会一杯傾。百世友情千里清,閑窓朧月明。

  佳人歓笑長。金銀花湯放芳香,百福降休祥。
  (註)金銀花湯:宮廷料理。黄色のス−プ

  桃花映彩霞。閑聞鳥語弄春華,行人惟酔花。

 

     春 四首        東京都 田村星舟
  一日鶏窗静。閑人妬見可憐粧,黄色郁金香。

  淡日登故丘。櫻花啼鳥総多情,天地自悠悠。

  不道短哉命。櫻花片片又飄飄,曳光去碧霄。

  山上片雲微。春餘何據抒吾裡,花影亦依依。

     寒郷偶成  二首    東京都 田村星舟 
  寒郷得重遊。白鳥空自泛湖上,霏霏雪未休。

  故山雪堆莊。誰誦陶潛辯才爽?連旦鼓詩腸。

     釋性空老師  于寒山寺(1997年夏)    東京都 田村星舟
  痩身忽揮筆,吹拂暑氛書體雄。午院香烟幽。

 

    恭筆譯俳聖芭蕉原玉作漢俳       東京都 石倉鮟鱇

  花底化蝴蝶,梦尋唐土討俳諧。風韵正堪學。

  曄歌体:化蝴蝶,梦尋唐土,討俳諧。

  原 玉:唐土の俳諧問わんとぶ小蝶 芭蕉


    ウグイスや花の首刈る彼岸かな 二首    東京都 石倉鮟鱇

  剪一条生命,献花旧鬼已無靈。朱脣塗血腥。

  怕春分法事,艷花含涙恨芳姿。明朝被剪時。

    窓に空 羽なき鳥となるべきか  二首    東京都 石倉鮟鱇
  窗外蒼穹曠,化鳥游魂翔不翔? 無羽礼空王。

  窗曠海連天。化鳥飛翔不用錢,無羽斷塵縁。

     一 首         東京都 石倉鮟鱇
  枕上月光流。梦逢倩女抱髑髏,哂笑老殘愁。

     春 八首        東京都 石倉鮟鱇
  嘆賞櫻雲涌,唱和黄鶯囀碧空。白首醉顔紅。

  櫻開黄鳥呼。尋花十里春風路,三杯詩酒壺。

  詐病賞山櫻。花間美酒添幽興,高吟競老鶯。

  櫻雪任風飄。花底枕肱閑梦好,化蝶飛影高。

  風柔拂面過。与君櫻下賞花坐,春宵迎月酌。

  風吹夜雨繁。醉怕幽庭紅影亂,茅廬白酒酸。

  櫻雲飛雪頻。花間随歩作詩人,放唱和鶯吟。

  携酒入櫻雲。傾醉餐霞忘世塵,裁詩不嘆貧。

     六 首        東京都 石倉鮟鱇
  晩節多閑暇,頻醉櫻雲飛雪下。枕肱魂羽化。

  獨飲山花下,曲肱堪枕醉魂化,飛蝶生散髪。

  滿山櫻萬朶。醉賞雪花飛碧落,順性人安妥。

  山櫻花底坐,傾觴尽日搖脣過。唱和鶯吟破。

  傾觴忘苦樂,花底聽鶯堪唱和。搖脣吟片刻。

  醇醪消口渇。笑探風韵調平仄,競鶯堪唱和。

 

 

短 詩

    短詩 五首         福建省 林鏡清
     曄 歌
  望小月,宝鶏開泰,燈火紅。
     (註)猜一字為"宵",今年元宵節,月亮居遠地點,看最小月。
        中国今年鶏年。

     坤 歌
  大小葉,俳句千葉,正初葉。
     (註)猜一日本詩人為"松尾芭蕉"松針小葉、芭蕉大葉、俳句
        千葉甚多且美、擧俳聖。

     偲 歌
  富士為軸,桜花迎春,奔走楓告,結誌盟。
     (註)猜一日本詩人為《中山榮造》

     瀛 歌
  草初長,梅子尚幼,施竹馬,両少同騎,海誓山盟。
     (註)猜一字為"情"

     瀛 歌
  元宵夜,彩燈掛謎,書防字,幻方高手,日本学士。
   (註)猜為"阿部楽方"、阿部取耳偏旁加方阿部楽方先生設計五階連続素数幻方、令在下敬佩不已、特賦詩日本朋友、以表迎慕。

 

          曄歌
      五 首         千葉県 中山逍雀
    寒中散歩欅馬道

  散歩杖。落葉大欅,碧天網。

    初雪寒枝
  枝頭雪。鼓鼓羽羽,寒家雀。

    観桜埒孫子
  桜花路。分享甜食,孫與父。

    早春少女心
  少女心。早春路標,逐風吟。

    寒夜微雪
  幾万斤。朦朧円月,白銀塵。

 

      三 首         千葉県 高橋香雪
  香雪吹。盛装母子,入学時。

  野梅香。納税報告,酔苦觴。

  一路春。遠峰花粉,苦悶身。

 

      三 首         東京都 石塚梨雲
  詩一篇。満座賓客,一笑縁。

  訪君時。風軟花繁,慰我思。

  百花春。和顔笑語,好風隣。

 

      十 首         東京都 田村星舟
  水西東。咬咬白鳥,淡靄中。

  一枝春。遮光眼鏡,溶接人。

  下春流。舳先操棹,獨漁叟。

  酒一巵。櫻花滿眼,忽有詩。

  酒入唇。花謝花開,未歸人。

  是吾郷。雲随杖去,桃李香。

  芳草萌。鳥翅横開,三四聲。

  風意喧。訪尋不見,落花門。

  淺淺春。夜窗篩月,未歸人。

  行更行。鳴鳥吹風,又花明。

 

     二 首          東京都 石倉鮟鱇
  櫻雪中。酒洗塵胸,促詩功。

  賞櫻紅。人醉酒濃,弄春榮。

           坤歌
     一 首          東京都 石倉鮟鱇
  妻子去。獨牽狗子,春風路。

  妻去りて春風のなか犬を牽く

     八 首          東京都 石倉鮟鱇
  老詩人。頻吟常品,醉櫻林。

  老詩人。吟坐荒墳,尚生存。

  對鏡愁。剥去画皮,一髑髏。

  醉言志。賞櫻佳致,凝十字。

  弄春烟。情多言短,有誰刪?

  探詩材,花底傾杯,誇酒才。

  耽香梦。酒仙乗興,和詩聖。

  探花忙。人無教養,有霞觴。

 

         偲歌
     三 首           千葉県 秋山北魚
  真或虚幻,空想舊歓。鶯憾翠艶,恨春残。

  胸中鉛鐵,誰解我心。花飛有意,風動襟。

  春閨滅燭,語細笑微。月移花影,照錦幃。

 

     用諺語偶作 三首    東京都 石倉鮟鱇
  不入虎穴,焉得虎子。不用廉潔,先献礼。

  一人得道,鷄犬昇天。權官歸老,月呈妍。

  打蛇不死,后患無窮。尋花梦裡,本無蹤。

     春 四首          東京都 石倉鮟鱇
  黄鶯百囀,白首半眠。紅櫻萬朶,涌青山。

  青春何短,紅雨空垂。花飛人散,緑風吹。

  三杯壺酒,一片詞愁。花間信口,試吟喉。

 

         瀛歌
    芭蕉有句;唐土の俳諧問わんとぶ小蝶        東京都 石倉鮟鱇
  見Haiku,不看漢俳,五七五。蕉風停處,小蝶難舞。

 

 

     訪孟子故里           中国 黄新銘
  雪后天光燦,朱州訪聖居。惜春惟看柳,赴宴不辞魚。
  高殿明心志,繁林駐馬車。時人駆富貴,塵満浩然書。
    (注)この詩は葛飾吟社へのE-mail投稿(ms song)を日本語コードに
       ある字で一部書き直している。

 

     自 戒              千葉県 中山逍雀
  多年陋巷養詩魔,案句迎賓有幾何。
  自大自高眞是病,功名獨歩竟秋荷。

 

     再遊馬来檳榔嶼 二首   千葉県 田 旭翠
       其一
  劫餘青史退干戈,風正津頭大舶多。
  幾度栄枯何所見,蕉陰洗夢湧蒼波。

       其二
  海色催涼入晩晴,風波慣聴共浮生。
  養痾詩客望郷夢,誰愛暮潮断続声。
  (註)黄遵憲先生光緒十九年(1893)為養痾自新加坡出遊。遂往檳榔嶼麻六甲等処、假居華人山荘随意成吟尚得"養痾雑詩"。"寓章園養痾"詩中曰"平地風波聴受慣,頻年哀楽事心違" 有感而作。

 

     客里得郭鴻森詩詞集有題  千葉県 陳 興
  客舍門中有郵筒,平常如我寂廖中。
  朝来驚見一封信,原是白雲過尽鴻。

  題陳興詩詞集[登山望雲]    郭鴻森
   游学東瀛惜寸陰,陳君雅興筆揮勤。
   遥知懷国思郷日,登上高山遠望雲。

     北方有佳人         千葉県 陳 興
  北方有佳人,一笑銷人魂。二笑離家門,三笑結姻縁。
  嬌若江邊柳,婉如雪裡鴻。不向瑤台遇,更往何處逢。

     詩爲愛玲而作       千葉県 陳 興
  蚯蚓春來出入地,風吹青草露無唏。
  上天迷路夢騎鶴,行世多情曾把杯。
  昨夜清溪忽映月,今朝孤旅暗生悲。
  毎驚雲若心多惘,常感空如意未知。
  年少氣狂雄過火,歳増顔老痩於枝。
  前程有霧隱又現,海市蜃樓教我疑。

 

     懐古白帝城        千葉県 清水蕗山
  仰見詩城千古忠,難忘英傑萬夫雄。
  託臣後事水魚契,天下三分帝業空。
  (註)詩城:白帝城的別称。託臣:對丞相諸葛孔明託付後世的事業的典故。
     水魚契:劉備和孔明的関係。天下三分:天下三分地計

 

     四月早朝偶吟       神奈川県 萩原艸禾
  早暁床頭雨似絲,紙窗透寒不眠時。
  老人急躁光陰僅,遠近櫻堤花綻遅。

 

     早春感懐          神奈川県 橋子沖
        一
  早春村落賞心傾,小径徘徊野鳥驚。
  冠雪霊峰白雲微,東風習習萬芽萌。

        二
  東風吹暖雪晴天,漫歩村落香気盈。
  丘上学童斉唱麗,谷間樹樹鳥鳴翩。 

        三
  遠山如睡古城東,十里西郊淡靄中。
  融雪水流環郭里,菜黄土筆傲春風。 

     "大塔宮護良親王"    神奈川県 橋子沖
        一
  機略親王志不成,土牢薨去故人悽。
  歴史冷厳空相憶,墓石鴉鳴山郷渓。 

        二
  討幕回天偉業崩,土牢幽閉藪林薨。
  山郷独立空多感,黄鳥飛来険谷噌。

      隅田川 四首      神奈川県 橋子沖
     "謡曲隅田川"
  狂女探求"梅若丸",幽玄謡曲夢魂寒。
  塚前独想茫如幻,  河畔鴉鳴暮色嘆。

     "隅田川"
  独立寒風古渡頭,煙波濁水暗生愁。 
  首回浪人帳篷列,暮色雲垂過白鴎。
   (注)帳篷:テント

      "言問橋"
  "澄江"往昔渡船周,東下中将詠旅愁。 
  河畔近来車輌夥, 名歌想起鉄橋優。
   (注)澄江:隅田川 中将:在原の五男中将業平 

     "伊勢物語"
  国風文化起"平安",故事短歌創作闌。 
  特筆一書今昔感,"中将在五"詠懐完。
   (注)平安:平安京 在五:在原の五男業平で中将

     "鎌倉宮"        神奈川県 橋子沖 
  誘友晴春訪古京,山郷宮祀寂無声。
  青年皇子夢終幻,追憶沈吟万感生。

 

     遊陽春鎌倉        東京都 池田耕堂
     建長寺
  "五山"第一古禅宮,荘重祗林衆所崇。
  仏殿幽玄類"京洛",法堂雄大冠関東。
  庭園優美擁青嶂,  柏槙森然連碧空。
  今尚修行徹厳格,  幾多僧侶学禅風。

     露坐大佛
  鎌倉春至百花稠,旅客誰人試勝遊。
  無限天災雖襲寺,依然大佛得停留。
  荘厳尊影満慈愛,遥仰顔容忘杞憂。
  昔自庶民斯建立,蓮台未造暗生愁。

     長谷観音
  古都淑景最清妍,遠近梅櫻相映鮮。
  救世観音正厳粛,豊穣"大黒"自怡然。
 "弁天"洞窟幽情動,"地蔵"祠堂別興牽。
  臨海風光看不尽,無辺史跡益堪憐。

     鎌倉文学館(鎌倉市長谷)
  古都閑静極幽奇,無数文人居住茲。
  丘上瓊楼伝事跡,因縁遺品感慨滋。

     賞古陶美術館古代雛(鎌倉市山ノ内)
  梅花争發古都春,素朴村斎恰令辰。
  上巳人形真典雅,公家雛飾賞心新。

 

     落 花          東京都 大沼春風
  臨風紅影乱,一片只随流。偶顧人生事,花飛散杞憂。

 

     陽朔觀群嶂         東京都 金 中
  雨霽雲收日耀光,山川舒展任端詳。
  清澄漓水滋□地,聳起千峰緑乳房。 □=榮-木+糸

     無 題            東京都 金 中
  與尓同行毎並肩,誰施魔法到身前。
  陌生鋼鐡氷都市,頓化歡欣伊甸園。

     無 題            東京都 金 中
  凝神肅穆立高石,守望群生營碌姿。
  颯颯秋風長鬣舞,登基原野壯年獅。

 

     偶 成   于余呉湖   東京都 田村星舟
  山山遠近故花遅,樹裏雲過風荐吹。
  執筆未詠遊子句,垂頭姑讀古人詩。
  茫茫大地晩冬後,漠漠天涯日暮時。
  再識惟在羇旅趣,殊郷千里霧煙維。

     旅遊亜利曾那平原     東京都 田村星舟
  尋來無窮眼,曠土一望遐。雲湧遠山下,陽沈原野涯。
  傳聞隕石孔,應愕碎巌沙。冽冽寒侵骨,受風松樹斜。

     水原郷偶成         東京都 田村星舟
  雪熄寒風未,春浅僅水輝。待晴野鴨噪,白鳥摶□飛。
  踏草行人話,素情倚暮暉。緬想古人業,眼前"五頭"微。
                      註:隔句對

 

     三月十日東京大空襲    東京都 石倉鮟鱇
  焼夷兩字有誰名,凶彈狂炎呑衆生。
  碧眼將軍傲不顧,黄肌K髪矮人声。

     山猿愛放吟        東京都 石倉鮟鱇
  山猿不要作詩人,只有吟喉吼放春。
  一笑裸虫才淺短,常忘旧賦詠懷新。

     暮春即事         東京都 石倉鮟鱇
  官衙有凡吏,一日下工夫。詐病尋田里,探花携酒壺。
  櫻雲飛雪舞,羈魄任風駆。順性頻傾盞,餐霞半似愚。
  陶然人酩酊,婉囀鳥相呼。乗興酬鶯語,放吟驚雉雛。
  衝天峰似画,游目我忘吾。獨送斜暉落,回看盈月孤。
  歸程猶曠遠,老叟易疲勞。今夕牽沈腿,明朝役世途。

     春 愁          東京都 石倉鮟鱇
  獨傾村酒三杯醉,眺望櫻雲十里流。
  白首生涯未功譽,黄鶯鳴處伴春愁。

     憂国偶成         東京都 石倉鮟鱇
  塗粉髑髏描画皮,改修青史刻新碑。
我們唯我獨尊属,今買亜州民憤激。

     春游 歩中華新韵十四韵十四首      東京都 石倉鮟鱇
  買酒將吟歩,笑貪生有涯。競櫻白髪散,順性醉春霞。

  瞻櫻綻花朶,綴玉似星河。順性傾壺酒,搖脣共醉歌。

  花底微風度,酒郷殘月斜。競鶯吟古句,放念思無邪。

  花間枕肱梦,天女抱琴来。傾酒競洪量,披襟詠漢俳。

  老殘無美譽,吟志熱心灰。帶酒聳肩詠,春櫻香雪吹。

  美酒三杯飲,幽愁一醉消。賞櫻飛雪好,吟句得花饒。

  挂冠歸故土,連日賞花游。笑入櫻雲涌,春忘兩鬢秋。

  櫻雲涌空谷,鶯語領晴天。拂面柔風快,春游閑負暄。

  櫻開花爛漫,鶯語酒芳醇。乗興人搖吻,擬唐詩賞春。

  曳杖探春景,賞櫻傾酒觴。花間詩乍就,醉境梦蝶翔。

  老去才華減,春来酒量加。賞櫻乗醉興,吟句競鶯声。

  幽林禽語靜,花底賞心奇。滿目櫻雲好,飛雪誘人迷。

  共坐紅櫻影,閑傾緑酒卮。春風拂醉臉,酬和得新詩。

  晩節無工作,花間抱酒壺。賞櫻詩易就,不顧韵紛如。

 

 

     甘州子 杉樹之嘆    神奈川県 萩原艸禾
  花粉杉樹精。千里散,任風軽。希親属萬年榮。遺悵乱塵名。風乍起,還自向春城。

 

     三字令・賞櫻花吟句   東京都 石倉鮟鱇
  誑病暇,問田家,賞櫻花。無声價,一生涯。有老殘,無歯牙,飲流霞。
  聽黄鳥,試酬答,仰K鴉。景如画,韵堪押。聳痩肩,吟吻誇,落暉斜。


     〔中呂〕快活三帶朝天子 三篇    東京都 石倉鮟鱇
  探花弄午晴,傾盞賞山櫻。乗風香雪似蝶輕,身似游仙境。
  春意盈,香氣清,人醉乗詩興。聳肩搖吻和啼鶯,覓句無声病。酒促文才,我從資性,整天吟不停。冩勝景,舒雅情,拙作堪酬應。
  櫻雲遶酒樓,夕日映河流。凭欄朱臉似猿猴,獨飲交紅友。
  望遠舟,醉暮愁,放任風拂袖。遙聽黄鳥囀無休,有感詩魂走。搖吻披襟,聳肩矯首,擬唐吟句謳。月色悠,星未稠,樗散空延壽。
  醇醪洗客心,香雪舞櫻林。閑官佯病入雲尋,滿目花如錦。
  酌復斟,醉易沈,無語重杯飲。關關鶯語領山禽,巧囀從天稟。轉換心情,欲誇詩品,聳肩將放吟。望遠岑,弄古音,韵事眞詳審。

     醉妝詞・十六篇      東京都 石倉鮟鱇
  這邊花,那邊花,春櫻滿目佳。那邊滑,這邊滑,鶯語放吟誇。

  這邊坐,那邊坐,嘆賞櫻千朶。那邊作,這邊作,詩人吟忘我。

  這邊雪,那邊雪,花舞似蝴蝶。那邊切,這邊切,送春人嘆嗟。

  這邊開,那邊開,櫻雲遶夜台。那邊來,這邊來,旧鬼賞花排。

  這邊輝,那邊輝,櫻雪似蝶飛。那邊吹,這邊吹,風拂醉翁微。

  這邊醉,那邊醉,賞櫻如雪飛。那邊睡,這邊睡,花精香梦追。

  這邊醉,那邊醉,花間枕肱睡。那邊睡,這邊睡,笑對花容醉。

  這邊敲,那邊敲,花底有詩豪。那邊謡,這邊謡,唱和鳥声嬌。

  這邊游,那邊游,探花排百憂。那邊流,這邊流,櫻雲遶一丘。

  這邊歡,那邊歡,醉顔花底安。那邊丹,這邊丹,賞櫻猿滿山。

  這邊村,那邊村,曳杖賞櫻雲。那邊春,這邊春,覓句不憂貧。

  這邊芳,那邊芳,櫻雲遶醉郷。那邊狂,這邊狂,吟客擧杯忙。

  這邊鳴,那邊鳴,悦耳囀流鶯。那邊生,這邊生,滿目涌山櫻。

  這邊鷄,那邊鷄,春昼競鶯啼。那邊迷,這邊迷,看到酒旗低。

  這邊枝,那邊枝,梅芳桃艷時。那邊試,這邊試,搖脣七歩詩。

  這邊路,那邊路,婉囀鳥相呼。那邊舞,這邊舞,香雪任風舒。

     梧桐影・偶 作 十五篇  東京都 石倉鮟鱇
  淑氣窮,櫻雲涌。香雪任風飛碧空,閑吟正競鶯清哢。

  別恨留,櫻雲涌。腸斷獨瞻香雪飛,空聽碧落鶯清哢。

  夕照黄,花脣絳。瞻壁画中含笑娘,追懷往日神悽愴。

  弄月詩,吟風志。春競老鶯秋晩蛩,游魂諷詠逃塵世。

  化谷鶯,忘人語。詩叟聳肩搖吻頻,花間踏糞迷仙府。

  有賦才,無錢袋。身在酣春花盛開,脣乗雅韵吟輕快。

  伴醉魂,貪風韵。頻探山花逃世塵,吟誇賦性情無尽。

  客土山,南風晩。庭戸老櫻飛雪翻,無眠月夜春情亂。

  碧落高,霜頭老。山暮晩蝉騒又騒,涼風不忍清秋早。

  宿雨過,風光可。山道踏花櫻雪多,紅塵一路情無那。

  解語花,傾觴夜。陪酒巧言情亦加,陶然請我吟風雅。

  晩蛬声,梧桐影。風定月明人有情,思君別恨何幽靜?

  有白頭,交紅友。瞻仰老櫻飛雪稠,搖脣養浩吟延壽。

  飲試吟,吟重飲。花底抱壺搖吻頻,霜頭覓句誇詩品。

  月印潭,猿傷感。遙看紫穹山嶄嵌,游人草宿秋添感。

     新譜・賞櫻花 十五首   東京都 石倉鮟鱇
  東風西嶺到,千紫萬紅發。餐霞帶酒吟行處,清神醉後茶。

  曳杖探風韵,帶酒仰櫻雲。順性黄鶯鳴碧落,白頭抱緑樽。

  二月白頭痩,三月素櫻新。花間傾盞交紅友,餐霞抱緑樽。

  春風吹醉面,鶯語誘仙郷。花底賞櫻傾酒盞,順性鼓詩腸。

  仰賞櫻雲好,閑聽鶯語巧。我有文才輕鶴料,吟志誇頭腦。

  仰看黄昏月,對飲緑樽醪。悦目紅脣誇酒量,翠黛醉仙桃。

  公園春爛漫,雲影是皆花。閑人買酒輕錢袋,賞櫻飄雪佳。

  櫻開香雪饒,人有詩腸巧。花底傾杯醉碧桃,吟句競黄鳥。

  滿目櫻雲涌,悦耳春鶯哢。順性傾杯枕閑肱,化蝶飛玉洞。

  枕肱貪午梦,探勝伴秋孃。花間對飲乗清興,無歸老醉郷。

  芳櫻飛玉雪,美酒洗塵胸。花間欲和鶯声巧,吟情思不窮。

  探春出市井,曳杖入仙源。快哉滿目櫻雲涌,吟詩風韵全。

  野叟傾金盞,春櫻翻錦裳。花底人瞻香雪舞,詩就醉歌長。

  坐仰春櫻好,閑聽鶯語滑。乗興聳肩詩易就,碎錦句堪誇。

  野老交紅友,櫻雲涌翠霞。靈液洗塵醪有效,搖吻感無涯。

 

 

言論筆譚

快活三・五絶・漢俳・新譜   石倉秀樹
  元代に始まった曲作り(制曲)の楽しみのひとつに、複数の曲牌を組み合わせて一曲とする手法がある。 たとえば、「四邊靜」という曲牌、また「朝天子」という曲牌は、それぞれ独立した曲として制曲されもするが、「快活三」という曲牌をその頭に加えることもできる。そうやって制曲されたものは、それぞれ「快活三帶四邊靜」、「快活三帶朝天子」と呼ばれている。
四邊靜の曲譜は、
△○△★,▲●○○▲●☆。△○▲★,△○△★。○△●☆,▲●○○★。
朝天子の曲譜は、
●☆(上),●☆(上),▲●○○★。△○▲▲●○☆,▲●○○★。▲●○○,△○△★,△○▲●☆(上)。●☆(上),●☆(上),▲●○○★。
そして、快活三の曲譜は、
△○●●☆(上),▲●●○☆,△○▲●●○☆,▲●○○★。
  上記☆は平声の押韻、★は☆と同韻部の仄声の押韻、(上)は、平声とすべきだが同韻部の上声に置き換え可能なもの、○は平声、●は仄声、△は応平可仄、▲は応平仄可を示す。
以下、拙作例:

     〔中呂〕快活三帶四邊靜・賞櫻花吟句

  山櫻吐雪花,鶯語領天涯。抱壺花底飲流霞,樗散多閑暇。
  風光如画,乗興白頭才秀發。長嘶如馬,高歌散髪,吟境古雅,不顧声將嗄。
     〔中呂〕快活三帶朝天子・賞櫻花酬唱

  賢愚共賞花,烟酒不分家。櫻雲飛雪興茲加,醉境情無假。
  生有涯,人似馬,千里牽輿駕。暫時酣適促歡洽,試競詩腸高雅。人和黄鶯,風拂白髪,君吟我醉誇。平仄佳,韵事達,酬唱声當嗄。

 さて、「快活三」は、第1句から3句までは平声の押韻、第4句は仄声の押韻である。平声で押韻してきて最後を仄声でストンと終わるのはいささか尻切れトンボの感がある。同様の押韻をするものに詞の「西江月」があるが、「西江月」は同じ詞譜を二度くり返すので前段・後段の末尾が響きあいきちんと収束できる。そこで、「快活三」は、前述の曲譜を二度繰り返せば、独立した曲として収束できるのだが、元代の詩人は、仄声押韻で収束する曲牌を「快活三」の下に加えることで、この問題を解決している。

「快活三」はそこで、独立したものとしては決して制曲されないものである。しかし、押韻を、次のようにちょっと細工してみる。
  原: △○●●☆(上),▲●●○☆,△○▲●●○☆,▲●○○★。
  改: △○●●☆(上),▲●●○☆,△○▲●○○★,△○●●☆。

 何をしたかといえば、第3句の下5字を削って第4句5字を繰り上げ、第1句を第4句にコピーした。この改譜、五言絶句の第3句(転句)に2字を加えたものに他ならない。

 同時に、第2句以下をみれば、その字数は575であるのだから、漢俳の1俳譜に他ならない。
中国漢俳学会の副会長であり葛飾吟社の顧問でもある林岫先生は、当初五言絶句として書いたものの一句を削って残りの句の真ん中に2字を加え、漢俳としたことがあるという。とすれば、漢俳として書いたものの頭にさらに5字の1句を加え、新譜とする道もあるのではないのか。

この新譜への道は、一見五言絶句の結句に2字を足したもののようでいて実はもっと豊かな可能性を含んでいる。五言絶句は、その5字句を単調に重ねることを避けるために、反法・粘法を組み込んだ平仄を展開する。このため、詩譜としては、平起式・仄起式の2式(起句入韻を別に計上しても計4式)のみである。しかし、長短句を織り交ぜた漢俳は、平仄を踏まえた句作りをするにしても、反法・粘法を踏まえる必要がない。また、押韻箇所を3ではなく2としたり、平声押韻だけではなく仄声押韻としたり、さらには曲のように平仄両韻押韻するなどのバリエーションがある。そこで、漢俳の頭に5字の1句を加える新譜も、それに応じて増えることになる。そうしたなかで、厳格な句作りをする譜の一例として、次を挙げておきたい。この譜、第1句・2句を対句とし、第3句の2字を領字とし、その下5字と第4句を対句とすることができる。

  ▲●○○★,△○▲●☆。▲●△○○●★,▲●●○☆。
  游目春櫻好,傾觴酒興豪。搖吻和酬鶯美妙,吟得句清高。

 

 

吟社の窗

◆3月23日漢俳学会成立大会が無事終了しました。日本から俳人を中心に48名が参加しました。会場は北京飯店から歩いて行ける対外友好教会の中にある、講堂で行われました。式典は劉徳有会長から始まり7人の挨拶と祝辞がありました。

◆劉徳有会長は漢俳の性格について「漢俳は遅咲きの花だった」と、鍾敬文、趙樸初、林林の三先生が漢俳を確立してから要した四半世紀の時間をふり返りました。また、「漢俳は俳句と同じく洗練、含蓄、簡潔が必要」とその性格にも言及しました。そして更に「中国と日本は畢竟民族の伝統、文化の背景と心理および文学鑑賞の習慣、言語の構造が違うため、表現形式も当然違う。ただ一点共通するのは、詩の心、詩の魂、詩の趣と美しさだ」と語りました。

◆文化部から来会した丁偉氏、日本大使館の井出公使の祝辞についで、有馬朗人国際俳句交流協会名誉会長(元東大総長、元文部科学大臣)、金子兜太現代俳句協会名誉会長、俳人藤木倶子氏、当社中山栄造主宰の挨拶がありました。

◆最後に現代俳句協会と葛飾吟社から記念品のプレゼントが行われました。当社の贈り物はその場で披露され、劉徳有会長が満面の笑みを湛えて、深川製磁特製の牡丹の図柄に名誉会長林林先生の牡丹の漢俳を配した額皿を壇上高く掲げ、ついで朗読されました。

◆ブッフェスタイルの昼餐会を挟んで、午後はシンポジウムが開催されました。日本側が倉橋羊村現代俳句協会副会長と今田述葛飾吟社代表理事、中国側が李小雨女史と林岫女史が基調講演を行いました。午前の中山主宰の祝辞と今田代表理事の基調講演の原稿は本文に掲載しました。なお、当日の報告は今田代表理事の名前で、国際俳句交流協会(HIA)のホームページに掲載されていますのでご覧下さい。

◆当日の夜、北京飯店内の京樽で、林岫女史、鄭民欽氏、楊平氏を迎えて晩餐会を持ちました。当社から中山、今田、小畑、門馬、石塚。それに客員として参加した東聖子さん、原得郎(無錫)さんも同席されました。林岫先生は中国新聞学院教授を昨年定年退職され、カナダに行かれた娘さんの家に留守番として引っ越されたとのことでした。

◆今回のイベントは全て対外友好協会の董振華さんが仕切りました。その董振華さんが早稲田大学に留学のため、30日から来日されています。同氏は金子兜太氏主宰の『海程』の同人でもありますが、当社の例会には出来るだけ顔を出したいといっていました。

◆中山主宰が3月10日共同通信龍野論説委員のインタビューを受けました。記事は東京新聞ほか、20紙ほどの地方新聞に「人」として紹介されました。北京に来た俳人からも、四国の新聞で見ましたと挨拶があったとのこと。

◆荻原徳夫氏が4月2日の五香例会に参加され新会員となられました。客員として漢俳学会成立大会に参加された東聖子さん(十文字短大教授)も月例会参加を希望しておられる由。また今田のジャカルタ時代の知人師田卓氏が東京例会を見学したいとのことで16日来会の予定です。(莵)

 

 

漢詩詞同人誌17年四月工完 文化交流漢詩詞結社葛飾吟社

 

 


五月號

  過南京秦淮河兼咏八絶 江蘇省 徐州 丁維軍
柳岸眉楼久散香,門庭蛛岡管弦傷。
曩時繁閙歌随舞,今日凄清音繞梁。
粉黛多情詩一節,詩書無奈認三綱。
佳人泪聚秦淮水,宛轉難傾故国殤。

 註:秦淮河乃南京一市内河,非常繁華,秦淮八絶指明末柳如是・李香君・顧 眉生・卞玉京等人,他們雖寄身紅楼,然却超脱世俗,皆有國色天香貌,能歌 舞,善詩画,通文墨,識音律,更為何貴者民族季節凛然不譲須眉,堅決反対 他們的夫婿投靠満清。

  弔祭黄花岡七十二烈士  江蘇省 徐州 丁維軍
漫天迷眼乱胡沙,國士猶如冷凍蛇。
雨露含情怜赤手,英雄飲恨葬黄花。
怒濤終必使舟覆,濃靄豈能将日遮。
七十二君?泪笑,武昌鼎沸虜喉噎。

 註:孫中山先生領導革命党人多次発動武装起義,辛亥年三月二十酉日発動広 州起義,林覚民,方聲洞等壮烈犠牲,后抜到七十耳具屍体,被埋葬在広州黄 花岡。這次起義雖失敗,但是這種精神直接影響了武昌起義的爆発。我們最終 洗刷了二百七十年的亡国之耻。

凭吊中山陵国父八十周年祭 江蘇省 徐州 丁維軍
急踏階堂樹鳥驚,眼簾遺像耳悲鳴。
紫金山落陰陽泪,青史册留天地名。
十載臥薪酬壮志,孤身投筆喚同盟。
日月重光仍披甲,余業由来尚九成。

次韻丁維軍先生詩"凭吊
  中山陵国父八十周年祭"
  憶孫文先生1924年来日時

 

  于神戸諫説日本之進路 千葉県 今田莵庵
扶桑行路口穿驚,国父警鐘耳底鳴。
東方徳風王者迪,西人覇道猟?名。
蛮軍不顧同栄意,蒙衆難保親善盟。
八十年前戻叡志,何忘友好協和成。

万隆(Bandung)亜細亜阿弗利加会議五十周年有感 千葉県 今田莵庵
亜人召集阿人随,万隆高原百士馳。
山境清涼招理想,諸賢熱気展雄辞。
互援緩慢民生事,共排列強侵略夷。
五十経年涸轍鮒,周公未病奮蘭姿。

福知山線惨禍  千葉県 今田莵庵
電車乱?撞高楼,軌道保安背智謀。
超百死屍呼不答,幾千家族恨難酬。
子細情報何如禍,過密駛行想誰不?
山紫水明幽徑路,鉄路延延再客游。

可探桃源  千葉県 今田莵庵
燕京去忽遊行喧,可拡交流図共存。
不識夜郎隣秘境,互求彼岸見桃源。

 

  偶成      東京都 田村星舟
水流多少音,春日絶無風。
後地全鋪翠,前林半墜紅。
黙思両鬢痩,仰見一嚢空。
獨坐読青史,乾坤火宅中。

  観"瓢湖"白鳥      東京都 田村星舟
東風殘雪遠思郷,眼下春湖霽曙光。
方是妖精聲恰恰,悠悠滑走北歸行。

 

  餐廳椅子      東京都 石倉鮟鱇
多人坐我重輕腰,時有青娥花貌妖。
白面王孫登厠處,無声放屁噴香飄。

  送春迎夏       東京都 石倉鮟鱇
白髪春櫻梳緑鬟,紅唇山鬼歩黒甜。
清陰午夢髑髏裡,玉蛹化蝶孤墳天。

  暮春吟     東京都 石倉鮟鱇
花飛人散有誰行? 白首多閑迂世情。
獨踏殘紅猶覓句,惜春吟似午鷄声。

  春愁       東京都 石倉鮟鱇
花落埋庭戸,白雲峰頂愁。
緑肥風弄影,鵑語一声流。

  山春      東京都 石倉鮟鱇
猿啼鳥語粉蝶飛,花底風輕拂面吹。
順性傾觴乗興處,白頭朱臉有吟脣。

  午梦 二首      東京都 石倉鮟鱇
風簾篩日影,蝶梦舞心頭。
花底有誰笑? 巧陪招醉游。

風吹新蔭爽,人枕古書高。
蝶梦穿花影,渡瀛千里濤。

 

  茶湯 東京都 大沼春風
草庵疎雨后,閑坐晩風柔。
間逸茶湯秘,香烟自去留。

 

  尋江戸花寺四題      東京都 池田耕堂
  薬王院(牡丹)
新緑良辰殿閣風,牡丹成錦満山中。
猶歓花影如王者,瀟洒風情麗且崇。

  本行院(白雲木)
堂前雲樹映斜陽,風軟芳香散四方。
更喜文人秋訪寺,共聞虫語羨恩光。

  経王寺(躑躅)
門留幕府落暉傷,追憶多年惹恨長。
奪目如燃杜花影,依然勝景俗情忘。

  亀戸天神(藤)
太鼓橋辺何暗香!紫藤重畳好風光。
惜哉名勝多游客,終日騒然遺憾長。

 

  七絶二題 神奈川県 山田鈍耕
  中越地震
地震雪豪共壊郷,寺堂倒壊墓碑傷。
祖霊安静何由得,世情混沌更断腸。

柏崎番神岬
流罪日蓮布教崎,即時脅迫改宗危。
今還被害発生地,今昔変遷顰蹙眉。

 

   鎌倉散策  神奈川県 高橋子沖
  一 "日出上人"開山"本覚寺"
老松典雅絶塵縁,  "夷堂"伽藍花影鮮。 
池畔倚欄春鳥囀,   聖人回顧寺鐘伝。 
注:夷堂是日蓮上人布教之堂 日出上人開山于此処。

  二 "長興山妙本寺"比企一族墓
長興渓川不染塵,   伽藍堂宇鳥声頻。
墓標"比企"総門裏, 弔悼献花一族辛。  
  比企一族滅亡于此地。開祖是一族之仏門能本。

 三 "鎌倉幕府"終焉"東勝寺"跡
芳草萋萋廃寺辺,  炎々兵火意終焉。 
滅亡末路人知否,  一族怨念洞窟咽。  
  東勝寺是執権北條高時一族自刃終焉之地也。

  愛知地球博覧会 神奈川県 高橋子沖
       一
香風靉処暁光清,  万博丘陵少長盈。
機器人吹驚客奏,  未来社会告黎明。 

       二
千里丘陵戦跡東,  会場覓索啓吾蒙。
春天一日衆人興,  技術更開情不窮。  

  梵帯岡(VATICAN)観光即事訪問前日徳国人枢機卿教皇継襲  神奈川県 萩原艸禾
礼拝堂中容万民、穹隆壮麗隔風塵。
教皇選挙鐘鳴跡、又覚朝来徳語頻。

 

 

新短詩

  曄歌十首     千葉県 中山逍雀
手指丹。弥勒菩薩,花期寒。

花筏子,秩序井然,小河石。

蘿蔔花。圍繞墓地,夕日斜。

新緑櫻。巡回図書,弟兼兄。

勿忘草。青春日日,花堤道。

春泥濘,大衆酒館,屋漏星。

結縷花。秩父小山,往上爬。

蒲公英。空房庭里,獨縦横。

仏画幅。昔日面容,遍路宿。

蒲公英。瀝青裂縫,聴雨聲。

 

曄歌 竹筍三首      千葉県 高橋香雪  
雨色昏。竹林無人,黙生孫。

雨聲侵。龍孫一夜,露変林。

訪君家。厨房一香,春意加。

 

  偲歌四首     千葉県 秋山北魚
君歓春月,妾弄羅裙。落花拂面,競餘芬。

空房忽坐,何事毎迷。梅花落處,残照低。

愁顔對鏡,何故粉粧。朝來細雨,湿襟香。

駅頭相逢,時僅心萬。偽夫背妻,夕餉膳。
( 浮世絵之艶態染色紙 / )

 

  瀛歌 春二十一首    北海道 宮本英函
春霞立。遠郭公声,耕作地。

去温泉。身体元気,五色烟。

入学式。新品制服,緊張指。

繁殖春。緑風新芽,獣和人。

脱冬服。痩身美容,熱情勿。

臀部脂。照鏡后影,絶食期。

鯉魚旗。晴天雄姿,孩子節。

"金沢"寰。形骸遊郭,"浅野川"。

"兼六園"。名園空虚,惜花銭。

"尾山廟"。古式供養,霊木老。

"輪島塗"。伝統工芸,世界珠。

"金沢人"。情深朴訥,青苗民。

"犀川"章。故事散歩,后影長。

"九谷焼"。花鳥風月,極楽夭。

聯磚墻。回想明治,富国藏。

新大厦。官署建築,風趣乏。

茶屋街。遊女芸妓,泡沫邪。

"著莪花"。天女舞踊,可憐娃。

小巷里。隆重祭祈,天女麗。

"涸山水"。貴人門口,武家跡。

"満点星"。樹蔭薫風,促艶情。

 

  曄歌・春十首 東京都 田村星舟
午風微。四月山站,胡蝶飛。

花一蹊。植物圖鑑,到處攜。

小學生。黄傘皆開,櫻下行。

花天地。"吉野"連峰,紅朦濃。

夜窗幽。初三弦月,易生愁。

已春風。蝌蚪點點,小池中。

驅輕車。山邨處處,柳未芽。

古禪宮。櫻葩片片,舞和風。

鳥來馴。花明風快,已闌春。

山翠鮮。田疇土潤,農事専。

 

  偲歌九首     東京都 石倉鮟鱇
三春花事,一種情懷。曄歌十字,弄詩材。

青春易老,緑蔭如潮。人愁古道,憶花朝。

春来人老,紅痩緑肥。春愁濃處,杜鵑飛。

恩讐一夢,壺酒三觴。夜酬幽鬼,洗星霜。

落花啼鳥,老骨飛雲。緑陰無語,憶青春。

風流有罪,詩客無名。老殘吟似,午鷄声。

三杯美酒,一枕清風。夢魔翻袖,舞深更。

千年歴史,萬巻詩書。春吟秋死,逝蓬壺。

三杯村酒,一枕詩書。五更春夢,趁妖狐。

  坤歌一首     東京都 石倉鮟鱇
有書痴。萬巻讀來,未作詩。

 

 曄歌四首   東京都 石塚梨雲
故山春。新樹如潮,風色新。

憶人時。一片春愁,雨絲絲。

坐山居。一椀新茶,意晏如。

往来稀。薫風一路,燕子飛。

 

  坤歌六首   福建省 南平市 陳學梁
弘文化,融日融中,新詩体。

伏案頭,精酌精研,称義務。

翻字典,敲字敲詞,譯新作。

三校對,一句三行,求准確。

弁三余,愿累愿疲,見精神。

日中文,同題同論,唱新歌。

  姪女鄭海虹與廣光俊彦先生結婚致賀 曄歌七首  福建省 南平市 陳學梁
春光媚,海清紅艶,結連理。

瑞雪吉,俊雅彦驍,築愛巣。

賞月宴,語陌情融,好姻縁。

秦晋好,賞月吉祥,成夫婦。

愛心濃,春風送暖,閙新婚。

不畏寒,俊似鴛鴦,楽慈嚴。

爐火旺,喜気盈門,家業隆。

 

  新短詩四首    河北省 承徳 孔憲科
曄歌  憑東風、縦横馳騁、万里行。

坤歌  塞翁馬、禍福得失、寸心知。

偲歌  雪路崎嶇、熱汗淋漓、忽聞車笛、心如蜜。

瀛歌  君行健、絶境逢生、頼天助、読百巻書,仰千丈樹。

 

 

漢俳

漢俳・牡丹   東京都 石塚梨雲
禅宮翠嵐蒼。思君恍惚賞韶光,風酔牡丹芳。

 

  漢俳二首 東京都 石倉鮟鱇
  偶成   
憶半生無譽,願後生不競賢愚。老來知大局。

  救急車
有声如嘆訴,漸漸傷人作死人。救急笛貫春。

 

  漢俳 四首 東京都 田村星舟
  鰻魚   
小雨帶清涼。鰻魚如味友情密,時過未過觴。

  三内丸山繩文丘  
春風古代丘,衝天巨柱是何樓?禽獣憶難留。
 
  遊東京灣人工島
鴎白水群青。嶼稱"海螢"海中浮,凭欄悦浪馨。

  偶成
餘花糸雨中。嫩茶新試人無到,閑坐去年同。

 

  漢俳五首    埼玉県 荻原魚骨
 賞見沼用水桜花開
見沼古流長。桜花投映又春天、漂浮倒影香。

 擬米笑話
一朝為糞塊、擬米悄悄下玉台。象牙宝塔哉。

 老戦友
古有名強者、現白老戦友得癌。初登手術台。

 君待採用通知
昔歌主恨春。君下決心待朗報、天道莫逡巡。

 祝外孫女入学
桜花怒放香。大写彩牌迎新入、心早画飛翔。

 

  漢俳五首 埼玉県 芋川冬扇
送春三首
落花去何之。新樹変景人老未?睡眸送春時。

簾影如酒痕。山月照窗春時過、斜風醒夢魂。

春曙花後村。緑風遍吹人不返、獨夢美人冤。

  緑陰読書
一巻獨読書。一雨窗前春己去、一緑是吾居。

  初夏偶吟
閑坐心気爽。葵影揺風新緑肥、蛙声遠田微。

 

漢俳俳句各五句・
  鎌倉春日        千葉県 今田莵庵
R.H.Blyth墓(東慶寺)
英国一俳人,古刹瑩田大拙隣。老鴬示情親。
ブライスに鴬うるむ墓参かな

  旧前田邸鎌倉文学館(由比)
遠望太平洋。展示開陳公爵邸,文士累??。
文士らのつぶやき公爵邸の春

光則寺(長谷)
大樹海棠開。簷間灼灼埋扁額,幽艶寺容頽。
軒埋めし海棠に寺艶めきぬ

長谷寺(長谷)
遠客一瞥春。瞰望逗子葉山濱。惜別語言頻。
花の蔭逗子葉山まで海を展べ

別離(鎌倉駅)
駅頭別桜期。残春幾歳遊如此?回家曳花疲。
鎌倉を発つ花疲れ曳きずって   

 

 

   憶江南・登中山陵眺望感壊 江蘇省 徐州 丁維軍
  東風酔,天我各興愁。高閣孤懸花木塚,長江半鎖帝王洲。八十易春秋。
 註:今年是国父孫中山先生哲萎八十周年,我特去南京中山陵  拝謁。

 

   酒泉子・空海大師入唐求法1200周年紀念 福建省 南平市 陳學梁
  空海情眞,不惧艱危求佛學。踏波濤,掀雲幕,渡迷津。
  榕城一月?人親,絢麗物華無数。上長安,経藏研,誉東瀛。

   画堂春・空海大師入唐求法1200周年紀念 福建省 南平市 陳學梁
  乗風踏浪訪隣邦,心思佛學宏揚。慕求華族好文章,空海衰腸。
  赤壁登臨使者,榕城降得金剛。西京二度菊花黄,満載東航。

   荷葉杯・甲申中秋吟 福建省 南平市 陳學梁
  玉鏡円明香馥,祈福,唱吟時。小康宏業励人奮,年順,鵲登枝。

 

   阮郎帰・苧環(おだまき) 千葉県 今田莵庵
  春風習習小庭薫。未飛俄頃蚊。百花日日次時勤。長居漸到?。休?子,老妻云。苧環有瑞氛。紫葩緑葉片縁分。風翻長裂裙。

苧環(おだまき)のスリット花も葉も深く

 

   醉妝詞・醉梦      東京都 石倉鮟鱇
  這邊飲,那邊飲,花間曲肱枕。那邊枕,這邊枕,梦中重盞飲。

   醉妝詞・雨送春     東京都 石倉鮟鱇    
  這邊雨,那邊雨,花落春將去。那邊去,這邊去,人散櫻林雨。

   醉妝詞・風       東京都 石倉鮟鱇
  這邊袖,那邊袖,任風花樹舞。那邊舞,這邊舞,花精翻錦袖。

   醉妝詞・惜春吟句    東京都 石倉鮟鱇
  這邊落,那邊落,櫻林飛雪多。那邊作,這邊作,惜春詩句拙。

   醉妝詞・涼陰午睡    東京都 石倉鮟鱇
  這邊徐,那邊徐,好風拂雪鬚。那邊愉,這邊愉,涼陰午睡區。

   醉妝詞・賞櫻花吟句   東京都 石倉鮟鱇  
  這邊舞,那邊舞,風櫻飛雪路。那邊鼓,這邊鼓,詩腸長腹肚。

   醉妝詞・賞櫻花吟句 東京都 石倉鮟鱇
  這邊醉,那邊醉,花底獨鼾睡。那邊睡,這邊睡,夢對花精醉。

    新譜・四首 東京都 石倉鮟鱇
醇醪香醉骨,疎雨洗春愁。無功人有肱堪枕,蝶飛梦可偸。

花飛春已去,緑肥人轉愁。聽雨看書無客訪,傾壺化蝶游。

花落山莊靜,緑肥庭戸幽。讀去詩書倚窗處,鳴鳩喚雨愁。

雨後暑威微,幽庭緑四圍。讀去枕書眠順性,梦魂雲外飛。

 

 

對聯

      福建省 南平市 陳學梁
積善人家眞福気;開明門第好姻縁。

海架虹橋,姻縁千里接;俊培彦士,幸福秉心求。

碧海絢長虹,東瀛俊彦成快婿;六都似淑女,?越延城做新娘。

    甲申中秋聯 福建省 南平市 陳學梁
  明月照延城,城新景麗,綺麗九峰聳秀閣,閣纜騒人,人人咏明月;清風払大地,地沃人和,祥和三水繞青山,山藏美景,景景淋清風。

 

 

言論筆譚

   四国八十八寺短詩巡礼 中山逍雀
 今年の四月、近隣の者に誘われて、女房と二人、白衣を着て、四国八十八ヶ寺巡礼の仲間に加えて貰った。

  金剛杖。同行二人,心経響。(曄歌)

 私は五十才まで、不特定の仕事を做し、不特定の人と交わったので、不特定の地域に知り合いはいるが、却ってその間は四隣とは疎遠で有った。そして、職を辞し歳を重ねる毎に四隣の重要性は増した。

  躯懶出。四隣暢通,安巷屋。十年歳月,楽湿轍路。(瀛歌)

 陶淵明の詩はこう詠う。
  人生無根帯,瓢如陌上塵。
  分散遂風轉,此已非常身。
  落地爲兄弟,何筆骨肉親。
  得歓當作楽,斗酒聚比隣。
  盛年不重來,一日難再晨。
  及時當勉励,歳月不待人。

 私もこの様に生きたいのだが思うに任せない。わが人生を顧みればこんなところだ。
  十有七而離家郷、二十而嘆貧賤、三十而志乎學、四十而奮勉工作、五十而離職、六十而不知心所欲、為白衣寶印。

 四国に行って驚いた。巡礼客人頗る多く、思い悩む人が、斯くも多いとは!
  桜花下。城市老若,聴法話。借款房間,石築大厦(瀛歌)
  不惑年。欲払情念,迷俗念。(曄歌)

 帰途、高野山を訪れる。古い墓所を通り抜け本堂に到る。
  死后銘。石頭高低,還競争。(坤歌)

 寺院を訪れるたびに般若心経二三度は唱えるから、通算二百数十回は唱えている勘定となる。だが帰途酒屋に立ち寄ったら・・・

  色是空,般若心経,空是色,経文已空,老躯酒亭。(瀛歌)
無事に帰宅。 合掌

 

Haiku と漢俳 今田 述

 漢俳が生まれて四半世紀、漢俳学会成立に到ったことは、中国の詩詞の歴史に一つのエポックを築いたといえるでありましょう。文革のあと、中国詩壇が新時代に相応しい詩を展望したとき、日本の俳句をモデルに選んだのは何故でしょうか?

 漢俳は1980年5月、日本からの俳句訪中団(団長大野林火)を迎えた歓迎会席上、趙樸初翁が即興で詠んだことに始まりましたが、そもそもどうして俳句界から代表団を迎えようとしたのでしょうか?それを解くヒントを、林林先生の『芙蓉雑記』の次の文中に見ることが出来ます。

 私が俳句に注意し、興味を持つようになったのは、三つの要因がある。その一は、俳句は日本文学史に重要な位置を占めていること、二は、現代に到ってもなお広い大衆基盤があること、三は、世界の詩歌にも影響があることである。私は俳句を研究するのは大変むずかしいことは知りながらも、あえてそれを学び、かじってきた。

 日本の詩歌は『万葉集』この方、和歌を以て国歌として来ましたが、室町時代になると連歌や連句が生まれました。そして江戸時代に入ると、それまでの貴族や武士に留まらず民衆の間でも俳諧を楽しむようになりました。芭蕉がこの道を高度な文芸に育て上げたのですが、俳句はその後盛衰を繰り返して明治に到ります。そして正岡子規がこれを近代文芸として再生させました。今では俳句を愛好する人は、一千万ともいわれています。

 この一千万という数字は、欧米でも中国でも信じがたい数字です。なぜなら、欧米でも中国でも、詩人といわれる人は、ごく一部の限られた特別の才能を持った人間だけしかなれないという観念があるからです。ところが日本では、町内会のお知らせや、広告新聞の片隅にも「俳句欄」があります。

 あれも俳句です。無論、欧米や中国で「詩」といわれるものとはレベルが違うかも知れません。俳句だって、これを極めようとすると奥の深いものです。しかし、多くの民衆に詩心らしきものを育てる上で、俳句の大衆性は驚くべき力を発揮しているといえます。

 欧米で Haiku と称する文芸が流行し始めたのはこの半世紀ほどのことです。今では英・米・加・独・仏・伊・西等の各国に俳句協会が設立されており、今や愛好者は百万ともいわれています。およそ百年前、ラフカディオ・ハーンによって俳句の存在が西欧に伝えられて以来、一部の欧米人から注目を浴びてはいたのですが、爆発的に愛好されるようになったのは、戦後R.H.ブライスの『俳句』四巻が刊行されてからのことです。

 ロンドン大学のユニバシテイ・カレッジの英語英文学科を卒業したブライスは、日本政府の招聘で一九二四年来日し、当時の京城大学予科の教師として十六年間ソウルに滞在しました。その間禅に興味を抱き、仏典を理解するために漢字を学びました。一九四〇年、旧制第四高等学校(金沢)教授に転勤しますが、戦争の激化に伴い、敵性国人として解任され、神戸に抑留されました。その間俳句や禅の研究は一層掘り下げられました。

 ブライスは後に学習院大学の教授に迎えられ、東大や早稲田でも英語・英文学を講じました。最も世に知られているのは当時の皇太子(現在の明仁天皇)の英語教育に携わったことでしょう。

 ブライスは晩年大磯に住み、六十六歳で没しました。墓は鎌倉東慶寺にあります。最後に脳梗塞のため担架で病院へ運ばれるとき、「山茶花や心残して旅立ちぬ」の一句を残しています。ブライスは、その労著『俳句』の序に述べています。

 日本精神の心髄は何かと言う質問に対する本当の答を、二十余年前に荻原井泉水のある本のある章の題で見つけましたが、その題は『日本人は皆詩人である』と言うのです。これを読んで私はくやしくて二、三日怒っていました。この文句がうそだからではなく、本当だったからしゃくにさわったのです。

 では Haikuの世界と漢俳の世界での問題意識は似ているでしょうか。どうもそうではないようです。星野恒彦氏の『俳句とハイクの世界』には、アメリカ・ハイク協会(通称HSA)が機関誌『フロッグ・ボンド』の冒頭に毎号大きく掲げたモットーが紹介されています。

@俳句は脚韻を踏まない詩で、鋭く知覚された瞬間のエッセンスを記録する。そこでは自然と人間性が関連している。通常十七音から成る。

Aハイクは、右にのべた俳句の、外国における翻案(アダプテイション)である。通常五・七・五シラブルの計十七音節、三行で書かれる。

 (註)十七音節はあくまで、『通常」であって、音節の数や行数にはいろいろヴァリエーションがあることを認める。英語ハイクでは十七音節がいまも標準とはいえ、もっと短い音節で書かれてことがますます多くなっている。ただし十七音節以上で書かれることは稀である。

  日本のすべての古典俳句及び近代俳句は季語を含んでいる。しかし、アメリカ合衆国の気候風土はきわめて多様であるから、アメリカのハイクは日本の俳句ほどには季語にかかわらない。

 「脚韻を踏まない」とわざわざ断っているのは、日本人には解りづらいかも知れません。そもそも詩は脚韻を踏むから韻文なのですが、日本の詩歌だけは脚韻の習慣を持ちません。西欧的な考えからすれば、脚韻を踏まない詩は散文と理解されても仕方がないでありましょう。

 また定型については「三行で書かれる」となっていますが、現実の作品は、三行詩が多いものの、一行詩、二行詩、四行詩もあると報告されています。そして「Haikuは定型詩か?」という質問に対しては、結論として「ごく短い自由詩」のカテゴリーに入るとしています。

 では漢俳ではどうでしょうか。こちらは明らかに定型詩です。五言・七言・五言の十七字の三行詩という条件は必須です。そもそも五言と七言は、古典詩で手慣れた詩句です。五言は抽象的表現に向いています。七言は写生的表現に向いています。これを組み合わせることにより、詩情の立体化、或いは情と景の一体化が生まれる可能性があるのです。

 一方、脚韻は強制されていません。しかし一九九七年、北京で行われた「中山栄造新短詩研討会」の席上参加された音韻学者の溥雪?氏から「たとえ漢俳のような短詩でも、少なくとも二カ所で脚韻が踏まれていると、そこからお互いが共鳴する効果が生じ、詩情を一層深める効果があります」という発言がありました。これは傾聴に値する話だと思います。

 一般に中国では詩は朗読するものであって、日本のように書いたものを字面で黙読するものではありません。(朗読といっても無論中国語で読むのであって、所謂詩吟のように日本語で読んでは韻文の特色は解りません。)朗読してみて調子の悪い作品はよくないのです。実際に漢俳作品を見ていると、その殆どの作品は句末の二カ所または三カ所で脚韻を踏ませていることが解ります。

 最後にHaiku と漢俳の秀作を一首づつ鑑賞して内容の違いを確認しておきます。
 Haiku の例は一九八八年、日本航空ニューヨーク支店が主催した世界ハイク大会で、何と四万以上の応募作品から選ばれ一等賞となった作品です。

frog pond 蛙の池・・・
a leaf fallen ひと葉ちりこむ
without a sound 音もなく(アインボンド)

 作者のアインボンドはアメリカ俳句協会の会長を務めたことがあるベテラン作家で、星野恒彦氏によれば、「芭蕉の古池やの句を念頭においた上で、ひとひねり効かせて」あるとのことです。何となくパロデイーめいた感じがしないでもありません。

 次にわが国の俳壇と親交の深かった李芒先生の漢俳を一首鑑賞してみましょう。日本文学に精通していた先生は、何と同時に俳句も自分で詠んでいます。

 校様方看完, 校様 方に看完り、
紙上塋塋飄白髪, 紙上 塋塋として 白髪を翻す、
 春宵月已残。 春宵 月は已にほろびぬ。(李芒)

 読み終えてゲラに白髪や春の宵 李芒

 「漢俳は情報量が多いから俳句に似ていない」という人に見せたい作です。同じ人
が同じ感興を詠めば、全く違和感のない共通した情感を盛ることが出来るのです。


詩俳同牀(48)        莵庵散人

 柳蔭われはをみなとなりしはや 永田耕衣

 柳の新緑の美しい季節になった。柳の葉はなよなよとして、女性の風情を想わせる。自分まで女になってしまうという感覚はいかにも詩人のものである。俳句は叙景の裏に人間を隠すのが常套手段だ。しかし耕衣の場合は、それをハッキリと言い放ってしかも崩れない。

 希有な俳人というべきである。今年は阪神大震災十周年ということで、年初来報道特集がいろいろあった。永田耕衣は一九〇〇年生まれだから、神戸市舞子で震災に遭ったとき九六歳だった。家は大破したが、耕衣はたまたま早朝、厠にいて九死に一生を得た。一時は再起不能といわれていたが、やがて

 枯草や住居無くんば命熱し

 等の作品群で復活し世を驚かせた。避難所で暮らす耕衣を新聞が報じていた。城山三郎はその生き様に感動し『部長の大晩年』なる小説を書く。耕衣は若い頃加古川に勤務し、「ホトトギス」の地元句会に参加していたが、作品が花鳥諷詠でないとして、陰湿な参加拒絶に遇う。

 人間くさい作風は西東三鬼や石田波郷に交わっていよいよ磨きがかかり、生涯変わらなかった。阪神大震災の翌年、九七歳で世を去った。まさにほぼ二十世紀を生き抜いた一生であった。
 中国の詩人は柳を好んで詩に詠う。北宋の李商隠の五律を見てみる。

  柳 李商隠
 動春何限葉, 春を動かす 何限の葉,
 撼暁幾多枝。 暁を撼かす 幾多の枝.
 解有相思否, 解く相思うこと有りや否や,
 應無不舞時。 應に舞わざるの時無かるべし.
 絮飛蔵皓□, 絮は飛んで 皓?を蔵し,
 帯弱露黄□。 帯弱くして 黄?を露す.
 傾国宜通體, 傾国 宜しく通体すべく,
 誰来獨賞眉。 誰か来りて 獨り眉を賞す.

 何限は無限の意。皓?は白蝶のこと。帯は柔らかい葉を指し、鴬がそこから露われることを詠んでいるのであるが、帯が解けて女体が露わになる幻想を感じさせる。傾国は傾国の美女。「宜しく通體すべしと」とは甚だ刺激的である。この詩は柳を詠んでいるのだが、柳に準えて女を詠んでいるとみるべきなのである。

 李商隠はよく難解だといわれる。自らも詩を詠む陳舜臣さんは、『中国詩人伝』の中で、その理由をこう解説している。「一に故事による《典故》の手法が多い。二に恋愛詩が多く直接表現を避けるため。三に政争を警戒したため」と。この詩は正に第二の恋愛詩に当たるが、難解というよりも表現が高度過ぎるというべきか。

 

急告

◆7月の東京月例会は会場の都合により、第3土曜日に変更されますので、ご注意下さい。なお、五香本社月例会は、予定通り第1土曜日ですので、念のため。

  五香月例会  7月 2日(土)
  東京月例会  7月16日(土)

◆五香月例会の開始時間は、6月例会より午後2時となりますのでご注意下さい。



 吟社の窗

◆3月23日、漢俳学会成立大会における、中国中央詩壇の熱っぽい日本指向に感嘆して帰国してから、僅か2週間で北京に反日デモが吹き荒れた。何ともその落差には驚く他はない。大使館への投石等が、国際法上許されていいわけはないが、問題の根源が日本にもあることは否定できない。徒に相手を非難するのでなく、解決のために智恵を出し合うことが必要だと思う。

◆兎に角、経済面で中国は低コスト生産基地という当初の概念から遙かに変化し、互いに噛み合った関係を持つに到っている。今や中国は市場としてもアメリカを抜いてしまった。だから両国間の相互理解を深めることは緊急の課題である。「経熱政冷」等といわれているが、「金の切れ目が縁の切れ目」などという事態はもう許されない。政治や文化の面で、相互理解を深める動きが多角的に求められる。

◆日本に帰化した中国人に訊いても、戦後の日本が戦争放棄条項を持つ平和憲法を擁し平和主義に徹していることなど、全く知らされていないという。学校教育にも問題があろうが、日本の国やマスコミがPRを怠って来たことは否定できない。日本の情報機関は情報の輸入には熱心だが、輸出には全然力が入っていない。このことは海外に勤務した経験者が皆痛感している。英国のBBC放送は体力の半分は海外向けに使用しているという。そういう努力がもっと払われなければならない。日本を知らないのは中国人だけではないのである。

◆国際交流への国の努力は、むしろ日本が中国に学ぶべきではないかと思う。今回の漢俳学会を立ち上げた対外友好協会は、外交機関ではなく国務院の直轄にある。日本でいえば内閣府直轄に相当する。この手の機関というと国際文化交流基金があるが、これは文化交流に要する支出を審査しているに過ぎない。対外友好は外交ルートだけで形成できるとは思えない。詩文による両国の交流という私たちの活動は地道ではあるが、その核心にあるといえるのである。

◆昨年9月の研討会の記録刊行が未済のうちに、漢俳学会成立大会となり、宿題が残されたままとなっている。今秋、漢俳学会首脳の日本招待の話も進行しつつあるので、6月以降で宿題をこなしたい。会員諸兄のご協力を仰ぐ次第である。(莵)

 

 

漢詩詞同人誌17年五月號完 文化交流漢詩詞結社葛飾吟社

 


六月号

『梨雲』50記念号を迎えて    中山栄造

 『梨雲』は2001年4月呱々の声を挙げたが、今回をもって第50記念号を発行するところまで来た。第1号は8頁の簡素な冊子で、私の他に、北魚、香雪、遙峰、游子、艸禾、鈍耕、凱風、梨雲、莵庵、旭翠、鮟鱇の諸氏が詩詞を寄せている。その後耕堂、星舟、春風、清明、英函、冬扇、子沖、瑪雅、蕗山、五雲、魚骨らの諸氏の参加を見たほか、陳興、金中、さらに近くは董振華ら留学生の諸兄も時々顔を見せ、誌上を賑わせて呉れている。何よりも詩詞や漢俳の制作を通じて、日中両国の文化交流にささやかな貢献をして来たことが喜ばしい。

 その間、いつも編集の重荷を背負って頂いている石倉鮟鱇先生には、深甚の感謝を表したい。頁数も40頁近くに達し、編集の負担とともに経済的負担も大きくなって来ている。しかし継続こそ力と頼み、皆様のご協力を得て発展させて行きたいと思う。

(2005年6月)

 

梨雲50號紀念 私と漢詩詞 寄稿順掲載

    梨雲50号とわたしの中山栄造主義  石倉秀樹

 梨雲50号4年と2か月、この間、梨雲毎月の編集をさせていただきながらわたしは、1万の詩詞を書いた。これらの詩詞はひとえに韻を覚え平仄に慣れるためだが、中山栄造主義のわたしなりの実践でもある。

 中山氏本人がかかる主義を標榜しているものではない。だから、中山主義は、氏の教えを聞くなかでわたしの勝手な理解が作り出したものに違いない。氏の教えは幅広く、最後は、わたしはこう思う、みなさんは自分の思うとおりにという次第だから、われわれは、自分に都合のよいところだけをつまみ食いできる。

1.凡人でも詩詞が書ける。ただし、感性や才能に恵まれていない者は、多分に情緒的で人に理解される保証のない高邁な理念に酔い痴れていてはダメで、誰もが共有できる中国詩詞の優れた手法・詩詞作りの工具を具体的に学んだ方がよい。

2.中国詩詞は絶句や律詩ばかりではない。詞曲があり、漢俳があり、曄歌・坤歌・瀛歌・偲歌もある。新しい定型を作ってみてもよい。

3.平水百六韻ばかりが韻ではない。詞韻があり、曲韻があり、現代韻がある。

4.漢詩を書くのは日本人ばかりではない。また、唐人・宋人ばかりが詩を書いたわけでもない。現代中国人も書く。だから、漢語の詩詞は、日本にではなく、中国に学べ。

5.つまりは、いろいろやってみた方がよい。ただし、自分が詩の国のどこで何をしているのか、それを自分なりにしっかりと承知したうえでやってみること。

 以上は、わたしの勝手な中山栄造主義の概要である。この考えがよいかどうかは他評に任せるが、ともかくわたしはその教えに沿って1万の詩詞を書いた。そして、凡作といえども4年で1万の山ともなれば、中山栄造主義が、詩論としていかに生産的であるかの証左たりうるだろうと思う。

 

私が「漢詩」を作り始めたわけ      萩原 艸禾

 私の「漢詩」は、まず頭の中で訓読みを練って、その上で漢字を並べてゆく。中国語で詩詞を作るという心算はない。その意味でまさに日本の文芸としての、いわゆる「漢詩」である。漢詩を作り始めてちょうど6年になった。時に、なぜ漢詩なのかと聞かれることがある。それに対する答えは二つある。ひとつはずるく不純な動機であり、別のひとつはもう少し真面目な理由である。

 仕事から解放されて、さてこれから何か趣味をと考えたとき、それが文芸ならまず思いつくのが俳句だが、そこで待てよと考えた。聞けば俳句人口は1000万人という。今さら1000万人の驥尾に付して何になろう、と思っていたとき斎川・今田の両先達から誘いを受けたのが漢詩作りである。

 漢詩ならば、唐詩が好きだなどという人は沢山いても、自分で詠む人は稀なはずである。それなら、少しやればすぐによい格好ができるはずだ。そう思ったのが不純なほうの動機である。

 もう一つの真面目な方。漱石、鴎外、特に鴎外の史伝ものなどを読むにつけ、漢学の素養を欠いているのが口惜しい。白文と言わないまでもせめて訓点付きの漢文ぐらいは読み慣れたいとの思いで、月一回斯文会に通い始めて十年が過ぎた。その間、詩についても中村真一郎、富士川英郎などの著書を通じて、盛況を極めた江戸中期以降の詩壇に思いを致しつつも、自分で詠むなどは及びもつかぬことと感じていた。そこにこのお誘いである。早速これに飛びついたのも当然のことであろう。

 思えばかつてはわが国文芸の本流をなしていた漢詩である。その古めかしさを何とか衒って格好よい思いがしたい、というのが私の「漢詩」である。とすれば、本音の動機としては「不純」な方に戻って軍配を上げるべきなのだろう。

 

  私の好きな一詩           今田莵庵

   澄邁駅通潮閣二首其二 蘇軾

 余生欲老海南村, 余生老いんと欲す 海南村,

 帝遺巫陽招我魂。 帝 巫陽をして我魂を招かしむ。

 杳杳天低鶻没処, 杳杳と天低れて 鶻没する処,

 青山一髪是中原。 青山 一髪 是中原。

  政争に敗れた蘇軾が海南島に流され、晩年帰国を許されて海を渡るときの作である。遙か北に髪一本に見える祖国、だが蘇軾はそこへ帰り着く前に六十六歳で常州に没した。

 私は勤め上げた銀行で、四十九歳になってジャカルタ勤務を命じられた。三年の南海滞在は、国際的視野を拡げ自分の生き方を大きく変えた。帰国数年後に書いたインドネシア滞在記『トワンガンバルか?』が、中央公論社の目に止まり中公新書で刊行された。当時この詩は知らなかったのであるが、知っていたら挿入したかった一詩である。

 

   私の好きな一詩            中山逍雀

 好きと謂うよりは私の生き方に重ね合わせた詩として、陶淵明の雑詩を挙げよう。

人生無根蔕,飄如陌上塵。分散遂風転,此已非常身。
落地爲兄弟,何筆骨肉親。得歎當作楽,斗酒聚比隣。
盛年不重來,一日難再晨。及時當勉励,歳月不待人。

 人生には、根や蔕の様に支えてくれる物など無いのだ。同じこの世に生まれりゃ皆兄弟。えにしは親より強いのだ!

 楽しいときには楽しんで、友達集めて飲もうじゃないか!若いときは二度とはこない。生きているときが花!

 私はあまり飲めないから、陶淵明さんの様には行かないが、20歳の頃からこの生き方を地で行っている。そんなに気楽にしていても、悩みがないわけではない。

 仏教の大家、小畑旭翠兄に、瀧に打たれて修行したいので教えてくれ!と謂ったら、「風邪を引くから止めなさい!」と言われた。笑笑!

 

  何故詩詞を作るのか     池田耕堂

 私が子供の頃は、日常会話の中にも、時折漢詩漢文の言葉を使っていた。集会の時などに、余興と言われれば、誰に教わったわけでもないが、頼山陽の「川中島」や、真山民の「山中月」を吟ずることが出来た。

 敗戦後はアメリカ一辺倒の風潮で、中国文化は余り顧みられなくなったが、然し学校教育では漢文の教科が無くなることもなく、時々私も我流で七言絶句らしきものを作ったりしていた。

 結婚後は、日本の経済発展期で、日曜や祝祭日でも、今のように休暇があるわけでもなく、朝から夜遅くまで仕事に追われ、趣味をする余裕は無かったが、還暦近くになり、やっと時間的なゆとりが出来、夫婦で北京へ旅行することが出来た。故宮・万里の長城・明の十三陵など、やはり創造に違わず、私の心を打ちその思いを七言絶句に託した。

 それから暫くして、三省堂書店へ行くと、「漢詩の作り方」言う本が眼にふれた。ページを捲ってみると、自作の詩詞が余りにも出鱈目なことを知らされた。早速それらの本を買いあさって学習に努めた。私は他人さまにお見せするつもりはなく、日記のように折々の感動を、詩に留めておいた。数年後新宿に漢詩の同好会の有るのを知り、此処に参加させて頂いた。

 そこでの漢詩は、自分の心情を書きとどめるだけでなく、他の人たちに心情を披露するための手段であり、その技法は多岐に渉ることを学んだ。作品は暇が有れば出来る、無ければ出来ないという類ではなく、眼前の事象と心情とが共鳴し、自然に脳裏を過ぎる物だと思う。

 私は、電車に乗っているときや、ベットに横たわっているときに、ふと一文字が浮かび、其れをその儘にしてしまうのは残念に思い、詩詞として書きとどめているだけです。
 何故漢詩を作るのかと問はれても、ただ困惑せざるを得ないのです。

 

 「天田愚庵」に触れて          田村 星舟

 なぜ漢詩を?と問われることが時々ある。私の場合、動機は天田愚庵(1854〜1904)という文人僧に出遇ったことだろうか。 

 愚庵とはどのような人物なのか。

 東海遊侠伝と言えば映画や芝居、小説等で知っている人も多いだろう。だが、それら任侠もののもとになった『東海遊侠伝 ・ 一名次郎長物語』 の作者が天田愚庵であることは、あまり知られていない。愚庵は歌人でもあるが、漢詩人でもある。

      嘯月壇  
   天高秋在地  雲月共徘徊    □=(路−各)+扁
   仰首一長嘯  □△仙鶴回    △=(路−各)+遷

 愚庵の作だが、エピソードがある。明治二十八年、自ら草庵の庭に帰雲巌、梅花渓、嘯月壇等十二景を想定して詩を作り、新聞『日本』 に載せ広く唱和を求めた。子規はこの時「われ詩を善くせず(中略)因りて同人と共に俳句十二首を作り以て責を塞ぐ。

ただ俳句は詩に非して暴露に傾く嫌ひあり。(後略)」 (『松蘿玉液』)として、俳句で応じたが、「嘯月壇」に唱和したのは次の句である。

   嘯けば月あらはるる山の上     子  規
   物干に月一痕の夜半かな      碧梧桐 
   犢鼻褌を干す物干の月見かな    虚  子

 「嘯月壇」などと洒落てはいるが、実は草庵の物干し台のことである。庵の敷地は凡そ百坪。子規のいう 「暴露」 が碧梧桐、虚子の句を指していることはいうまでもない。虚子の句を読んだ愚庵は機嫌が悪かったとか。二人にすっぱ抜かれて面目丸潰れというわけである。

 私の詩作は愚庵に関わる資料等を読んでゆくうちに、必要と感じたことから始まったわけなのだが、漢詩の何を、どう自らの短歌に取り込むか、今はそのことに拘っている。「詩作」も、「そのこと」も、天田愚庵がきっかけとなった。

 

  私の好きな漢詩   萩原魚骨

  為女民兵題照       毛沢東 1961年2月
颯爽英姿五尺槍、    颯爽たる英姿五尺の槍(じゅう)、
曙光初照演兵場。    曙光初めて照らす演兵場。
中華児女多奇志、    中華の児女は奇志多く、
不愛 装愛武装。    紅装を愛さず武装を愛す。

 私が東京外国語大学で中国語の勉強を始めたの一九六0年、六0年安保闘争の年です。毛沢東がこの七絶を創ったのは翌年の1月、五八歳の時。中国では毛沢東の「大躍進政策」が失敗に終わり、毛沢東は一九五九年には、劉少奇に国家主席の地位を奪われ、中国共産党の主席として、大飢饉という厳しい環境下で、一九六六年に発動する文化大革命を思い描いていたのではないだろうか。

 私は文化大革命が始まった年の十月初めて訪中し、広州市で開催された交易会に参加した。広州の街は中国各地から続々と入ってくる紅衛兵であふれていた。交易会の会場にも、ホテルのカウンターでも、紅衛兵が外国人接待に当たっていた。商談相手の中国の貿易会社の部長は、「今日、高校生の紅衛兵の娘が、北京から歩いて広州へは来た。

 途中の村や町では、反動派と闘争したりしたので、何ヶ月もかかった」と言うような事を言っていた。毛沢東の文化大革命の主力兵は「造反有理」を旗印に全土を席捲した、この七絶が絶賛する「紅装を愛さず、武装を愛した」「奇志多い中華の児女」からなる紅衛兵だったのです。確かに私が接した「中華の児女」たちは、質素な身なりで革命に燃えていた。

 私が、この七絶を覚えたのは、会場、ホテルなどでの紅衛兵との交流招待された映画会、街に流れるスピーカーなどなどを通じてだった。音痴の私が歌で覚えてしまったのだから、中国の若者達が如何にこの七絶を愛唱していたかお分かりいただけると思います。「三つ子の魂百まで」ではありませんが、私は今でも、この歌を歌えます。機会があったら、いくつかの毛沢東賛歌と一緒に皆さんに紹介したいと思っています。

 私は、今中国の学生に日本語を教えています。まじめな学生もたくさんいますが、厚「紅装」の女子学生、全然「雄志」を忘れてしまったような学生もいます。そんな学生に対して、私がこの歌を歌うと、まじめな学生までもが一斉に「先生 古い!」。

 私は今年3月仲間入りさせて頂いたばかりの新参者です。皆さんが育て上げられた50号記念に名を連ねることができ真に光栄に存じます100号記念が出る頃には少しは皆さんのお役に立つことができるよう頑張ります。

 

  なぜ詩詞を書くのか           秋山北魚

 なぜ詩詞を書くのか。そうと問われて、どう答えたものやら。どうにか答えたところで、判っていただけるかどうか。

自分の部屋で聴く音楽は、バンドネオン奏でるアルゼンチンタンゴ、ドゥエンデ誘うフラメンコギター、モダンジャズのバラード、そしてクラシックはピアノソナタである。机辺に置く画集はE.ムンク、G.クリムト、E.シーレであり、A.ビアズリーやH.R.ギーガの版画集であり、R.メイプルソープの写真集である。詩集と言えば、カイヤームの「ルバイヤート」、W.シエクスピアの「ソネット集」、P.ボレルの「狂想賦」である。斯様な道具立てのなかでの詩詞集は、「唐詩選」ではなく、「玉臺新詠」や「花間集」である。

 ごてごて並べ挙げたが、どうして律絶ではなく、詞とか新短詩、それも偲歌や瀛歌を書くのか、ご賢察頂けたと想う。其れではどうして、恋歌ばかり書くのか。此も亦、巧く言えない。

 幸か不幸か此まで、貧困、飢餓、戦闘などによって、精神の極限状況まで追いつめられたことがない自分が、詩を書けるわけがない。書くとすれば、其れは遊閑の楽趣に過ぎない。そう勝手に昔から思いこんでいる。

 文芸の大きなテーマと言えば、愛と死である。愛、其れも異性への愛、それはミステリアスで有るが故に、その虚構にして迷宮の世界に、いたく魅かれる。遊閑に詩詞を書くとき、赴くところは情愛の世界である。

 ちなみに、もう一つのテーマの死、これは死期を悟り、筆を持つ余力が有れば、記したいものである。その時までお預け、今のところ書く気持ちはない。ともあれこれからも、中山逍雀先生のご指導を受け、同人諸氏の作品や諸説に啓発されながら、詩詞を詠み作る愉悦に浸り続けたいと願っている。

 

なぜ漢詩を書くか  私と漢詩    高橋渉

 漢民族の開発した漢字は表意文字であり、一字一字に独立の意味がある、この点は他の言語には無い特徴といえる、漢字を用いた漢詩は短い言葉なり少ない文字で状況描写なり多くの感情表現が出来る、先人の残した漢詩の鑑賞は我々の情緒を豊かにし風雅な内容は我々を魅了する、又詩作には頭脳の訓練、時間を忘れる楽しさもある、これらは私が漢詩に興味を持ち、漢詩を書く理由の一つであろう。

 又漢詩は漢民族の用いる外国語の文学である、然し漢字なり漢詩が中国大陸より日本に齎されてより千五百年の歴史があり、この間漢字漢詩の日本語化も当然進んだため、現代日本の作詩の考え方なり手法と、現代中国の思想文化との間の乖離も感じられる、この点葛飾吟社と中山主宰は開設当初より現代の中国との交流を目的とされ、日中の相互交流理解に尽力されていますことに敬意を表したい。私が吟社に関わり漢詩を書く目的は又この点に在ります。

 

 なぜ詩詞を書くのか   山田鈍耕

 私が最初に詩詞に出会ったのは、新潟県立長岡中学校の一年生の時だった。東京から疎開してきた西巻先生は、大変博識の方で、教科書を離れて面白い講義を為された。

 又長岡市は米百俵の故事にまつわる國漢学校の開校以来の伝統があり、詩詞の基盤が有った。学生時代には座禅をし、公案、提唱、禅録などに親しみ、内容の深さに感動した。

 老後対策の一環として油絵に取りかかった。日本では詩と画のジャンルが分かれ、別世界になっているのに反し、中国では同根の考えです。書で心を書き、絵で心を描くことが自然と見なされています。自画自賛は自分の画に自ら賛する事を言い、「賛」は日本では、画に添えて書く詩、歌、文全般に用いられているが、中国では作品に文字を入れる認識の区別がもっと明確で、題字、題詩、題記、落款など有るが、何れにせよ文字を入れて作品は初めて完成する。

 これにヒントを得て、下手な油絵だけでは不足なので、絵に書いた対象、心境などを詩詞に書き併せて一人前にしようと想った。斯くして一つの事象と二重に楽しむことが出来、有限の時間を有効に活用できる。又油絵を描いて手先を使い、詩詞を作って脳を働かせ健康面でもプラスと思っている。

 欲を言えば、中国語の発音を勉強して、詩吟にも取り組みたいと考えているこの頃です。

 

 なぜ漢詩を書くのか  清水蕗山

 かれこれ30年余り漢詩に接している。専ら吟詠する方、つまり詩吟という分野である。詩を吟ずるにも詩文を良く理解しないとうまく表現できないことは常識である。漢詩の表現が実に魅力的なことに気がつくのにそう時間はかからなかった。語彙が豊富で言回しが絶妙である。定型詩の調子の良さに加え、起承転合の構成が人をして感動
せしむる等々・・・2年程前から、自分も漢詩を創作してみたいと考えるようになった。

 自作の詩を吟詠したり書にしてみたいというという意欲が湧いてきたのである。太刀掛重男先生の「だれにでもできる漢詩の作り方」を教材に勉強を始めました。現在は詩語表を離れて作る訓練を自らに課しております。初心の域からの早期脱却を念じてはおりますが、葛飾吟社の諸先輩にはあまりにもレベルが違い戸惑いながら顔を出して
おります。ともあれ努力の報われる日を夢見て語彙の豊かさ、表現の豊かさ、格調の高さを求めて邁進して行きたいと思います。

 

 なぜ漢詩を書くのか    門馬清明

 青葉の茂る季節が巡ってきて、このたび葛飾吟社は目出度く月刊機関誌「梨雲」五十號を出す運びとなりました。然し時恰も日中戦争六十周年に当たり、北京、上海など中国各地で半日デモが起こりました。今日の日中関係は政治的に冷たく、経済に熱いと言われています。

 然し漢詩詞の分野ではたとえば今年三月に、中国国務院の肝いりで、北京で、中国漢俳学会の成立祝賀会があり、葛飾吟社も中山逍雀主宰以下、理事、会員同志が出席しましたが、日中両国の漢詩愛好者同士の付き合いは、和やかな楽しいものでした。

 私は子供の頃、祖父から度々父母に送られてくる便りに整然と書かれている漢詩の形状の美しさに魅せられ、読めもしないのに、しげしげと眺め入っていたものでした。

 中学、高校と進み、副読本などで漢詩漢文を読む機会に恵まれると、李白、杜甫の詩、論語の触りなど、繰り返し読むのが好きでした。葛飾吟社に入れて頂いてから、未だ年数浅く未熟者ですが、好きな道なので、漢詩の勉強に励みたいと思っております。そして好きな漢詩を通して、日中両国民の有効に役立てるなら、この上ない喜びです。

 

 

詩 寄稿順掲載

   梨雲五十號紀念     高橋香雪
白白梨花五月天,吟朋互學染華箋。交流四海幾秋業,唱和春心机案前。

 

  寄“梨雲50號”      大沼春風
梨雲同志巻,任性萬花開。案句留佳客,交歓作渡盃。
詩筵何事好,蓮社興悠哉。友到和琴瑟,音書自遠來。

 

  七言絶句・龍孫      中山逍雀
龍孫壊砌現簾前,日日匆匆欲上天。昨夕被誰□散幹,今朝倒毀短籬邉。
注:□; ti1 ;足+易 ;蹴飛ばす

  五言律詩・晩春畝園
執筆薫風裏,青苔對日暉。軽寒清似水,嫋嫋冷侵衣。
老懶聊託詞,栖栖昼掩扉。妻栽花満架,我未両心違。

  三聯五七律・緑風擬農事
薫風緑満軒,鶏犬守家門。臨水心気爽,移歩農事繁。
陋巷愛花塵事少,鬢霜欲擬数畝園。

  七言律詩・窗前緑風
窗前緑緑映蒼穹,白白黄黄昨夜風。坐想郷閭農事急,方知客裏此歓同。
鶯聲漫漫榴花下,蝶翅匆匆草露中。卓子茶湯香満椀,茫然注視路邉桐。

  自由詩・草珊瑚(せんりょう)

  松杉下,
身高僅有三寸三。
矮木影,細竹間。
不識初陽燦,無憂凍雨寒。
  草珊瑚。
豊豊小果,粒粒鮮朱。
啄朝雀,掉暮烏。
  微雨如糸花落季。
薫風換景水暖時。
櫟樹香塵下,四四嫩芽幾百,嫩芽両三枝。
  春夏秋冬両三遷。
身高已有三寸三。
粒粒丹丹。

 

訪“武州武者小路新村”三首      高橋子沖

   一 思想
志士雄図理想郷,“武州”山里散春光。共同農業猶多夢,“五色”天翻八十霜。

  二 現実
茶園新緑與水田,開設“新村”幾十年。共同農業求幸福,何図若者専俸銭。

  三 展望
先人思想創“新村”,社会覚醒同志尊。今日空知門巷寂,未来展望豈輕論。

 

 航樓船長江               田村星舟
暮烟隔岸月光幽,剪剪風輕羇魄猶。恰好濤聲達我枕,滔滔千古聴江流。

  旅遊偶成
緑暗花飛一婁烟,池塘添母鴨雛眠。行人忽怪噪烏鳥,私地仰看卵色天。

  偶成
鳥歌鳥啄天逾碧,魚泳魚跳水自銀。恰好桜花紅満地,陶然低回一閑人。

  “水子地蔵”
赤赤囲裙春意加,点心硬幣與供花。只管哀憫九泉遠,深奥梵林怨暮鴉。
注;“水子地蔵”是祭奠孩兒的霊魂的地蔵菩薩

 

意大利旅游六首       荻原艸禾
  羅馬(Rome)・梵帯岡(Vatican)訪問前日徳國枢機卿継襲教皇
礼拝堂中萬里人,穹隆壮麗隔風塵。教皇選挙鐘鳴跡,只覚朝來徳語頻。

  仏羅倫薩(Firenge)・弁公室(Uffigi)美術館蔵(Venus)誕生等文藝復興期名画多数
美神生誕湧潮風,天女玉肌紗服中。數識周囲凡眼福,行行歩歩復興蹤。

  皮薩(Pisa)・斜塔
  近年修理復傾斜三百年前
欲倒留來今古珍,復修先就客游頻。傾斜保守何須異,直立却疑無旅人。


  威尼斯(Venice)・“水都”散策
軽舸揺流起棹歌,石橋周巷履蹤多。誰言失路還添興,興游忽已迷狭坡。

  美蘭(Milan)・達芬奇(Davinci)最後晩餐
扉中扉累阻初開,浄域深蔵人類財。狼藉閃光何處是,官人遂客去無回。

 

早雲禅寺(在箱根町根本)           池田耕堂
“氏綱”創寺聘禅師,“戦国梟雄”埋葬茲。荘重仏堂紅影亂,清閑境内翠条滋。
賞心不尽“枯山水”,幽寂無辺累代碑。景勝温泉游客簇,興亡史跡少人知。

枯山水;無水處利用地布置的山水庭園

  “鋸山日本寺”(千葉県安房郡)隔句對
“鋸山”上古作霊場,邑里依然護法堂。百尺観音聳崖壁,滋顔整整記風霜。
千尊羅漢連洞窟,戯眼溜溜酔幻郷。十里石段君勿厭,幾多景勝興無彊。

  兼六園(金沢市兼六町)
老松枝偃転蒼然,曲水亭更興牽。春至梅桜互争艶,秋回楓柿正如燃。
林泉兼有“六佳”美,池畔形成“八景”妍。“雪吊”眺望殊絶妙,名園真価在冬天。

  総持寺(横浜市鶴見区)
“能登”禅苑遭災害,近代本山遷“租州”。縹渺祇林連傑閣,荘厳仏殿聳高邱。
桜花爛漫和心気,尊像端然忘杞憂。多数僧徒励修行,伽藍日夜梵聲流。

  懐古白帝城
仰見詩城千古忠,難忘英傑萬夫雄。託臣後事水魚契,天下三分帝業空。

註:
詩城:白帝城的別称
託臣:對丞相諸葛孔明託付後世的事業的典故
水魚契:劉備和孔明的関係
天下三分:天下三分地計

 

  三連五七律                 齋川游子
  “狐雨”
雷鼓驚童白雨走,玉簾輝日彩虹生。
可憐奇像趣,想起古譚情。
先人怪謂是燐火,又用狐文冠于雨也。
注:狐文是謂狐的文字、以此冠于雨也

  秋天
紺碧秋天悩殺人,清風颯沓適精神。
仙郷愉楽足,残暑健忘眞。
崢嵬石径高台上,秀麗連山景可親。

  被魚類與植
魚類不游酸性川,硫黄吐毒植被貧。
健在疏松韵,繁栄矮竹茴。
造花深謀最難計,眼前風物興津津。
注:矮竹是謂“熊笹”也。疏松是成長荒地種,而數不多。此種却敵通常的植生地而不能成長也。

  偶成
衰老出域残暑時,山中静穏雨如絲。温泉水溢硫黄滑,僻地風冷嵐翠奇。
天籟囁茫如語古,流鶯弄舌坐催詩。雲邊三日欲歸宅,游客依依奈別離。

  燕子
衰翁脱暑到山邊,燕子不図随意翩。朝上蒼穹喃矮竹,衝風如杼頡頏鮮。
暮低緑沼親芳草,驚水追虫來往全。孰孰営営玄鳥苦,苦労無尽是何縁。

 

  紅 夜             石倉鮟鱇
風鳴氷刃斬嫦娥,天轉首級猶唱歌。才短詩人悲歎處,吟喉噴血染銀河。

  偶 作
一萬詩詞似無作,十年歳月不歸來。白頭只有口才健,花底新吟供酒材。

  偶 作
十年吟興老茅廬,一萬詩詞尽酒壺。天下有誰登蟻塚,化蝶碧落舞虚無?

  春 愁
生涯長一梦,戀愛短三春。花散有餘日,緑肥無麗人。

  蜀魄鳴
人老無功譽,山聞蜀魄鳴。思郷促懷旧,喪志恨天晴。

  七絶・讀和歌偶成 二首
難等欲聽声透肝,郭公皐月領空山。望郷振羽吐愁血,懷古哀鳴勝旧年。
参考;さつきまつ山郭公 うちはぶき今も鳴かなん こぞのふるごえ(古今集・夏歌137よみ人しらず)

杜鵑吐血成習慣,吟叟思郷陳碎辞。我欲山聽声未到,緑濃皐月過當時。
参考;さつきこば鳴きもふりなん 郭公 まだしき程のこゑをきかばや(古今集・夏歌138 伊勢)

 

  思苹花                陳 興
待君電脳前,待久伏卓眠。朝憶思君處,銀河欲曙天。

  贈秋山忠彌先生
磐眉巨鼻此詩人,疑是中唐李賀身。詩使何曽是詩鬼,原於添乗事詩神。

  客里作
冷碑熱面作宵夜,電脳未開疑有郵。夜半獨醒残酔意,長天雲淡正悠悠。

 

  書法躾之字           今田莵庵
  劉徳有先生主導「躾」字書法展挙行于北京。聴是欲学日本的慣習。有感。
扶桑存躾字,愛育禮尤虔。展書交流士,揮毫学習箋。
若非仁者鄙,何用市童憐。但是往年徳,些羞為斡旋。
注:仁者鄙、市童憐=『小学』引范魯公詩「雖得市童憐、遠為識者鄙」。

  讀劉徳有著「郭沫若戦後訪日」有感。
  文中郭老訪市川須和田郷。曾郭老一時隠棲此地,在近傍葛飾吟社。
偃戈郭老到東瀛,先訪十年雌伏甍。爺輩来号懐旧意,村人忽砕遠游情。
陋居猶刻奔流史,詩碑長留親善盟。葛飾吟楼存葛飾,待馳三里指呼程。

  戦後六十年于比律賓猶日本敗兵二名残留
南島偃戈六十年,敗兵存在報双員。如何想国迢迢夜,豈有傷心寂寂眠?
郷党連呼願救出,高官対処議周旋。却危老体寒涼地,一髪青山蘇翁然。

  黒部渓谷為猿吊橋
渓流双璧聳仰天,欺蜀風光桟道懸。堰堤誕生須失路,野猿下降忽荒田。
鉄条連結羈空宙,樹果扶探繋目前。為獣吊橋云愛護?将防乱害到郷辺。

 

 

詞 寄稿順掲載

 八聲甘州・茅屋閑居         中山逍雀
   應車雷轆轆未閑居,閉扉模先賢。擬竹窗筆硯,高楼観月,古殿繁絃。恣筆頭千古意,弦月半秋天。惟有喧囂巷,琴響如蝉。
   緬想家郷田野,屈指年如水,應若駿奔。禍福人間事,多難向誰言。坐茅廬、澄神塞耳,閉眼聴,檐馬導桃源。闢V地,比隣爲聚,對酌芳樽。

  漢俳
花落燕來飛。今昔幾年屈指數,開封人未歸。

 

  漢俳三首               田村星舟
  金花茶
一朶金花茶,夭夭玉肌是天工。春杪駘蕩中。
注:金花茶;中国広西原産

  観星   于白馬村(長野県)
夏節“白馬”天。與汝観星空閲歳,相見又何年。

  菖蒲
菖蒲更深紅,緬想屈原傷薄命。池塘送薫風。

 


  十六字令二題       高橋香雪
遊。
紅雨芬芳酔江楼。
何難去?
長堤晩風柔。

蛍。
雨後黄昏草満庭。
懐童時,
蕩蕩一燈青。

 

  漢俳二題           石倉鮟鱇

    蝗 虫
漢俳:動嘴從天分。我是蝗虫喫草忙,終日垂尾糞。
短歌:青葉喰い尾には緑の糞垂れてわれはひねもす殿様バッタ

     油虫舞
漢俳:不但蝴蝶美,也有油虫振翅飛。一路月明輝。
短歌:世に飛ぶは蝶のみならずゴキブリのわれも空ゆく満月の夜

     漢俳・讀和歌偶成 十五首

棄世入山人。畢竟倦山何處隱? 化鳥競鶯吟。
世をすてて山に入る人 山にてもなほうき時はいづち行くらん(古今集雑歌下956凡河内みつね)

山姫晒瀑布。天衣無縫人歸處,有誰獨沐浴?
たちあわぬ衣きし人もなきものをなに山姫の布をさらすらん(古今集雑歌上926伊勢)

暗思深水底,長慕光明幽藻靡。陰血流胸裏。
河の瀬に靡く玉藻のみがくれて人に知られぬ戀もするかな(古今集戀歌二565 紀とものり)

旧府蕭条處,鮮花顔色往時同。奈良開萬紅。
ふるさととなりにし奈良の都にも色は変はらず花はさきけり(古今集春下90 平城天皇)

別後尚相思。月入寒襟人仰視,豐頬涕涙濕。
あひにあひて物思ふころのわが袖にやどる月さえぬるる顔なる(古今集巻戀五756伊勢)

年来人老去。任他不嘆負春日? 身在櫻花底。
年ふればよはひは老いぬしかはあれど花をし見ればもの思ひもなし(古今集・春上・52 藤原良房)

春林雨有情。宛如天涙洗春櫻,惜花散不停。
春雨の降るは涙か櫻花ちるを惜しまぬ人しなければ(古今集・春下・88 藤原関雄)

幽庭新緑密。人老紅塵花氣移,聽雨不覺夕。
花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに(古今集・春下・113 小野小町)

嘆氣相思處,虚空恰似君遺物。無端仰長慕。
おほぞらはこひしき人のかたみかは物思ふごとにながめらるらむ(古今集・恋四・743 酒井人真)

柑橘待皐月。花下恍然人感覺,君翻香袖夜。
さつきまつ花たちばなの香をかげば むかしの人の袖の香ぞする(古今集・夏歌139 よみ人しらず)

 

 

新短詩寄稿順掲載

  偲歌三首           秋山北魚
瑟發清響,歌啓宿心。風透簾箔,相和吟。

君背吾去,不知愛誰。迷蝶力盡,繞花枝。

孤枕哭夢,慈玉顔残。落花不語,朝雲寒。

 

  曄歌             中山逍雀     
春方寸。探香芳菲,對花問。

  坤歌
對情敵。現在妻子,没譲給。

  偲歌
不知時候,深厚情意。服待酔漢,我跟君。

  瀛歌
一起走。海浜潮風,初夏候。舊回憶録,由鞋底落。

 

  曄歌十首           田村星舟
新葉香。銀杏老樹,野寺傍。

春昼長。茗椀清風,“金谷”郷。

白日悠。薔薇萼底,湛蜜幽。

亂山圍。春風一湖,一帆飛。

為誰圓。仰看天際,春月娟。

日自斜。徘徊堤上,獨見花。

花影深。孤坐草上,客中吟。

有歸舟。水光瀲瀲,春色幽。

領春光。恰恰天鵝,“水原”郷。

古寺中。解皮嫩竹,不待風。

 

    曄歌・四 首      石倉鮟鱇
  画中姫。一笑冬寒,露雪肌。

  氣如仙。緑陰吟句,入新篇。

  緑烟閑。蜀魂啼斷,客中憐。

  一起醉。月明酒美,無人睡。

     坤歌・三 首
  池底魚。汚泥澱處,作仙居。

  獺祭魚。風人詩句,抱頭低。

  蛩語多。酒煽情火,念君過。

    偲歌・三 首
  蜀魂吐血,南窓浮月。客土孤眠,枕上雪。

  讀書有味,順性無爲。緑陰肱枕,醉風微。

  清風一枕,涼蔭三伏。倦書午睡,老虚無。

     減字瀛歌・二 首
  酒有功。醉仰花容笑画中,梦招霞洞露鷄胸。

  有女人。別後更衣獨送春,樽前含笑酒痕新。

     偲歌・讀和歌偶成 三首
  春衣無縫,霞袖任風。花精入夢,乱行生。
  春の着る霞の衣ぬきをうすみ山風にこそ乱るべらなれ(古今集・春上・23 在原行平)

  陽光不到,深山秋老。岩挂紅楓,將散早。
  奥山の岩かき紅葉散りぬべし照る日の光見る時なくて(古今集・秋下・282 藤原関雄)

  空花情火,強過飛蛾。老翁猶惑,戀嫦娥。
  よひのまもはかなく見ゆる夏虫にまどひまされる戀もするかな(古今集戀歌二561 紀とものり)

    減字瀛歌・讀和歌偶成 二首
  興何在,花飛幽徑有誰来? 暗思山里一櫻開。
  見る人もなき山里の桜花ほかの散りなむのちぞ咲かまし(古今集巻上68 伊勢)

  吉野山。櫻枝萬朶雪留殘,恐怕花遲今歳寒。
  吉野山さくらが枝に雪ちりて花おそげなる年にもあるかな(新古今集・春上79 西行)

 

吟社の窗

▼漢俳学会会長になられた劉徳有先生をお迎えして、11月12日(土)有志でお祝いしようという企画が名古屋の俳人加藤耕子さんを中心に進められている。加藤さんが招待手続きや会場予約などに奔走して下さり、先日早稲田に留学してきた董振華氏もジョインして一回目の相談をした。加藤さんは葛飾吟社との共催にしたいとのこと。当日会費以外資金負担も殆どないので、お受けする予定だ。会員諸氏のご協力をお願いしたい。

▼劉徳有先生は中日文化交流協会副会長として、「躾」書道展を北京で主催された。この躾という字は国字で中国にはない。だが現代社会に必要な習慣だという認識が高まり、日本に学ぼうということになったらしい。そこで「躾」一字だけの書道展が開かれ、日本からは書家のほか羽田元首相ら著名人が参加した。親による躾は日本でも
希薄になりつつあることが些か心配なのだが。

▼劉徳有先生の著書は多いが、『郭沫若・日本の旅』(サイマル出版社1992)という本を読んで近来稀に見る面白さを味わった。これは1955年郭沫若が科学院十名の学者を率いて訪日したときの記録で、全行程の通訳を担当した若き劉徳有が、深い尊敬と情愛をもって筆を揮う。中華人民共和国誕生から6年後、招聘したのは日本学術会議
で、まだ国交が無く日本政府は冷たい。1915年の日本留学、1927年の日本亡命と二度にわたり十八年の滞日経験を持つ郭沫若は各界に友人がいる。1937年抗日戦争が起こり、妻子を置いたまま帰国したが、面識のない岩波茂雄が残された妻子の生活費と学費を全て負担した話は感動を誘う。鎌倉長慶寺に岩波茂雄の墓を訪ねた郭老は次の七絶を揮毫した。

 生前未遂識荊願,逝後空余掛剣情。
 為祈和平三脱帽,望将冥福裕後昆。

  「識荊」とは唐の荊州刺史だった韓朝宗がよく人を抜擢するので、李白が会いたいと切望した故事による。「掛剣」とは春秋時代の呉の王子季札が、使者として魯に赴く途上、徐の君主に会ったとき、君主が季札の腰の名剣を欲しいと思いながら口に出せなかった。 季札はそれが解っていたが公務の途上なのでそのまま去り、帰路再び徐
を訪れて剣を献上しようとしたが相手は已に逝去していた。季札は墓上の樹に剣を掛けて帰った故事による。劉徳有はこの詩に感動し、帰国後「あの詩を自分にも書いて欲しい」と頼んだ。郭老は快く筆をとったが、転句と合句は「万巻書刊発聾?,就中精鋭走雷霆。」となっていたという。四人組跳梁の時代、「和平」の語は禁句だったと著者は云う。この手の話が満載されている。更に郭老がどういう手順で詩を作るかについても、まず二句を最初に考え、それを四句にし、八句にするという手の内を覗いている。また五十年前の日本人が中国を、中国人が日本をどう見ていたかについても、興味尽きない面白さがある。このようなリーダーシップが、現在の両国の指導者に欲しいという思いが沸いてくる。

▼50号を記念号としたが、小生第一美術展開催のため手が回らず、編集は全て中山主宰にお任せしてしまった。また第一美術展には多くの会員にご来会頂いた。紙面を借りて厚く御礼申し上げる。(莵)

 

 

 

漢詩詞同人誌17年六月号完 文化交流漢詩詞結社葛飾吟社